「ダイバーシティ」「社会的包摂」「合理的配慮」。これらの言葉が世間一般に認知されるようになりましたが、看護基礎教育においても課題として直面する場面が増えてきているかもしれません。
京都橘大学では、2021年4月に「サポートリンクス(障害学生支援室)」を開設。運営委員会を発足のうえ準備期間を経て、翌2022年4月にコーディネーターとして心理専門職である大野通久氏を迎えました。そこから運営委員会を中心としてさらに準備を進め、同年9月に本格始動となったそうです。
困難を抱えた学生を前に何ができるのか、何を大切にしなければならないのか。本稿では、その立ち上げ時から学生部長として携わってきた河原宣子氏(看護学部教授)と、コーディネーターの大野氏より、現在までのサポートリンクスの取り組みの実際をご紹介頂きます。
NurSHARE編集部
サポートリンクス設立の背景、経緯
大学としての変化:学生数が増え、多様な学生を迎えるようになった
ダイバーシティ&インクルージョンという言葉が多用されるようになって久しい。多様な背景を有する人々が、それぞれの力を発揮できる社会。よく考えれば当たり前の概念である。しかし、たとえば看護現場や教育現場など、ある一定の枠組みの中では、常に皆が意識して学び続け、適切に対応しなければならないのも事実である。とくに、看護専門職育成を目指す教育機関では、教育内容に盛り込むことはもちろん、将来、看護の担い手となる学生の学習支援体制についても整備が求められている。卒後教育、現任教育においても同様かもしれない。
京都橘大学は、9学部15学科および5研究科、通信教育課程、1認定看護師教育課程を有する総合大学である(2023年4月時点)。ここ10年間で大学の校舎面積も学部数も2倍以上となった。学生数は現在約6,000人で、実に多様な学生が存在するキャンパスとなっている。
本学の前身は、中森孟夫が創設した「京都女子手藝学校」(1902年設立)である。中森は、「学ぶ志に応える教育や実学」を重視した。時代背景が異なるため、当時は経済的な理由で進学を断念する人も多く、それを憂えてのことだと思うが、「学ぶ志に応える」という理念は現代社会にも通じる。本稿の主題である障害学生支援がまさにそうであろう。とはいえ、価値観やニーズの多様化・複雑化は、もはや単純な取り組みマニュアルでは対応しきれない。また、中森は「学ぶ志に応える」と同時に学ぶ者の「自立」についても建学の精神として強く打ち出している。本稿では、これら建学の精神を基盤に取り組んだ京都橘大学「サポートリンクス」の挑戦を共有する。
社会的な状況:障害者差別解消法の施行、改正
学生の多様化の一方で、「障害を理由とする差別の解消」というタスクがすべての高等教育機関に課せられることになった。ご存じのように、障害者差別解消法が2016年に施行されたからである。2021年6月には、国連障害者権利委員会(CRPD:Committee on the Rights of Persons with Disabilities)の対日審査に先立って、改正障害者差別解消法が公布された。同法の施行(2024年4月1日)により、事業者においても合理的配慮の提供は義務となる。
突然登場した合理的配慮(reasonable accommodation)という言葉。実は日本語の「配慮」とはかなり異なる概念である(図1)。配慮は通常、「気遣い」や「心配り」という慈しみや憐みの念、その念から起こす行動を指すと理解されている。他方、障害者差別解消法によれば「社会的障壁*1の除去のために必要かつ合理的な配慮をする」とある。つまり、ある配慮が合理的配慮であると言うための必要条件は、その配慮によって、対象となる障害者にとっての社会的障壁を除去することができるか、ということがその測度となる。
*1 社会的障壁:合理的配慮を理解するには、社会的障壁により活動や社会参加の制限(差別)が発生するという「障害の社会モデル」を知る必要がある。ここで言う社会的障壁とは、ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)の環境因子のうち、活動や参加に対して阻害的に作用するものを指す。障害の社会モデルにおいては、この社会的障壁により、とある機能障害(impairment)のある人の、とある社会参加を阻まれている状況を障害(disability)と言い、「社会的障壁を除去すること」=「合理的配慮の提供」により、障害を理由とする差別を解消することを志向している。
サポートリンクス設立のねらい、目的
こうした社会的環境の変化を受け、本学においても遅ればせながら、2022年4月より本格的に動き出すこととなった。
本学では日比野英子学長のリーダーシップのもと、サポートリンクスが機能できることを担保するべく、2022年7月下旬、障害学生支援に関する学内規程の新規制定2本、改正2本を実現した。ステークホルダー(利害関係者)の役割と責任を規定し、手続きの透明性も確保した。
