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第24回:私の欠乏感を埋めた不思議の国“特養”での円環的時間

第24回:私の欠乏感を埋めた不思議の国“特養”での円環的時間

2024.12.12工藤 うみ(弘前医療福祉大学保健学部 教授)

特養への「ウサギ穴」に落ちる

 「宮崎駿の作品は、子どもが別の世界に飛びこみ成長し、また元の世界に戻るという“不思議の国のアリス”の物語なのだ」という映画評論があるようです。確かにジブリ映画にはそういうものがいくつかあり、神々の住む異界に迷いこんだ千尋(『千と千尋の神隠し』)や、サギ男とともに下界に落ちる眞人(『君たちはどう生きるか』)などがすぐに浮かびます。
 不思議の国のアリスときいて私が思い出すのは、臨床心理士の東畑開人氏の著書『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』1)、通称『居るつら』です。

『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(東畑開人,医学書院,2019)

 『居るつら』は、セラピー志向の著者が精神科デイケアで働く中で、徐々にケアの価値に気づいていくプロセスを非常に面白くかつ学術的にも厚く記述した作品です。冒頭で著者の東畑氏は、ハカセ号(東畑氏は博士をハカセとあえて記述している)取得後、遠く沖縄にある求人情報に目が留まり、あっという間に就職を決めるまでのプロセスを不思議の国のアリスをひきながら、“ウサギ穴に落っこちる”と表現しています。

まるでウサギ穴だ。アリスが多忙なウサギを追いかけて、真っ逆さまにふしぎの国まで転落していったように、僕もインターネットにぽっかりと空いたウサギ穴を真っ逆さまに落下していった2)

 私は『居るつら』を読み、東畑氏の経験を自分に重ねていたく感動し、そのことを本の感想と共に自分のFacebookで書きました。今から5年前の2019年のことです。

著者の東畑さんと同じように、ハカセをとった後、本当のターミナルケアを実践するんだ! と息巻いて特養というウサギ穴に自ら落ちていった私。

[筆者Facebook(2019年6月8日)より]

 特養(特別養護老人ホーム)のウサギ穴に落ちたこと、まさにこれが私の分岐点でした。

理想と現実、線的時間と円環的時間

 ウサギ穴に落ちる前の私は、がん終末期の病棟でバーンアウトし病院を辞め、看護基礎教育の仕事をしていました。教育の仕事を続けるのに必要な博士号も取得し終わり、後は論文の執筆を重ね、教授までの職位を順々に上がっていくという通常の看護のアカデミアの道を進むつもりでいました。
 しかしいつのころからか、終末期ケアの臨床に戻ることを考えるようになりました。2011年の東日本大震災の影響があったかもしれません。看護師を辞めて臨床から逃げた、という負い目のようなものが心の中にこびりついて離れず、そのこびりつきに目の黒いうちに対処したいと思ったのです。ちょうど、がんの治療と緩和ケアの機能分化が進み、病院以外の場所で終末期ケアが行われることが増えていた頃でもありましたので、求人サイトでそのような場所を日々探していました。

 そんなある日、ひとつの特養の求人から目が離せなくなりました。私の目をくぎ付けにしたのは、「パストラルケア」という言葉でした。
 パストラルケアとは、死にゆく人に対する心のケアであり、私はマザーテレサの本を通してこの言葉をその時すでに知っていました。「死にゆく人の家」を作ったマザーテレサの実践は私の参照点のひとつでしたので、採用枠1名のこの求人に飛びつきました。
 ところで、東畑氏は沖縄の精神科デイケアに就職活動の的を絞ってからの自分の行動を次のように表現しています。

そこからは一気呵成だった。一度決めてしまうと、僕は行動が早い。状況はめまぐるしく動いた。光の速さで履歴書を作って送り付け…〔以下略〕2)

 パストラルケアを見つけた私も、東畑氏に負けない勢いでした。同じように光の速さで履歴書を書き、面接では応募の動機をこれでもかと語りました。「ここで働かせてください!」と湯婆婆に迫った千尋(『千と千尋の神隠し』)と同じ気迫が漂っていたはずです。
 無事に採用となりました。が、しかし、たどり着いたその場所は思っていたものと違い、膨らんでいた期待が萎み、私は目的を失いそうになりました。

大人になってからの時間のほとんどを線的に生きてきた者としては当然、特養の円環的時間にこれでいいのかと戸惑っていました。そんな私に「効率ばかりを追いかけると大切なものを失う。とにかく一度どっぷり浸かってごらん」と言ったのは当時の園長でした。

