さあ、いよいよ今回は本格的に『釣りキチ三平』の話に入ります。前回は作者である矢口高雄先生の生い立ちと遍歴、そして学術的な視点からみた矢口マンガの価値という話題に終始してしまいましたから、きっと読者の皆さまは「早く『釣りキチ三平』の話をしてよ」とヤキモキしていることでしょう。
ところでタイトルにおとむらいマンガの「最高峰」なんて言葉を掲げてしまいましたが、ワタクシ自身は単なる一読者ですから、さまざまなマンガ家諸氏が命を削るようにして生み出した作品に序列をつけるなんていうことはできるはずもなく、そもそもそんな意図は微塵もありません。言うなれば、この最高峰とは文字通り「おとむらいマンガの山脈で燦然と聳え立つ山」といった意味なんです。おとむらいマンガというジャンルが山脈のような連なりをなすほど今まで世に打ち出されているかどうかはともかくとして、「エベレストと富士山は、エベレストのほうが高いから富士山の負け」なんてコトは絶対にないのと同じように、それぞれの作品に独自の作風と価値があるはずですから。あっ、また前置きが長くなってしまいました……。それでは、本題に入りましょう。
『釣りキチ三平』の世界へ
さて、今回ご紹介する『釣りキチ三平』ですが、「知っているけれど読んだことはないんだよね」という方も当然いらっしゃるでしょうし、特に若い世代の方々は「知らないなあ」ということだってあるかもしれません。というわけで、ここでザッとではありますが、『釣りキチ三平』がどのようなマンガなのかという点について触れておきたいと思います。
釣りキチ三平
「週刊少年マガジン」「月刊少年マガジン」(講談社)で、1973年から1983年までの10年間にわたって連載された『釣りキチ三平』。矢口高雄の代表作である本作は、1970年代釣りブーム1)を牽引した作品であり、釣りファンであれば知らない者はいない、まさに「釣りファンのバイブル」として今なお高い人気を誇る。『釣りキチ三平』は矢口高雄の少年時代の体験をもとにしながら、躍動感あふれる筆致で釣りの楽しさやその奥深さを伝えている。さらに自然の美しさや厳しさを精緻に表現。その表現力こそが本作の魅力であり、コミックスには作者の「釣り愛」「自然愛」が込められており、連載開始から50年を経た現在でも色あせることはない。2)

前回の最後でもお伝えしましたが、『釣りキチ三平』は一般的には「少年マンガ」にして「釣りマンガ」のジャンルとして語り継がれていると言ってよいでしょう。単行本も67巻(65巻+番外編2巻)を数える長期連載で(下記の「平成版」と対比して、便宜的にこちらを「昭和版」と呼ぶことにします)、1983年に一旦は連載を終了したものの、そのあまりの人気ゆえに2001年から2010年にかけては続編として『釣りキチ三平 平成版』が週刊少年マガジンの特別編集増刊として連載されています。ちなみに2020年10月の時点で単行本の累計発行部数は5,000万部を超えるという大ベストセラー。そんな人気作品ですから当然アニメ化もされており、こちらは1980年から1982年までフジテレビ系列で全109話が放送されました。主人公の三平君を演じた声優は、こちらも声優界のレジェンドとして知られる野沢雅子さん。『ドラゴンボール』の孫悟空(だけではありませんが)でおなじみの声ですよね3)。さらに2009年には実写で映画化もされ、メガホンを取ったのは『おくりびと』でアカデミー賞を受賞した滝田洋二郎監督。どうです、もうグウの音も出ないでしょう? まあ、ワタクシが自慢するのは筋違いなのですが……。
そして『釣りキチ三平』の物語はというと、釣りが大好きな少年の三平三平(みひら・さんぺい)君が日本各地の、ときには海外にまで飽くなき好奇心に導かれてさまざまな釣りに挑むという展開で、数話で1つの章4)が構成されています。基本的に挑む魚の種類ごとに章が分けられているのですが、なにがスゴイって、登場した魚のほとんどを矢口先生が実際に釣っているということ5)。それに加えて、「三平三平」という名前も矢口先生の本名である「髙橋髙雄」6)に相通ずることを考えると、三平君は矢口先生の少年時代を反映したキャラクターであるとも言えるでしょう。何しろ、矢口先生ご自身も幼いときから相当な釣りキチだったようですから。また、それぞれの章に個性豊かなキャラクターが登場するのですが、ここでは全編を通して登場する主要人物に限定して下記に紹介しておくことにします。ちなみに、魚紳(ぎょしん)さん以外は先ほどの画像で示した『釣りキチ三平』(昭和版、第64巻)の表紙に描かれていますよ。
