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第2回:学生生活における悩みや困難への個別的な支援

第2回:学生生活における悩みや困難への個別的な支援

2022.04.13三森 寧子(千葉大学教育学部 准教授)

現代社会を象徴するキーワードの一つとして、ダイバーシティが挙げられ、その推進への取り組みが求められています。しかし、多様な課題を抱える現代の学生に対して、教員としてどのように導き、支えることができるか、対応の難しさに悩まれる先生方も少なくないのではないでしょうか。新年度を迎えて新たな学生と出会うこの時期に、今一度、学生支援について考えてみませんか。
本企画では全8回をとおし、看護教員、教育学者、コミュニケーション・キャリアの専門家、それぞれの視点から学生支援について見つめ直し、互いに課題を共有しながら、今何が求められるのかを掘り下げていきます。
今回は学生の個別性にフォーカスし、私たち教員が日ごろから接している学生の実態に向き合ってみたいと思います。

企画:三森寧子(千葉大学教育学部 准教授)

 

 養護教諭として中高生とかかわってきた筆者が、大学教員として大学生とかかわるようになって感じたことは、自分のスタンスが、養護教諭時代と変わっていないということであった。大学教員には教育、研究、管理運営、社会貢献の4つの職責があるとされ、機関や年齢、職位など置かれた状況によってそれぞれのバランスが異なる。筆者は看護学はじめ養護教諭になるために必要な学びを「教育」し、関連分野について「研究」して業績を積み、学会活動などをとおして「社会貢献」をしなくてはならないが、准教授という職位上、「管理運営」にはほとんど携わることはないといえる。しかし、大学教員としての10年間を振り返ると、これらに加えて「学生支援」に注力してきたと自負している。ここでは、筆者のこれまでの「学生支援」の実践から、具体的な学生の課題に迫っていきたいと思う。

筆者が出会った、印象深い学生たち

Case1 たばこがやめられないMさん

 大学4年生の後期になると本格的に卒論指導に入る。一人ひとりのテーマに沿って進めるため、どうしても個別に指導することになり、時間も手間もかかるが、より濃密に学生と向き合える機会にもなるので、筆者は大切にしている。
 Mさんは自分のことを「Mはね」と名前で表現し、人懐っこい性格の一方で、幼い印象を受ける学生であった。卒論指導のある日、かすかにたばこの臭いがしたため「あれ、Mさんってスモーカーなの?」と聞いた。すると「わかりますか? Mやめられないんですよ」と、自分の喫煙について話し始めた。現在、交際相手がヘビースモーカーであり一緒に吸ってしまうこと、本当はよくないとわかっているのに親への反抗心から吸っていること、そもそも親の極端に過保護な養育態度や強い束縛から逃れたいがそれはどうしてもできない、加えて本当は嫌だったけれど小さい時から親が信じている宗教を信じなくてはいけなかったということまで話し続けた。結局その日は卒論には触れず、Mさんがこれからどう自分の人生を生きていくのかについて1時間以上話をして終わった。たばこの臭いから家庭環境や生育歴まで話題が及んだことに驚くとともに、Mさんが社会に出る前に何とかしなければという思いが募った。大学4年生でありながら反抗期にあること、家族の思いや期待を背負っていること、そのことを誰かに話したくても話せてこなかったこと、何よりも自分のことを自分で決められないことなど、Mさんが乗り越えるべき課題は多かった。
 まずは、本人の発達段階における発達課題を確認し、Mさんがこれからどうあったらよいかを考えさせることから始めた。家族とどのような関係でありたいのか、Mさん自身がどう生きたいのか。看護師として働きたいのか養護教諭として働きたいのか、職業選択も含めてライフプランはあるのか。Mさんが自己実現するにはどうしたらよいかなど問いを投げかけることで、自分で自分のことを考えて自分の人生をちゃんと生きることを伝えた。Mさんは、大学を卒業した今も定期的に近況報告をしてくれる。