後期授業を見据え、同年9月から新しい規程に基づく支援体制を動かし始めた。すると、コンプライアンス遵守という、ある意味味気のないようなものではなく、教職員・学生双方にメリットがあるところも見えてきた。わずか1年にも満たない取り組みであるが、現状を以下にご報告する。
サポートリンクスの実践
構築した支援体制の仕組み、支援のフロー
大学はサービスとして教育を提供しており、学生は教育を受けに来る。合理的配慮に関する申請(以下、「配慮申請」)は、教育を受ける権利(利益)の保障のために受理すべきものである。そのため、配慮申請は支援部門ではなく、教学部門(学部学科、学部事務)で受けることが理にかなっている。一方、サポートリンクスは、その申請を行う学生へのアドバイスと、教学部門が個別の対応においてコンプライアンス違反にならないようにするためのコンサルテーションを提供する(図2)。
このような原則に従い、部署間の役割の整理から手をつけ、教学部門の理解を得て、教学部門が「対話と合意形成」の主役になるためのフローを設定することができた。なお、現在は、具体的に人をつける支援(例:手話通訳やPCテイク)の提供について、ニーズの掘り起こしが十分でなく、実現できていないことを申し添えておく。
こうしたデザインの中、対話の場に出て学科を代表して合意を行う学科長、ステークホルダー間の利害調整を補助する学部事務、その二者のサポートを行うサポートリンクス、という構造でもって、大学に課せられた、障害を理由とする差別の解消義務に向き合っている。
ここからは、サポートリンクスの機能についてフォーカスしたい。合理的配慮の提供を受けるために、学生(申請者)が用意すべきものは少なくとも3つある。第一に自身が障害者であるということを示す資料の提出(documentation)である。第二に、自身の機能障害に対して阻害的に作用する環境因子(社会的障壁)の特定、第三に「社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明」である。サポートリンクスは配慮申請に求められるこれら3条件をそろえるために、学生に対してアセスメントとアドボカシーを提供している。
これら3条件を独力で用意できる学生はごくわずかである。多くの学生は「○○(診断名)なので、配慮してください」という素朴な困り感の表現に留まる。そのため、「このような条件を学生に課すことは、苦しんでいる学生を、さらに苦しめることになってしまうのではないか」という意見が学内から寄せられたこともある。こうした懸念は当然である。
たしかに、自験例の範囲にはなるが、学生が高校までに経験してきた“配慮”は、「自分は他の生徒と同じようなことができない(ダメな)生徒なので、何らかの基準を緩めてもらい、進級・卒業ができるようにしてください」という文脈でなされることもあり、実際、そうして進学し、大学においても同様の対応を期待して入学する学生も少なからずいる。
こうした高校までの「常識」とは異なり、高等教育における合理的配慮の提供では、本質を変更しない範囲で参加の基準を調整することは妥当であるものの、たとえば成績評価の基準を下げて対応する(成績評価におけるダブルスタンダード)ことは合理的配慮とは見なされないことが多い。ゆえに前述のような対応はできない。また、学生をエンパワーする観点からも、こうした甘やかしとも見ることができる対応は学生本人の障害を「ダメなもの」として扱い、鳥を鳥籠の中に閉じ込めるがごとく、学生本来の力を損なう構造の中に捕らえてしまうことになりかねない。大学生は、学生生活を通じてサービスの受給者から提供者になる、というパラダイムシフトを起こすことを少なからず期待されている。前述の構造は、サービスの提供者になるためのある種の競争から、障害のある学生を半ば強制的に脱落させてしまうおそれさえある。
コーディネーターが行うアセスメントの際に大事にしていること
サポートリンクスは、学生相談を担う学生相談室とは幾分異なり、原則として外に開かれた相談部門である。サービスの提供元(主に教学部門)に対して、取得した個人情報を、合理的配慮の提供という特定の目的のために利用することが、その相談・支援活動の前提である。ゆえに、申請者である学生の障害の様態と、相対している社会的障壁に関する情報を収集・整理し、サービスの提供元が利用できるものに加工することが、サポートリンクスのタスクであり、また申請者である学生のタスクとなる。この点では、サポートリンクスのコーディネーターと学生は共同作業者の関係になる。