三平三平(みひら・さんぺい)
タイトルの『釣りキチ三平』が示す通り、この作品の主人公。明らかに示されてはいないものの、おそらく小学校高学年~中学生ぐらいの年齢。麦わら帽子がトレードマークの純朴で快活な少年で、東北弁(秋田弁)を話す。一人称は「おら」。狙った獲物がかかると思わず「ウヒョ~ッ!」と叫んでしまう癖がある。少年ながら釣りに関しては大人顔負けの天才で、困難に直面しても持ち前の柔軟な発想力と辛抱強さで真っ向勝負を挑む。後述する祖父の三平一平と2人暮らしで、住んでいるのは秋田県の山間地にある某村7)。両親や兄弟姉妹などの記憶がなく、実はそのことが今回のコラムでとりあげる昭和版の最終章「釣りキチ同盟」で大きな鍵となっている。
三平一平(みひら・いっぺい)
三平の祖父8)。和竿(わかん、わざお)職人を生業として三平とともに暮らしている。両親のいない三平にとってはまさに親代わりの存在で、幼いときから三平を穏やかに、ときに厳しく見守ってきた。村人たちからも一平じいちゃんと呼ばれて尊敬を集めているだけでなく、一平の作る和竿は「一平竿」の名で知られ、全国の釣り人たちにとっては垂涎(すいぜん)の逸品となっている。竿づくりだけでなく釣りの腕前も一流で、三平にとっては釣りの、そして自然を愛する生き方の師匠とも言える。
鮎川魚紳(あゆかわ・ぎょしん)
長身で凛とした風貌で、全国を「釣り行脚」している青年。幼いときに父親が投じた釣り針で右目を失明し、頬にも傷を負うという事故に遭っており、そのため常にサングラスをかけている。実は鮎川財閥の御曹司にして弁護士の資格も持っており、フェンシングは五輪選手級の能力という超エリート(しかし初回登場時はやさぐれた風来坊という雰囲気だった)。釣りに関するさまざまなテクニックだけでなく、釣り人としての心構えなどもさりげなく教えることが多く、その点で三平にとっては一平と並ぶ師匠であるが、実際には師匠というよりも兄のような存在。三平をはじめ、周囲の人びとからは「魚紳さん」と呼ばれて信頼されている9)。
高山ユリ(たかやま・ゆり)
三平家のご近所さんである高山家の娘で、三平よりも少し年上。お互いに「ユリッペ」「三ちゃん」と呼ぶ幼なじみの間柄。かなりのお転婆娘で、三平と喧嘩を繰り広げることもしばしば。釣りキチというほどではないが、それなりに釣りを嗜んでおり、三平たちとともに釣りに出かける場面も多い。ほとんどマグレではあるが、釣り大会で優勝してしまったこともある。父の安蔵(やすぞう)、母のタカも作中に多く登場する。
加瀬正治(かせ・まさはる)
ユリと同じく三平のご近所さんで、三平より年下の少年。いかにも悪ガキという風貌だが根は優しい性格で、いつしか三平を師匠と仰ぐようになり、三平がどこに行くにも付きまとっている。祖父は投網の名手として地元では知られており、自らも三平とともに釣りのテクニックを学んで成長していくが、その腕前は「さほどでもない」といった感じで作中では描かれている10)。
何度も繰り返してしまって、読者の皆さまには耳タコだとは思いますが、もう一度述べておくと『釣りキチ三平』は「少年マンガ」にして「釣りマンガ」と一般的には受けとめられています。上記の登場人物をパッと見ただけでも、「どうしてこれがおとむらいマンガ?」と思いますよね。
実は昭和版のラストを飾る「釣りキチ同盟」の章には、最初に三平君が鮎釣りを楽しんでいたり、回想シーンなどで大物を釣り上げたりしている場面がほんのわずかながら登場するものの、それ以外は全く「釣り」の場面は出てきません。そしてなんと、この最終章「釣りキチ同盟」では、単行本2巻分(第64、65巻)という大長編を通じて、まさにおとむらいの、そして「ムラの葬儀」の情景が描かれているのです! そのディテールたるや、もう圧倒的と言わざるを得ません。どうしてこのような「ムラの葬儀」の細部を矢口先生が克明に描写できるのかという理由を、またワタクシなりに考察を加えてみたいと思います。以降に順を追って物語を述べていきましょう。
