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看護基礎教育においてEBPを学ぶ意義

看護基礎教育においてEBPを学ぶ意義

2023.09.07西垣 昌和(国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科保健医療学専攻 教授)

 このたび南江堂より、『看護学テキストNiCE看護と研究 根拠に基づいた実践』(編集:西垣昌和 [国際医療福祉大学大学院 教授])が刊行となりました。「看護研究」ではなく「看護と研究」と銘打たれた本書、その名とおり、“根拠に基づいた実践(EBP)”の考え方やその方法を学ぶテキストです。西垣先生に「看護研究のテキストをつくっていただけませんか」とお願いしたのがことの始まり。返ってきたのは「研究をする本、つかう本、どっち?」。何のことやらわかりません。「研究を”する”ためのテキストはたくさんあるけど、研究を”つかう”ためのテキストはほとんどない。本来,基礎教育として優先順位が高いのは研究を”つかう”ためのテキストだよ」。そんな先生の言葉を信じて取り組んだ本企画、ついに形となりました。そこで西垣先生に、なぜ研究を”つかう”テキストが必要なのか、看護基礎教育でEBPを学ぶ意義とは何かを語っていただきました。(NurSHARE編集部)

 

「根拠に基づいた実践」は「あたりまえ」?

 看護実践にはその根拠が重要であることに、疑問をもつ人はいないでしょう。臨床現場では指導係が、教育現場では教員が、「そのケアの根拠は?」と若手ナースあるいは学生に口を酸っぱくして言っているでしょうし、言われている側は耳にタコができているに違いありません。それぐらい、「根拠に基づいた実践」は「あたりまえ」のことである、と誰しもが思っていることでしょう。

 ここで、そんな「あたりまえ」のことに、「根拠に基づいた実践(Evidence-based Practice:EBP)」という語がことさらに用いられるのに違和感を持たないでしょうか。むしろ、違和感を持っていただきたいところです。その違和感をもつことこそ、EBPを理解するための最も本質的なモチベーションとなるからです。
 


 

「エビデンス」の呪縛

 EBPは、1990年代初頭に医学領域でEvidence-based Medicine(EBM)という語が現れたことに端を発します。1990年代ですから、とっくに医療は近代化していますし、根拠に基づかない医療が(少なくとも診断、治療に関しては)横行していたはずがありません。ではなぜEBMという語が現れたのか。それは皮肉にも、実践の根拠となるべき「エビデンス」が医師の臨床的意思決定過程に悪影響を与えるようになったことによります。

 1980年代は、情報通信技術が急速に発達しました。個人でも使えるコンピュータ(=パソコン)や、コンピュータ間での通信技術(インターネットの原型)の開発・普及はその代表的な例です。それに伴って、コンピュータを用いたデータ解析が身近なものになり、研究競争の激化もあいまって、医学研究の数が飛躍的に増加しました。さらに、従来は図書館で手作業によっていた研究成果が示された論文(=エビデンス)を探す工程が、コンピュータ上に作成された文献データベースと通信することにより得ることができるようになりました。

 これらの変化は、臨床実践の意思決定をするうえで、その根拠となりうるエビデンスの量を飛躍的に増加させました。これだけをみれば、EBMにとっていいことだらけのように思えます。しかし実際は、論文として出版されるエビデンスはそもそも玉石混交であるし、研究成果として論文に書いてあることが、その論文を手にした臨床家が置かれている状況でも必ずしも同じような結果が得られるという保証はありません。にもかかわらず、大量のエビデンスの海に溺れ、エビデンスを盲信し、「エビデンスのとおりにやればよい」と考えてしまう、エビデンスにとらわれた医療(Evidence-restricted Medicine:ERMと揶揄される)という副作用が生じました。このような、エビデンスの呪縛への警鐘として「Evidence-based Medicine」という語が生まれたのです。このような呪縛は、EBMの概念がEBPとして拡張された現在でも、少なからず存在しています。このあたりの歴史的経緯は、『看護学テキストNiCE看護と研究 根拠に基づいた実践』(以下、本書)の第1章で詳しく記しています。

エビデンス盲信の一例:森(エビデンス)を見て木(患者)を見ず
[西垣昌和:根拠に基づいた実践(EBP)とは.看護学テキストNiCE看護と研究 根拠に基づいた実践,p.7,南江堂,2023より引用]
 