こうした構造を前提に、学生本人の素朴な困り感について、コーディネーターから「それはどのようなものであり、今のあなたの生活にとってどのようなインパクトがあり、また、生育史で育まれたものとどのような関係にあるか」ということを尋ねられる。ところが、自身の障害(や社会的障壁)を対象化して語るという経験を持つ学生はやはり少ない。そのため「自分の障害は私にとって○○です」ということを明言するのではなく、中高までにした経験や、自身の病気や障害に対する思い、そうした自分に対する親や教師から向けられる目を語ることになる。大学生になって発達障害と診断された学生や境界知能とわかった学生、致命的な事故や病気に遭った学生などは、まだその事実を受け止めることで精一杯で、語る準備ができていない場合もある。
コーディネーターは、こうした生の語りに耳を傾けながら、当該の学生が大学という舞台で、「袖で見学しておいてもいいよ」という対応ではなく、舞台に立ってどのように踊れるか、について提案をしていくことになる。前提として、障害学生支援にかかわるコーディネーターは、学部のカリキュラムや各科目のシラバス、「看護学教育モデル・コア・カリキュラム」など、学部・学科が提供している教育内容や達成基準に関する情報を得ておく必要がある1)。そのうえで、多くの学生が採用する一般的な方法ではなく、社会的障壁を除去することにつながるオルタナティブな方法を探し、他の学生と同等の課題をクリアする方略「あなたができること」を探索することになる。ゆえにコーディネーターとの面談場面は、単にアセスメントの機会を設けているだけではなく、障害があったとしても「できる方法」を探すという権利擁護の機会を学生に提供していると考えている。教育の機会を得られた学生には、他の学生と同様、その力を伸ばしていくことが期待できる。
学生へのかかわり方:配慮申請のプロセスの中で教員とは別の立場でかかわることの意味
アセスメントを通じて得られた情報は、「機能障害と社会的障壁との関係性」や、「特定された社会的障壁の除去についての方向性」「具体的な対応案」としてまとめられ、申請者の同意のもと、教学部門に共有される。その後のフローは図3のとおりである。
合理的配慮の内容決定に合意形成が欠かせないことは言うまでもないが、本学では合意形成場面において、障害の状況や申請内容の詳細、学部・学科教育の本質や具体的な内容について、参加者間で共有し、建設的な対話により、具体的な対応を決めていくことにしている。例外なく、温かい対話がなされる。しかし、一方では、合理的配慮の提供に関する契約を行う“伸るか反るか”の場面とも言える。そうした抜き差しならない局面において、申請者に関する情報にアクセスできない部分があれば、教員側の意思決定の妨げとなろう。本学では、事前にコーディネーターが踏み込んだヒアリングを行っているため、あくまで合理的配慮の提供に関する範囲に限定されるが、こうした場面においてもセンシティブなことを話題にすることができる。教員の立場ではない専門職がかかわる意味の一つがここにあると考えている。合意形成に参加する教員からは、慎重な取り扱いが求められる個人情報に、比較的安全にアクセスすることができるため、意思決定を行いやすいとの評価を得ている。
また、合理的配慮の提供に伴う本質変更不可の原則から、対話の中で、授業の目的や実習形態の意味を学生に伝えることになる。場合によっては、とくに実習科目について、科目が設定しているタスクや基準を満たしつつ、障害のある学生の参加を保障する方法を見つけにくいこともある。合理的配慮には「過重な負担」という免責が設けられているため、応じにくい要望を過重な負担として退けることにインセンティブが働きやすい。しかし、「過重な負担」を濫用したり、あるいはいたずらに評価基準を下げるような本質的な内容変更に及ぶのではなく、合理的配慮に関する制約をむしろ好機として正面から取り組むという道もある。
本学でも、学生が要望した内容のうち、看護職養成において避けて通ることができない場面があることによって、要望の一部の変更を余儀なくされることは日常茶飯事である。コーディネーターから、事前にこの種の限界(本質変更不可)を学生に伝えているが、学生には自由に要望を出す権利があるため、合意形成場面において、改めてこのミスマッチを話し合うことになる。この場では、コーディネーターは2つの役割を担う。一つはアセスメントを行った立場として、機能障害と希望する合理的配慮の論理的関係性を説明すること。場合によっては、学生の要望が妥当でないと指摘をすることもある。もう一つは、学生のアドボケイトとして、学生の要望を後押しする。この立場では、不合理な理由によって学生の要望が変更されることを防ぐことや、本質変更不可の原則により学生の要望が変更を余儀なくされたとしても、要望の背景にある学生の思い(自身の障害や生活規制による苦労)を共有し、理解を生み出すよう努めることになる。こうしたプロセスによって生み出される理解は、比較的解像度が高く、また、その学生の心理面の比較的深い層にも届くようなものであることから、共通理解と言って差し支えないのではないか。このように、状況によっては息が詰まるような関係性となる教員-学生間をバランスよく取り持つことが、教員とは別の立場でかかわることの、もう一つの意味である。