[筆者Facebook(2019年6月8日)より]

 ここで私が使っている「線的」や「円環的時間」というのは、セラピーとケアの違いを説明する時間的概念です。『居るつら』のなかで東畑氏は、デイケアでのケアの時間を円環的、それに対比させるかたちでセラピーの時間を線的と表現しています。つまり、セラピーは線的時間であり何かを「する」時間、ケアは円環的時間でありただ「居る」時間であるというのです。

 『居るつら』では、セラピーをしたくてデイケアに就職した東畑氏が、「居る」仕事に最初はとまどいを覚えたことが書かれています。私にも特養で働き始めた当初、同じようなとまどいがありました。セラピーを志向していた東畑氏と違って私は、最初からケアを志していたのにもかかわらず、です。病院の中での看護しか知らなかったので、線形の価値観を強く帯びた看護こそがケアだと勘違いしており、円環的時間に価値を感じることができなかったのだと思います。とまどう私に、線的時間の価値観を一度脇に置きなさい、と言葉で教えてくれたのが園長(特養の施設長)であり、人間にとっての円環的時間の大切さを実践で教えてくれたのが介護職員たちでした。

食べること、排泄すること、身体をキレイに保つこと、髪をとかすこと、薬を塗ること、薬を飲むこと、歯を磨くこと、目薬をさすこと、同じ歌を歌うこと、コーヒーを飲むこと、爪を切ること、庭を眺めること、服を着替えること…毎日同じことの繰り返し。変わらないメンバー、内輪ネタでの笑い。そうした円環的時間の中に居ること4年間。私は線的時間ではうめることの出来なかった自分の中の潜在的な欠乏感のようなものがいつのまにか無くなっていることに気がつきました。

[筆者Facebook(2019年6月8日)より]

 

今の教育や研究に生きる経験に

 ウサギ穴に落ち特養にたどり着いた私は、そこでしばしの時間を過ごし、そしてまた線的時間に戻ってきました。円環的時間のなかでなぜ欠乏感が埋められたのか、それを説明するのは私の手には余りますが(『居るつら』ではしっかり説明されています)、精神科デイケアや特養で流れているような時間が私たちにも必要なのだと思います。少なくとも私にとってはあの時満たしてもらったものが、今目の前にある教育や研究に結ばれていると感じます。

僕は小さな荷物を抱えて、デイケアの扉から出ていく。4年前にくぐった門を出ていく。博士号を取りたての臨床心理士は、プータローとなってここを出ていく。それにしても、僕は何を失ったのだろうか。そして何を得たのだろうか3)

 東畑氏もまた、デイケアを後にします。円環的時間の中での経験は、直後には言葉にすることが難しい。ささやかで個人的で日常的な何かの価値をどんな風に表現すれば人に伝わるのだろうか、私もずいぶん逡巡しましたし、今もまだしています。しかし、おそらく同じような逡巡を経たのちに東畑氏によって書かれた『居るつら』には、あの時間の質感がしっかりとしみ込んでいました。読みながら私はグッとあの時間に引き戻され、懐かしさで胸がいっぱいでした。

ケアするものとされるものの境界が曖昧で混ざりあうことを許される円環的な時間の尊さ。不思議の国“特養”。私もいつか書いてみたいと思います。

[筆者Facebook(2019年6月8日)より]

 私はFacebookの最後をこんな風に締めくくっています。東畑氏の著作に刺激を受け、自分も特養で知ったケアの価値を書き残したいと思ったのです。
 あれから数年、一向に書かれる気配の無かった不思議の国“特養”ですが、今回、南江堂様よりエッセイ執筆のご依頼をいただき、ほんの一部ですがそれを果たすことができました。貴重な機会をいただき感謝申し上げます。そして、リレーエッセイのバトンを渡してくださった八戸看護専門学校の小野寺江利子先生、加藤聡子先生、本当にありがとうございました。

【引用文献】
1)東畑海人:居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書,医学書院,2019
2)前掲1),p.27
3)前掲1),p.334

工藤 うみ

弘前医療福祉大学保健学部 教授

弘前大学教育学部特別教科(看護)教員養成課程卒業後、弘前大学医学部附属病院に入職。消化器・血液内科の看護師として3年間の経験を経て、弘前大学医学部保健学科看護学専攻に助手として入職。8年間の教員経験を経て、特別養護老人ホーム弘前大清水ホームの看護師として臨床に戻り、4年間を過ごす。その後、弘前医療福祉大学保健学部看護学科に准教授として入職。2022年4月より現職。趣味は韓国映画・ドラマ鑑賞と読書。

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