Case2 対人関係に不安を感じていたHさん

 大学3年生になると卒論指導を受ける研究室、いわゆるゼミが決まる。その年の当研究室のゼミ生は9人とにぎやかであったが、Hさんはいつもどことなくよそよそしく、ゼミの食事会の場でも一人だけつまらなそうにしている学生であった。しかし、筆者と話す時は笑顔をみせながら細々と何でも聞いてきたり、2~3人程度のゼミ仲間とは談笑する様子が見られたりしていた。あるとき相談したいといって研究室にやって来たHさんは、集団行動が苦手であること、ゼミの時間は好きだし仲間も好きだが、みんなでご飯に行くのは苦痛であること、でもそんな自分の勝手な行動でゼミの雰囲気を壊したくないと思っているからどうしたらよいか、と話し始めた。さらに、こんな面倒くさい自分は嫌だから変わりたいけれどどうすればよいかわからないと泣き出した。着任したばかりでまだHさんのことをよく知らなかった筆者は、差し支えなければHさんが大学まではどう過ごしてきたのか、Hさんが捉えている「面倒くさい自分」とはどんな自分なのか、よくわからないから教えてほしいと返した。Hさんは高校までは何となく仮面をかぶっていて、素の自分は出せなかったし見せられないと思っていたこと、大学に入って対人関係に関する不安が大きく心がボロボロであること、そのことの背景には家庭の居づらさもあるという内容であった。
 筆者は、Hさんはしっかり自分を振り返ることができているから大丈夫だと判断し、「いつもニコニコしているけどHさんもいろいろなことを考えてしんどかったね」ということと、「変わりたいという気持ちがあれば人は変われるから大丈夫。それには努力も必要だけど、無理はしないでできることをやっていこう」ということを伝えた。重ねて、ゼミ生として受け入れたからにはちゃんと最後までHさんに対して責任をもつことを約束した。
 その後、教員採用試験や教育実習などを経て、卒業論文のテーマを決めたHさんは、人が変わったように生き生きとした表情を見せるようになった。筆者はなるべくHさん自身の人生にプラスになる研究をしてほしい、信頼できる大人に出会ってほしいと思い、卒論のインタビュー調査対象には筆者が尊敬する3人の教諭を紹介した。Hさんはそれぞれの先生から多くの貴重な話を聴くことができ、自分自身が満たされていくような気がしたと話していた。卒業時、「ゼミのみんなが私を受け入れてくれたから、ここなら大丈夫と思えて、自分にとって居心地のよい居場所でした。ここがあったから自分はよい方向に変われて先に進むことができました」と話していた。
 Hさんだけでなく、この年のゼミ生たちが筆者に残した言葉は、いつも自分のことを見てくれていたこと、自分の話にいつも耳を傾けてくれていたこと、そのことで初めて自分の居場所を得たような気がしてうれしかったということであった。

Case3 大学に来られなくなったNさん

 Nさんは3年生になって授業を欠席するようになった。大学3年生は病院での臨地実習が本格的に始まる重要な学年であり、全体的に雰囲気が引き締まる時期でもある。しかしNさんは、看護学のどの科目も出席数が足りずに、単位を落とすこととなってしまった。Nさんは養護教諭の免許取得を希望しており、教職科目等の履修者名簿に名前があったが、同様に授業をほぼ欠席していたため単位を落としていた。Nさんのことを心配した同級生たちが養護教諭課程の担当である筆者のところにどうすればよいかと相談に来るようになった。2年生までは養護に関する科目がないこともあり、筆者はNさんについてあまり情報を得ていなかったが、真剣に心配する同級生たちの様子に後押しされ、Nさんにメールを送り、面談をすることにした。
 その年はけっきょく休学したが、筆者の中では復学への不安が大きく、Nさんの気持ちが大学から離れないように、定期的に連絡を取ることとした。そして、そのころ筆者自身が忙しかったこともあり、資料作りやデータ入力などの作業をNさんに手伝ってもらうことを思いついた。これは、筆者が養護教諭をしていたころ、保健室登校の生徒に仕事をお願いすると、役割を得た彼らが生き生きと頼まれたことを着実にこなしてくれた経験からヒントを得た。Nさんはメールをすると必ず返信をくれる学生であったこともあり、もしかしたらNさんも大学に来たがっているのではないか、こちらからの声かけを待っているのではないかという直感もあった。
 Nさんは復学する前の3ヵ月間、週2回程度研究室で筆者を手伝ってくれ、そのままスムーズに復学でき、1年後れで卒業した。作業の合間にNさんが話してくれたことは、これまで自身は優等生のポジションだったが、大学に入ったら周囲がさらに優秀であり、自分が落ちこぼれていくことがショックで行きたくなくなってしまったということであった。できない自分を認めたくない、頑張れない自分が腹立たしいといったネガティブな感情から、授業に出ないという選択をしてしまったと振り返っていた。卒業式にNさんから受け取った手紙には、感謝の気持ちとともに、大学で初めて挫折を味わったことで自分を知ることができたと綴られていた。そして筆者の研究室はまるで保健室そのものであり、成長させてくれたこと、ダメな自分でも仕事をするたびに感謝してもらえたことが次に進める自信につながったと書かれていた。

