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『NiCEエンドオブライフケア』刊行記念座談会(前編):専門職者として、一人の人間として考えるエンドオブライフケア

『NiCEエンドオブライフケア』刊行記念座談会(前編):専門職者として、一人の人間として考えるエンドオブライフケア

2022.12.08NurSHARE編集部

『看護学テキストNiCEエンドオブライフケア』(南江堂)の刊行を記念し、4名の編集者・執筆者にそれぞれの立場から「専門職として、一人の人間として考えるエンドオブライフケア」をテーマに、お話しして頂きました。

※この座談会は、2022年10月25日に行われました。

 参加者  サムネイル写真左から
● 酒井菜法 先生(高応寺、認定臨床宗教師・日蓮宗僧侶)
● 谷本真理子 先生(東京医療保健大学医療保険学部看護学科 教授:司会)
● 川瀬貴之 先生(千葉大学大学院社会科学研究院 教授)
● 増島麻里子 先生(千葉大学大学院看護学研究院 教授)

『NiCEエンドオブライフケア』の編集にあたって大切にしてきたこと

谷本:『NiCEエンドオブライフケア』を編集する時に大切にしてきたことは、増島先生の考えと似ていました。まず緩和ケアという言葉があったわけですけれども、エンドオブライフケアという言葉を使うようになった背景には社会が高齢化してきたということがあります。緩和ケアはがんの苦しみを和らげることを目的に取り組み始められ、発展してきました。長寿社会にはなったものの人間の宿命としてすべての人が最期を迎え、看取ることが必要になります。高齢による老衰などがん以外の疾患も含めた、多様な状況や状態の人たちをしっかり支えることの必要性から、エンドオブライフケアという言葉が登場してきたのかと思います。やはり、「生きる」「最期まで生きる」というところを医療職者が支えるという視点を強調したいところがあったかと思います。私たちは、一人の人生は固有で、一人として同じ人はいないので、対象をどのように理解して支えいくかを学生に伝えていきたいと考えました。そのために、対象理解の視点をわかりやすく伝えることを工夫しました。
 また、若い学生がエンドオブライフケアに取り組む前に、まず、人が生きるってどういうことか、死ぬってどういうことかといった死生観、そして自分の命や人生について考えてもらうことから始めました。
 それでも、人が最期まで生きる、そして死ぬということって、思い通りにいかないところがあるので、最期がどうなったからいいとか悪いとかいうよりも、そのプロセスを大事にして支援していくことも伝えたいと思い、編集しました。事例を挙げる場合も、最期こうなったからよかったという展開ばかりではなく、思わぬ展開で亡くなってしまい、後悔が残った場合も含めています。それがどういう意味をもつのか、学生が考えられるようにつくりました。
 増島先生、いかがでしょうか。

谷本真理子(たにもと・まりこ)
千葉大学看護学部卒業、同大学院博士課程修了。博士(看護学)。セルフケアをすることで病状のコントロールが必要とされる慢性疾患をもつ人が、人生の最終段階に差しかかり、亡くなるまでの過程における看護について注目し、研究に取り組んできた。海や山などの自然を眺めること、コロナ禍以降は楽器の演奏の趣味が復活している。


増島:はい、谷本先生もおっしゃったように、共通の姿勢でこの編集ができたように思っています。人生の最終段階、エンドオブライフケアという言葉が緩和ケアののちに発展してきており、人の亡くなる、最期まで生きるところまでが入るので、看護学だけでは考えられないし、広い視点で考える必要があります。私はがん看護が専門領域で谷本先生は慢性疾患看護が専門領域ですので、バランスよく広い視野で編集できたと思います。全体を通して大事にしていたのは、学生はまだ「死」を遠いものだと思っているんですけれども、まずはケアをする人として、それからいつか自分も生を終える当事者としての視点で、考えていけるように意識して編集しました。あとは実際の場面でどうなのかというところを事例やコラムで伝えました。また、看護学だけに寄らないという点では臨床宗教師が活躍していることやチャイルドライフスペシャリストの活動も紹介しました。高齢者の死だけではなく、子どもや成人など幅広い年代を取り扱いました。

生老病死 ― 人の苦しみとは

谷本:以前、慢性疾患専門看護師の方が、「患者さんは重たい荷物をずっと背負って歩く、最期までそれを背負って歩く。でもその荷物があまりに重たくなってしんどそうに見える時に、そっと手を差し伸べ荷物を軽くする、そんな感じでやっているんです」とおっしゃったことがありました。病を抱えて生きる人は、ずっと苦しみ、苦しみから逃れられない状況です。そのような重たい荷物を持ちながらも最期まで生きるという状況から「生老病死」という言葉を連想しました。エンドオブライフケアと「生老病死」は、深く切り離せない言葉ですよね。
 先生方のほうからぜひ「生老病死」ということについてお考えを教えてください。

