看護基礎教育の場にいらっしゃる皆さまは、長引くコロナ禍の中で、学生に従来通りの学びを保障するためのご苦労だけでなく、臨床現場へ送り出した卒業生たちを案じながらの日々をお過ごしであると思う。
このような中、このほど第5次カリキュラム改正が行われた。看護の本質は時代や社会に左右されない普遍的なものであるが、その役割・機能は変わっていく。看護職という「専門職」の育成を担う看護基礎教育に対する社会の期待は大きく、そしてそれは、学生の育成に携わる私たち看護教員の看護実践能力・教育実践能力のさらなる向上への期待でもある。向上への動機づけとなるのは、看護教員自身が看護基礎教育の魅力、おもしろさとやりがいを実感し、生き生きと学生に向き合いながら共に成長していくことである。
かく言う私は、教育実践能力も看護実践能力も不十分なまま、20歳代で看護教員になった。看護教員としての第一歩を踏み出してから定年を迎えるまで「自分に向いていないのではないか。人を育てるのは難しい」と悩み、葛藤し続けた39年間であり、その道のりは決して平坦なものではなかった。しかしその後も、少し離れた位置からではあるが、今のいままで看護教育に携わり続けている。私にとっての看護教育の魅力は褪せていない。
このような私の看護教員としての歩みを支えたのは、看護師教育は看護と同様、人と人との関係性の中で営まれ、かかわるすべての人々が共に成長するという「共育」の魅力である。
「教えること」は学ぶこと
看護教員になったばかりの頃、准看護師の資格をもち、社会人経験のある“大人の”学生たちは、未熟でつたない私の講義(話)を真剣に聞いてくれた。先輩教員の助言を受けながら自分なりの工夫と学習を重ね、授業に臨んでいた。
ある時、私は学生の質問に答えられなかった。その時は「知らないから次までに調べてくる」と言えず、その場を取りつくろった。これをきっかけに「教えるのは難しい。学生に申し訳ない」と看護教員を続けていく自信をなくしていった。
辛い日々が続いたが、それでも「わからない、できない自分を認めることから始めれば良い。学生と共に学んでいこう。不足に気づき努力することが『教育する者』の責任である」と考えられるようになり、看護教員として改めて頑張っていこうと決意した。
そして学べば学ぶほど、知らないこと・知らなかったことの多さに気づかされた。学生の成長を助けること、それは自分の成長につながる。そう思って通信制大学で学んだ。その原動力となったのは、看護師をめざし、意欲的に学習する学生の姿にほかならない。
看護も教育も「寄り添うこと」からはじまる
私が看護教員になった当時は、指導案のつくり方や指導方法に関する文献も少なかったように思う。そのような中で、教員としての自身の支えになったのは、看護学校での学びと3年間の臨床経験で培った私なりの「看護観」であり、そして実習病院の看護師の看護実践(看護モデル)、患者とその家族、医師、看護師、病院関係者の協力であった。
A 学生は内科看護実習で、萎縮性脳疾患のある高齢の男性患者・Bさんを受け持った。Bさんは発語もなく問いかけにも無表情であり、意思の疎通が困難であった。自ら行動を起こすことはなく、食事や排泄等の日常生活すべてにおいて援助が必要であった。A 学生は戸惑いながらも毎日そばに寄り添った。
A 学生と共にBさんの病室を訪れた時のことである。同室の若い男性患者・C さんが「Bさんおはよう」と手をあげると、B さんも手をあげて応じたのだ。それだけでなく、B さんはC さんと碁を打ち始めたのである。このことをきっかけに、学生はこれまで以上にB さんに寄り添い、全身全霊を傾けて日常生活を支えた。時にはBさんの意に沿わないこともあったが、次第にB さんは、A 学生がそばにいると表情を和らげ、ケアを受け入れるようになり、トイレでの排泄ができるまでになったのだ。
A 学生は、C さんの、Bさんをありのままに受け止め、「病気で何もできないB さん」ではなく、一人の人生の先輩として尊重する姿から大切なことを学んだ。そして、回復することは難しく、徐々に自分でできることが少なくなっていく中でも、一日一日を大切に過ごしてもらいたいというA 学生の思いとかかわりが、残されている、潜んでいるBさんの可能性を引き出した。学生のかかわりによってB さんが変化したことを、病棟の医師も看護師も高く評価してくれた。「学生もチームの一員である」と学生を尊重し、学生に寄り添う実習指導の体制は、A 学生の持てる力を引き出した。