なお、共通理解は時にパワフルで、教員側からの、想定外の(学生にとってはうれしい)提案につながることもあり、本学においては、建設的な対話が実現できていると考えている。建設的対話とは、社会的障壁を除去し、持てる能力を発揮できるアレンジを、看護学教育の構造の中に実現するというタスクに共同して取り組むこと、と言える。学生は、自身を不能者として扱われるのではなく、尊厳のある個人として取り扱われる。こうしたエンゲージメント(出会い)を成立させるために、合意形成場面には意思決定ができる立場として、学科長の出席を義務づけている。なお、学科長が対応を行ううえで不安なことがあれば、必要に応じて学部長に確認をとり、学部事務の協力を得るようお願いをしている。
「個」を受け止める構造
看護職養成においては、早期から「個」がクローズアップされる場面が多いため、個人の尊厳やエンパワーに対する感度の高さは重要であると考える。一般的に、学生は高校生の年代までに個がフォーカスされる機会は比較的少なく、今ではSNSやメディアを通じて、ある集団の属性を葛藤なく、かつ手軽に身につけ、かりそめの満足を手にすることができる。メイクやファッションしかり、異世界転生のライトノベルの主人公しかり。化けの皮を被るごとく、借り物の属性を身につけることにすっかり慣れた学生が、自身の個、とくに開示しづらいという意味で個別性が高く、かつ、前述の満足とは程遠いところにある自身の障害や障害による生活規制を受け止め、独力で意思表明を行うことは極めて困難である*2。 このような青年期の学生の特徴を前提に、今までご説明したような、個の学びを支えるための手の込んだ対応フローをデザインすることが欠かせない。その意味で、「本人による申請」+「専門職によるアセスメント・アドボカシー」+「建設的対話」は、存外、効率的なパッケージではないだろうか。
*2 こうした思春期・青年期心性を理解するうえで参考になる文献を以下にお示しする。
●飛谷渉:思春期のためのアセスメント;心的脱皮と思春期グループの体験をめぐって.精神分析研究 63(1):19-27,2019
●飛谷渉:デジタル・ネイティヴ時代の思春期を理解する;思春期臨床への精神分析からの寄与.児童青年精神医学とその近接領域 60(4):476-482,2019
サポートリンクスの今後の展望、課題
インクルーシブ教育や自閉症児の教示行為研究で知られる赤木は、在外研究に帯同した娘さん(当時小学3年生、英語は話せない)がThe New School2)に通う中で翻訳機が導入されたエピソードを、思いを実現するための道具は、思いが育った状態であるからこそ役に立ち、また実際に活用されるものであることの実例として紹介している3)。合理的配慮にも同じことが言える。
配慮申請プロセスの中で、障害のある学生の「思い」を受け止め、合意に基づいた合理的配慮の提供を通じ、大学という場の環境を変える。本学サポートリンクスの実践において、その「思い」が育つ場として、大学内に彼ら彼女らの「居場所」があることを示すことはできた。ただし、思いを実現するための道具の導入=「学び方を多様にする」ことには到達できていないため、片輪走行が実態である。
「少数への配慮は多数の利益に」。ダイバーシティで学び、仕事をしていく学生たちにおいては、どうすればお互いの力を伸ばしながら、お互いに補完し合いながら学修・活動できるかを学んでほしい。「思い」と「道具」の両輪で走ることができるようになるためにも、合理的配慮の提供1例1例を積み重ねながら、多様な学修方法を実践するために必要な方法論や意識の醸成、実施のためのリソースを構築していくことを目指している。
1)Laird, E.:The Process for Determining Disability Accommodations.Equal Access for Student with Disabilities - The Guide for Health Science and Professional Education (2nd edition),Meeks, L. M. , Jain, N. R. , Laird, E. (Eds.). p.67, Springer, 2020
2)The New Schoolホームページ,http://newschoolsyracuse.org/,アクセス日:2023年3月2日
3)赤木和重:アメリカの教室に入ってみた = Classrooms in the United States : 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで,p.186,ひとなる書房,2017/2021(DVD付特別版)