EBPは、意思決定とそれに基づく実践の過程である

 エビデンスにとらわれた実践(ERP)とEBPの違いは、EBPの3要素を学ぶとよく理解できます。EBPの3要素は、「最良のリサーチ・エビデンス」「患者の価値観」「臨床的専門技能」です。すなわち、EBPとは、現存するリサーチ・エビデンスの中から、実践の目的に合致してかつ質の高いものを厳選し、そのエビデンスを目の前の患者に提供する医療に組み入れるかどうかについて、患者の価値観を踏まえて検討し、確かな臨床的技能をもって実践する、という一連の過程です。つまり、EBPは臨床家の意思決定とそれに基づく実践の過程といえます。ERPでは、エビデンスどおりに実践すればよい、という盲信状態であり、意思決定過程というよりは、悪い意味でのマニュアル化状態(そしてそのマニュアルが適切かどうかも気にしない)にあります。

 これらの3要素は、EBPの5つのステップを踏むことにより実践に取り入れられます:1)問題の定式化、2)情報検索、3)批判的吟味、4)判断の適用、5)自己評価。このステップのそれぞれを見れば、特に見覚えのない言葉があるわけではないですし、5ステップ全体をみても、「あたりまえ」のことという印象を持つでしょう。このことが、EBPの教育や研修が教育機関や臨床現場に体系的に取り入れられてこなかった理由だと考えています。あたりまえと思っていることほど、それをあたりまえに実践することが難しい、というのは古今東西よくあることです。それは、「あたりまえ」という心のフィルターがかかることにより、学びの手が止まってしまうからではないでしょうか。ぜひ一度、本書を手に取り、「あたりまえ」について確認してみてください。

5ステップの1つ目「問題の定式化」(課題・疑問の形式化):血糖コントロール不良の患者を例にPICO/PECOの要素をくわしく解説していきます
[西垣昌和:課題・疑問を形式化する.看護学テキストNiCE看護と研究 根拠に基づいた実践,p.16,南江堂,2023より引用]
 

EBPと情報リテラシー

 上記のEBPの5ステップについて、臨床実践に限らずより普遍的にとらえると、情報に基づいた課題解決の過程ということができます。すなわち、適切な情報を入手し、その情報が信用に足るかを検討し、情報を活用して課題を解決する、という過程です。このように、情報を主体的に選択し、収集活用できる能力は、「情報リテラシー」に他なりません。

 1980年代に、出版される論文が激増したことによって、情報の海に溺れ、ERMが問題になったのは前述のとおりです。以降40年にわたり、世界に流通する情報量は天文学的なスピードで増加し、情報へのアクセス性も飛躍的に高まっています。膨大な量の情報にさらされ、そしてその情報と共存することが当たり前となった現在、情報リテラシーは最も優先順位の高いリテラシーと言っても過言ではありません。EBPを学ぶことは、情報リテラシーを涵養することに直接的につながります。教育課程の早い段階で、EBP教育を実施することは、その後の学習の質に大きな影響を与えることは間違いありません。 

EBPを学ぶ時期

 EBPの3要素にリサーチ・エビデンスが含まれることからもわかるように、EBPと研究は切っても切れない関係にあります。EBPは研究によって示されたエビデンスを「つかう」こと、研究はエビデンスを「つくる」ことといえます。エビデンスを「つかう」ことと「つくる」こと、どちらも重要であることは言うまでもありませんが、実践の場において優先順位が高いのはエビデンスを「つかう」こと、すなわちEBPであることに疑いはありません。しかしながら、看護基礎教育にしても、ラダーに基づく現任教育にしても、「看護研究」の名のもとに、研究をすることに関する教育が一般的である一方で、EBPに関する教育が十分と言えないのは残念でなりません。これが何故かと考えてみると、1つは、前述のようにEBPは「あたりまえ」のことなので、特段の教育は必要ないと認識されているのかもしれません。そして、もう1つは、EBPの素養は、研究を体験することによって養われると言う過大な期待があるのかもしれません。エビデンスを「つくる」ことと「つかう」ことそれぞれの能力は、方向性が明確に違います。