学生とのかかわりから考える個別支援の必要性

複雑に絡み合った課題をほどくために

 3人の学生たちはそれぞれ、幼少期からの親子関係を引きずっている学生、自分の居場所を探している学生、大学で初めて挫折を経験する学生である。もちろん、紹介した内容は断片的であり、実際には学生が抱えている課題はもっと複雑に絡み合っている場合も多い。しかし、筆者が学生とかかわっていて実感するのは、どのようなケースであっても“丁寧に”向き合うに尽きる、ということである。

保護者の不安にも向き合う

 近年は保護者対応も増えており、保護者会を開催する大学も増えてきている。保護者からのメールや電話への対応だけでなく、三者面談をすることもある。それまで順調に成長してきた我が子が大学生になってつまずいてしまうことを受け止められない保護者や、遅い反抗期に入り連絡を断ち切ってしまう我が子が心配で仕方がない保護者など、子どもとの向き合い方、距離感に悩んでいることが多い。保護者対応をしていると、筆者はどこまでかかわればよいか自身の立場に葛藤を覚えることもしばしばあるが、教員が間に入ることが親子関係の修正につながることもあり、その後の学生生活が落ち着いていくために不可欠な支援と考えている。

“ケアをする人”になるために、自らがケアされる

 筆者は学生に対して、学生が発するサインを見逃さないこと、目の前の学生を受け止めること、学生の良いところ(強み)を見つけ出すこと、思春期や青年期の発達課題を念頭にアセスメントし、成長を促すこと、可能ならば家族背景も把握すること、かかわるタイミングを逃さないこと、適切な関係機関につなげることなどを心がけている。このことが、冒頭に述べた養護教諭をしていたときのスタンスと通じるのかもしれないが、対人援助職を志す学生には、人生において自分自身が大事にされる(ケアされる)経験が必要であると考える。一対一のかかわりを求めている学生が多いことも実感するが、そこでケアされた経験がなければ他者をケアすることは難しいのではないかと思う。また、学生という時期に発達障害や愛着障害、これまで獲得してこなかった発達課題、家族背景など個々に抱えている問題を浮かび上がらせ、学生自身が自覚することで、成長に向けて変化し、社会人という次のステップに進むことができると考える。
 筆者のかかわりに疑問や違和感をもたれる読者もいらっしゃるかもしれないが、何よりも学生にとってどうであったかという視点で考えると、卒業時に受け取る手紙や卒業後の彼らの姿は、筆者自身の一つの実践に対する評価として受けとめている。このように改めて振り返ると、つくづく大学や専門学校は、学生という成長のただなかにある人たちを社会に送り出す最後の砦であると痛感する。大学教員として、一人ひとりの学生に責任をもち、高い専門性をもった社会人として卒業させることができるようにしっかり向き合いたいと思う。 

三森 寧子

千葉大学教育学部 准教授

みつもり・やすこ/聖路加看護大学(現 聖路加国際大学、以下同)卒業後、聖路加看護大学大学院看護学研究科・千葉大学大学院教育学研究科修了(修士〔看護学・教育学〕)。虎の門病院分院 肝臓内科・脳神経外科病棟に2年間勤務したのち、都内私立中高一貫校で養護教諭として4年間勤務。出産を経て再び都内私立中高一貫校で養護教諭として勤務。その後、聖路加看護大学地域看護学教室に着任。2019年4月より現職。日本公衆衛生看護学会理事、日本養護教諭養成大学協議会理事、区立中学校学校評価委員、保健師助産師看護師国家試験委員(2021-2022年度)。著書に『みんなでつくる学校のスポーツ安全』(少年写真新聞社、2020年)[共著]、『学校の事例から学ぶ フィジカルアセスメント ワークブック』(北樹出版、2018年)[分担]。趣味は食に関すること(食べること、作ること)。

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