酒井:「四苦八苦する」とは思い通りにならないことに苦悩する様を表す言葉で仏教が由来です。この四苦にあたる四つの苦しみが今回のテーマである「生老病死」を意味します。
 谷本先生がおっしゃるように生きることの苦しみは自分では思い通りにならず、そこに生まれてきた中において生かされていく。生かされていけば当然、死が訪れる。この死が訪れるまでの間に、さらに四つの苦しみが訪れます。愛別離苦(あいべつりく)、愛する人と別れること。怨憎会苦(おんぞうえく)、嫌いな人とも一緒にいなくてはいけないこと。求不得苦(ぐふとくく)、求めても得られないこと。そして五蘊盛苦(ごおんじょうく)、自分の体でもどうにもならないこと。それら四つを合わせて四苦八苦なんです。
 これはどうにもならないので、どうにかしようと思い込みすぎることによって逃れられなくなる、そうすると一層苦しみ続ける。少しでも苦しみから逃れるためには、自分の心の置きようを変えることです。人によってはこれらの状況の中においても、なんとかプラスに考えながら受け入れて楽観的に生きる人もいれば、悲観的になりすぎて周りも傷つけてしまうことがあります。どうにもならないことを受け入れて、少しでも見え方を変える、それがまさに寿命を全うするということなんですね。
 寿命とは、寿(ことぶき)の命なんです。命を受けたことが寿です。私たちは寿命を日本の平均寿命より早いか遅いかそれだけで命の尺度を決めがちですが、そうではなく、命を頂いた中で、生きることを全うしていくこと、ただそれだけなのです。長さではないんですね。人間が考える長さではなく、寿の命とどう向き合ってゆくか。
 向き合うための方法を、看護師さんや実習前の学生さんから相談を受けることがあります。私のお寺では祈ることや、慈悲の瞑想を勧めています。慈悲の瞑想というのは、自分の幸せや家族の幸せを願う瞑想法で、マインドフルネス瞑想の一つです。慈悲の瞑想は患者さんだけでなくご家族、ご遺族、医療従事者すべての方にお勧めしているセルフケアです。自分の心を見つめて何に苦しんでいるのか、どういう状況に今はあって、そして私一人だけの命ではなく、家族や仲間、医療者や気にかけてくれる人たちがいるということ、出会った多くの人とのかかわりの中で寿命を全うするのだということに気づけると少し心が楽になります。とくに大切なことは自分自身の幸せを願うことです。苦しみの中にあるとなかなか平穏な気持ちになれず難しいですが、焦らずゆっくり心をほぐしてみてください。

酒井菜法(さかい・なほう)
埼玉県高応寺 日蓮宗僧侶。認定臨床宗教師。だれでも心穏やかになれるお寺づくりが評価され2021グッドデザイン賞受賞。著書:『私はこんなはずじゃないと思っているあなたへ』(主婦の友社)、『みんなを元気にする10人の住職』(興山舎)。連載:「酒井菜法の歩む道」(朝日新聞)。


谷本:ありがとうございます。1回聞くだけでは、なかなか理解したという気持ちに至ることが難しいかもしれないですね。

酒井:そうですね。どうにもならないことを受け入れていくプロセスは一人ではできないものです。

谷本:とても興味深く思いました。では、川瀬先生のお考えはいかがでしょうか。

川瀬:酒井先生のお話をおうかがいし、非常に意味深長で、今すぐには呑み込めないほど凝縮されたメッセージだと思いました。仏教はじめ様々な宗教の底辺に共通してあるものは、メンタルのセルフケアをどう行うか、どうやって気持ちを楽にしていくかということではないだろうかと思いました。
 近代社会では、つとめて日常生活の中から「死」を想起させるような場面を排除してきましたよね。たとえば火葬場とか葬儀場とか屠殺場とかそういうのを建設したり運営したりするのはとても大変で、弁護士が大活躍します。日本にはもともと死を穢れ(けがれ)と見るような文化、伝統がありますが、欧米でも、火葬が日本以上にクリーンかつ生々しさがないようなやり方でなされることもあるそうです。洋の東西を問わず、死を見たくないから遠ざけようみたいな傾向があるわけですが、やはりそれだけではだめだろうなという気もしています。若年層の教育、大学生の教育が大切だと思います。たとえば、食育や動植物に触れる、育てるという取り組みが幼稚園や小学校で行われていますが、もっと力を入れてやったほうがいいと思います。命や、その命が失われる場面に触れるということです。小さい時から経験し、考えていくと良いかと思います。ほかの人の死や、死の場面、あるいは自分が死ななければいけない運命にあるということを、直視してこそ「生」が充実するのではないかというふうに思います。小さな子どもだけではなく、大学や専門学校の教育でも必要だと思います。そういう点で「エンドオブライフケア」に期待しています。

谷本:はい、ありがとうございます。増島先生、いかがですか。

増島:自分の経験としては、やはりがん患者さんの「病」と「死」に色濃くかかわっていました。私も亡くなる瞬間に立ち会うという経験をしたのは23歳ぐらいの時でした。それまで死ってものすごく怖いこと、死と生はと別もので、分断されていると思っていました。ですけど、目の前でさっきまで息をして喋っていた人がすっと亡くなるのを見ると、死ってこう生とつながっている、そういう感覚に徐々になりました。
 医療者は「生老病死」全てにかかわりますが、医療者として「病」と「死」を支えることは重要な務めです。日々容態が変わっていく中でも、身体的苦痛はやはり最大限緩和しないといけない。最大限努力することが医療者の務めなんだろうと思っています。

後編へつづく>

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