 例えは乱暴かもしれないのですが、自動車を運転するのに、自動車整備学校に通って整備の専門的能力を習得する必要はありません。もちろん、日常の点検ができるくらいの最低限の自動車の構造に関する知識は必要ですが、自動車の運転方法やルールを学ぶほうが重要であることは明らかなのと同じです。研究をすることを通して、論理的思考や文献の読み方、体験した研究に関する研究デザインの理解など、EBPに結びつく能力が得られることは否定しませんが、EBPの本質はあくまで意思決定過程と実践であり、研究を体験することで得られる能力はその一部です。また、研究をすることについて学ぶ機会は、基礎教育課程の終盤、現任教育ではラダーがある程度進んだ状態に位置づけられるのが一般的でしょう。研究を体験することを通して、研究をつかうための理解を深めることが目的にあるとしたら、もっと早いタイミングで教育する必要があります。研究をつかうことの理解は、すなわち情報リテラシーを習得することともいえますので、学習の基盤として最初期に教育すべき内容といちづけるべきです。繰り返しになりますが、早い段階でEBPについて学ぶことが、その後の学習の質や効率を高めることは間違いなく、カリキュラムの早期に位置づけることを強く推奨します。

カットオフ値の変化と検査結果:本書では基本的な統計の知識についても、図表を多用してわかりやすく解説しています
[西垣昌和:基本的な統計の知識.看護学テキストNiCE看護と研究 根拠に基づいた実践,p.138,南江堂,2023より引用]
 

看護と研究

 最後に、誤解のないように申し上げたいのは、筆者は研究をすることの意義を決して軽視しているわけではありません。あくまで、看護師としての基盤となる能力としての優先順位を考えれば、研究を「する」ことよりも「つかう」ことの方が圧倒的に高いという認識に基づいています。そもそも、研究をすることについては、学生や看護師が背負う数多あるタスクの中の1つとしてではなく、それだけに集中して、体系だったプログラムの元に学習すべきことと考えています。

 EBPを通して研究の重要性を実感し、エビデンスをつくる側の役割に興味を持った人には、大学院に進み、研究をすることについて一意専心学ぶことを期待します。高いレベルのEBP能力を習得した看護師が、EBPの5ステップ目である自己評価ののちにたどり着いた課題解決の着眼点は、最良のエビデンスをつくるための貴重な研究シーズとなります。そのような研究シーズに、研究をすることのトレーニングをしっかり積んだ研究者が取り組む。看護と研究の関係が、このようなEBPと研究の循環的発展関係にあることによって、患者の利益が最大化されることは、まさに「あたりまえ」のことといえ、そのあたりまえの発展が加速されることを願って、本書を世に送り出します。
 

<ウェビナーのご案内>

 本稿をご執筆いただいた西垣昌和先生によるウェビナーが開催されます。本稿の内容もふまえ、EBPとは何か、EBPが看護基礎教育になぜ必要か、そしてEBPを看護基礎教育でどのように教授するかについて、わかりやすく解説していただきます。ご興味のある方はぜひお申し込みください。

・テーマ:看護基礎教育においてEBP(根拠に基づいた実践)をどのように教えるか
・開催日時:9月28日(木)16:30~17:30
・開催方法:ZoomウェビナーによるLIVE配信
・講師:西垣昌和先生(国際医療福祉大学大学院 教授)
・申し込み条件:看護教員の方
・視聴料:無料
・募集人数:500名まで(先着順)
・主催:株式会社南江堂
・「個人情報の取扱い」「禁止行為」「免責」等は申し込みページより確認ください。
 

<オンデマンド配信のご案内> ※2023年11月29日追記

 上記ウェビナーのオンデマンド配信を2023年12月20日まで実施します。視聴をご希望の方はこちらの掲示板もしくはこちらのフォームよりお申込みください。

西垣 昌和

国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科保健医療学専攻 教授

にしがき・まさかず/2000年東京大学医学部健康科学・看護学科卒業後、東京大学医学部附属病院にて看護師として勤務。東京大学成人看護学助教、講師をへて2013年アメリカノースカロライナ大学チャペルヒル校看護学部国際客員研究員として教育・研究に従事。帰国後、京都大学基礎看護学准教授、特定教授。この間、東京大学医学部附属病院臨床ゲノム診療部、国立循環器病研究センター遺伝相談室、京都大学医学部附属病院遺伝子診療部等にて臨床実践に従事。2020年より国際医療福祉大学成田看護学部/大学院遺伝カウンセリング分野教授。専門は遺伝看護、遺伝カウンセリング。所属学会(役員歴のある学会のみ抜粋):International Society of Nurses in Genetics (理事@2018)、日本遺伝カウンセリング学会 (理事)、日本遺伝看護学会(理事)、日本遺伝性腫瘍学会(理事)、日本糖尿病教育・看護学会(理事)、日本看護科学学会(理事@2016-2017)。その他社会活動:日本認定遺伝カウンセラー協会(理事長)。

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