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第2回:“教育”だけにのめり込みすぎず、俯瞰する視点をもつこと

第2回:“教育”だけにのめり込みすぎず、俯瞰する視点をもつこと

2022.07.20石垣 和子(前石川県立看護大学学長)

 私は27歳から合計50年間を職業人として過ごしましたが、看護一直線という軌跡ではなく、出発は基礎医学系の研究者でした。その後自治体保健師を約12年経験し、最後の約30年間は看護学教員として働きました。教員経験では看護師教育を考えることが多く、人を教育するということについての様々な思いがわいています。
 さて、私の看護学教員の経験を一口に言ってしまうと、教える側も一生懸命、教えられる側も一生懸命、一生懸命が昂じて双方とも時間に追われて大変忙しい、それゆえゆとりがない、疲れているということへの懸念と、それでいいのか、それはなぜなのかを考えさせられることが大変多かったと思います。

看護師には、知識・技術、そして人間力が求められる

 看護学教育は、看護の現場で患者・家族からも医療チームからも信頼される人材の教育であるはずです。2002年に出された「看護学教育に関する基準」(大学基準協会)1)には、看護学は「人間科学としての特徴を持つ実践科学である」と述べられ、教育課程の編成においては「看護学は、ケアという極めて人間的な営みを追究する人間学あるいは人間科学として、学際的な特徴をもっている。(中略)看護実践に臨み想像力と判断力を発揮できる学生を育てることが大切となる」と示されています。このように単に知識・技術だけでなく、人間としての総体的な力を求めるような教育が含まれることが強調されています。
 看護の現場を概観すると、患者・家族からすれば看護師はいつでも身近にいてくれる存在(チーム制ではあるけれど)で、療養生活の助言を求め、忙しそうにしている医師とのつなぎ役を頼みたいと思うのも無理からぬことです。医師やその他の医療チームからは、看護師は常時患者・家族のことを観察し、気持ちも含めて必要な情報はつかんでおいて欲しいと思うのも、現在の医療体制からすると無理からぬことです。つまり、看護師は両者から期待されており、それに応えることが医療全体の目的達成につながります。ある調査(2020年)2)では、自分や家族にケアをしてくれた看護師に不満を感じたことのある人(4割弱が「ある」と回答)を対象に、「不満を感じた理由」を尋ねた回答として、[処置が雑][家族への対応の悪さ][医師及び看護師同士の連携の不足][話を覚えていない、理解していない][質問に答えない]など、残念な選択肢が選ばれています。看護師には確実な知識・技術と、信頼できるような人間力が求められていることがこの結果からもわかります。

看護師教育の内容の幅広さの背景

 もともと医療関連職は必須の知識・技術の量の多い職種だと考えられます。表は日本の医療に関連する専門職の教育制度が確立した年代を示しています。
 

表 日本の医療専門職の教育制度が確立した年代
1883年 医師
1899年 助産師(当時は産婆)
1915年 看護師(当時は看護婦)
1941年 保健師(当時は保健婦)
1947年 栄養士
1949年 薬剤師
1963年 理学療法士、作業療法士

 以降、近代科学の進歩は、どの専門職の教育内容をも増大させていますが、教員の忙しさは看護師教育ほどであるとは伝わってきません。看護そのものは昔から身近にあった人間的な営みであるということが、他の多くの専門職の教育と異なる点ではないかと考えられます。医師、栄養士、薬剤師、理学療法士、作業療法士などには学ぶべき専門知識があることは誰もがわかります。しかし、病人やけが人の看病は周辺の誰かが昔から担ってきたわけですから、「看病」が「看護」に代わってもそれが何であるかについては、素人でも見当がつきます。前出の調査2)においても、看護の仕事のイメージを尋ねた項目では[特別な技術や知識が必要な仕事]という選択肢の選択率は決して高くはなく(この点は看護師が力を入れて学んでいる割には一般には理解されていない)、[尊い仕事][大変な仕事][不規則な仕事]などの漠然としたイメージでとらえられていることがわかります。一方で、同じ調査では、64.8%が看護師の対応や態度が病院やクリニックを選ぶ理由の一つになると答えています。看護師の接遇(やさしい態度、笑顔、誠実さなど)は大変注目されていることがわかります。看護以外の医療専門職では教育内容が増えても知識・技術の核が明確であるため優先順位がつけやすいのに比べ、看護師教育の知識・技術は他の専門職の知識・技術ともオーバーラップして幅が広く、さらには人間科学までにも及ぶ膨大なものです。図に表せば、看護師は試験管立て、他の専門職は試験管にあたるとも考えられ、歴史的な流れからこのような構図が自然にできあがり、看護師教育の幅広さや優先順位のつけにくさの背景になっているのかもしれません(図)。

図 看護師と他の医療専門職との構図のイメージ
※OT=作業療法士、PT=理学療法士、MSW=医療ソーシャルワーカー、ST=言語聴覚士

 