臨地実習の指導を通して、真に「寄り添う」とは人間の尊厳を尊重することであり、寄り添うことで人間のもつ無限の可能性を見出すことができるということを学び、看護の奥深さと、看護師教育の魅力を実感した。看護と同じく、教育は「共育」であると考える契機となった、忘れられない経験である。
「ありのまま」を受け入れ、「寄り添うこと」の大切さと難しさ
教員としての歩みを進めて、ベテランと言われるのに十分な時間が経過していたある時のことである。講師を紹介するために教室に入った。床にごみが落ちていた。学生に「ごみがありますね」と拾うよう促した。学生は「私のごみではありません」と言ったのだ。私は思わず息をのんだ。
学生の感性や学ぶ意欲に支えられ、“看護”を教授していた時代から、いつしか服装、身だしなみ、言葉遣い、あいさつ、礼儀等々の日常生活の基本的なことを含め、一人の人間の成長を支援することも看護基礎教育に期待されるようになった。
自ら望んで入学してきたはずなのに、学習しない学生や無断で講義・実習を休む学生がいる。さらには「学校の指導が悪いから単位が取れない」「学校をやめたらこの子の居場所がなくなる」等、保護者の訴えも多様化し、対応や関係性を築くうえでの障壁も増えた。
「専門職」を育てる看護基礎教育とはどうあればよいのか、看護教員としてどう臨めばよいのか、教育や看護の実践能力の向上で解決できるのかと、新たな課題に悩んだ。
学生や保護者の理不尽と思われる言動に憤りを感じることもあった。しかし、「その言動には相応の理由がある。学生、保護者に寄り添い、これまではこうだった、あの時はああしていた、という考えを改め、『ありのまま』を受け入れることから始めよう。悩み、辛さ、苦悩を共にしながら前に進む道を考えていこう。できるなら、わかるなら指導・教育する必要はないのだから。困難なことがあったら、看護教員として力を尽くすチャンスをもらったのだと考えればいい」と、同僚と協力しながら課題に取り組んだ。
在籍期間を延長しながらやっと卒業することができた学生が、臨床で生き生きと仕事をしている様子に出合えた時、退学した学生が「ここで学んだ時間は自分にとって大切な宝ものだ」と、新たな道を見つけたことを報告しに来てくれた時、「ああ、良かった」と心から喜び、そして安堵した。
とはいえ、社会的に認められ、経済的にも自立できるからと看護の職業を選んで入学した学生やその保護者にとって、在籍期間の延長を受け入れたり、進路の変更を決断するのは簡単なことではない。どれだけ面談を重ねても理解し合えず、望ましい方向を見出せないこともあった。
「努力すれば、願いは必ずかなうと教えられてきた。」
学習を継続していくことが困難だったある学生の言葉である。学生の「ありのまま」を受け止め、人間のもつ無限の可能性を信じ、学生に合わせた指導・教育によって「看護師」になるための基盤を育てることができるのだろうか…。課題を残したまま、定年というタイムリミットを迎えた私は、第一線の看護教員としての歩みを終えることになった。
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「看護学教育は、社会のニーズに対応できる職業教育であると同時に、看護の学び、看護の職業を通してその時々の自らの人生を豊かに生き、さらには、仕事を離れた後の人生においても『生き抜く力を養う』ことのできる基盤を育成することである」1)。70歳を過ぎた今も「看護教育」を通して社会とつながり、充実した日々を送ることができることを幸せに思います。
豊かな臨床経験で培われた看護実践能力は看護教員の誇りです。その経験を学生に授けてください。悩みながら、迷いながら、時には休みながら、自分なりのやりがい、魅力を見出してください。心から応援しています。
1) 荒川眞知子ほか監:看護学実習指導ガイドブック;TeachingからLearning,p2,一般社団法人日本看護学校協議会共済会,2021