学生を教育することで頭がいっぱいになってしまうと…

 さて、看護学教員の前には、このような幅広く多様な教育を施すべき数十名(100名以上の場合もあり)もの看護師を目指す学生が毎年並びます。患者・家族も医療チームも、そして看護師チームも、満足する一人前の看護師に育て上げたい、そのプレッシャーが教員を一生懸命にさせる背景になっているのではないでしょうか。学生教育のことで頭がいっぱいになり、研究時間がとれないことに焦りを感じ、教員間での様々な会議も負担になってくるという悪循環を起こしている教員は大変多いと感じます。“研究”も“打ち合わせ・会議”も個人や組織全体の教育の質を高めるために大変重要なものですが、一生懸命な教育姿勢がそれらを後回しにし、けっきょくその教員の視野を狭め、徐々に教育の質を蝕んでいくように思います。教員の主観を押し付け、課題を与えすぎて学生を疲弊させることにもつながっていると感じます。むろん大多数の学生はこのような状況下でもそれなりに育って巣立ってゆきます。しかし、モチベーションを下げ、脆弱な育ち方をして卒業する学生も確実に存在します。一部の学生の休学や退学の原因にもなります。就職後のリアリティショックに翻弄されるケースなどでは、逆に学生が自信過剰に陥ってしまっていることが考えられます。
 ではその対策について考えてみましょう。

学生のことを信じ、同僚のことも信じる

1)基礎教育には限界があると達観し、学生の将来性を信じてゆったりと構えること

 基礎教育の到達目標は、どの学校にも理念・目標として明記され、卒業して現場に出てからも学び続け、人間的に成長することは目標に盛り込み済みだと思います。そのためには学ぶことの意義や楽しさと人間科学的な素養を育てることが大切なのではないでしょうか。否定されるより信じてもらえるほうが、教えてもらうより自分で調べ納得するほうが身につく学習になるはずです。人間科学的な素養においても、手をかけて教えすぎることによって学生一人ひとりの元来の個性を壊し、混乱を招きます。看護教員のゆったり構えた姿勢が看護へ向かう気持ちや人間を考える力を高めると思います。教壇の上で教えることには限界があるのです。まさにアクティブラーニングですね。

2)教員も人として学生と共に成長する存在であることを隠さないこと

 教員は学生の前であっても等身大の自分を見せ、不明なことは一緒に調べて確認し合うくらいの姿勢で接してはいかがでしょうか。先生に知らないことがあっても学生はがっかりしません。むしろ近寄ってくる場合のほうが多いと思います。

3)教員は自分一人ではないことを皆で確認しあうこと

 看護学教育は様々な専門性、経験、年代の教員が入り混じった組織で行われています。それぞれが核心となる教育役割があるからそれだけの組織になっているわけです。それにもかかわらず、気がついたら皆で繰り返し同じことを教えていたというようなことはないでしょうか。繰り返しは大切ですが、むだは省きましょう。教員間での情報交換は大事です。そして同僚を信じて任せることも大事です。

 これらによって重荷が少し減りませんか? 私自身の経験では、教育者になりたての頃は部屋によく学生が遊びに来てくれました。当時の私は、素人まる出しで教壇に立っていたと思いますが、そんな私の部屋に集団でしばしばやって来て長い時間おしゃべりをし(邪魔をし)、私も学生に親しみがわき、自分の考えや実践経験もいつの間にか話していたように思います。なにげない会話から、部屋に来ない学生のことも何となくわかったような気がしました。家族に関する私の講義に傷ついたらしい学生の存在を知った時にはドキッとしましたが、多数を前にした講義での注意点に気づかせてもらいました。実習指導と称して少数の学生と接する時もたくさんおしゃべりをした覚えがあります。学生は上から目線で私に看護とはこうあるべきと議論を吹きかけてくるのです。「実経験なしによくここまで考えた、みんな合格!」と思った覚えがあります。

* * *

 寄り道をしてから看護教育に就いた私の目には、看護教育の大学化が急激に進み、看護教育界は年を追うごとにだんだん息苦しい世界に進んでいるように感じます。しかし、看護系学会が増えて学校間や教員間の相互交流が盛んになるのと並行して「頑張って看護をよくする」という同調圧力が強くなる反面、「看護教育を改善しよう」という新風も感じます。教育に埋没するのではなく、俯瞰的な立場から教育改善を考える時が来ているのではないでしょうか。

 

引用文献
1) 大学基準協会:看護学教育に関する基準(平成14.5.17改定);21世紀の看護学教育,財団法人大学基準協会 資料第56号,p.3-10,2002年10月
2) ナーシングプラザ.com:アンケート結果報告(2020年4月5日発表);看護師に関するアンケート,https://nursing-plaza.com/report/details/202004.html,アクセス日:2022年6月10日

石垣 和子

前石川県立看護大学学長

いしがき・かずこ/今から55年前に東京大学医学部保健学科を卒業。その後大学院に進み保健学修士(東京大学)を取得。続いて『脳の話』(岩波新書)の著者である時実利彦先生に東京大学医学部で師事した後、東京都の研究所で神経生理学の研究員として5年間研究に従事した。1979年には医学博士を取得。34歳の時に自治体保健師として出直し、東京都の23区、離島(中野区、島しょ保健所、三宅村)で合計12年間勤務した。その後、看護系大学の増加の波に乗せられて48歳で看護学教員となった。それ以来国立大学3校、県立大学1校での教員経験を積み、最後の勤務先となった5校目の石川県立看護大学では学長として11年間勤務した。学生時代はバレーボールや留学生との交流などに励んだ。職業人となってからはスポーツ観戦を楽しみにしていたが、近年はあまり実現していない。

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