一平じいちゃんの死
最終章の物語は、衝撃的な場面から始まります。おそらく当時の読者は「えっ! そんな……」と少年マガジンを持つ手が震えたことでしょうね。
冬に入りかけた、ある日の午後。なぜか季節外れの鮎がたくさん釣れて、三平君が喜び勇んで飛び跳ねながら家に戻ってみると、一平じいちゃんはいつものように竿づくりの仕事中でした。材料となる竹を握り、穏やかな顔で目を瞑り、あたかも居眠りをしているかのようです。しかし、三平君が魚籠いっぱいの鮎を見せても返事はありません。そして「ホラ じいちゃん起きて」と三平君が肩をトンと叩くと、一平じいちゃんは畳の上に座ったまま倒れ込んでしまいました。
一平じいちゃんは、すでに息を引き取っていたのです。
近しい人が、愛する人が亡くなってしまったときの反応はそれこそ千差万別ですが、実際に我が身にそんな事態が訪れたときには、ただただ茫然自失となって言葉を失ってしまうとよく言われます。三平君の場合もそうで、まるで視界がぐにゃりと歪んでしまったかのような錯覚に陥りながら、言葉を失ってその場に膝をつくしかありませんでした。そのリアリティにあふれたシーンも画像でご紹介したいのはやまやまなのですが、ここでは割愛することとして……ようやくヨロヨロと家から這い出るように歩き出した三平君は、お隣の高山家でたき火をしていたユリッペと、その両親である安蔵さんとタカさんに力ない言葉で、ようやく「な、なんだかオラにゃあ……あんまり、よくわからねんだよ……」「じいちゃんがヘンなんだ。死んでるみてえなんだ……」と伝えます。驚いた高山家の面々は土足のままで三平家に上がり込み、安蔵さんが一平じいちゃんにおそるおそる触れてみると、たしかに、もうその体は冷たくなっていました。
不謹慎にはなりますが、ここから「ムラの葬儀」の仔細にわたる光景が、まるで現実に体験しているかのように怒涛のごとく展開されていきます。安蔵さんが亡骸を見守る一方、ユリッペは正治に、タカさんはご近所さんに一平じいちゃんの死を伝えて……といった具合で、まずは高山家の面々が中心となって芋づる式に、そして瞬く間に死亡の事実が村じゅうに伝わっていきます。これは結構大事なことで、かつてのおとむらいでは、まず「こりゃ大変だ!」と実際に動くのは喪家ではなく、多くの場合は隣近所の人びとだったのです。もちろん、隣近所イコール親戚という場合も珍しくはなかったでしょう。感覚的に仮想体験させてくれる精緻な農村民俗誌そのものなんです。
そうこうしている内に、まだ日も高いのに隣近所の人びとや、一平じいちゃんの釣り仲間が結成した村の釣友会の面々などが弔問に訪れてきました。そのときにはもう、安蔵さんが一平じいちゃんの遺体を布団に寝かせて顔に白布を被せ、枕元に線香などを供える香炉などを置いた小机(経机)を設けていました。一般的にはこのように臨終直後の遺体の前に諸々の道具を供えて飾ったもの一式を「枕飾り」、そして飾り立てる一連の行為のことを「枕直し」と呼んだりします。で、このあたりの細部がまた克明に描写されているのですよ。たとえば「おらの村では人が死ぬと死んだ人のまくらもとにカマなどの刃物をそなえる風習がある」「これは死体に悪霊がとりつくのをふせぐ一種の魔よけらしい」という三平君の述懐とともに、しっかりと小机の上にキラリと刃先を光らせるカマ(鎌)が描かれているんです11)。これはまさに本コラムの第9回でもジョルジュ・ビゴーの絵とともに登場した「守り刀」。ビゴーの絵でも、小刀のようなものが遺体の脇に添えられていますよね。
そこへさらに村の面々がぞろぞろと訪れ、囲炉裏端で一平じいちゃんを偲びながら、文字通り額を突き合わせるように相談が始まります。これがもう、「ああ……葬儀屋さんがいない時代12)に、ムラの皆が総出でおとむらいをするときは、こういう感じだったんだろうなあ」というリアルな雰囲気に満ちているんですよ。知らせるべき人物にちゃんと知らせているのか? 葬儀の日取りをどうするか? 葬儀委員長は誰が引き受けるのか? お勝手、つまり参列者に出す料理をつくる担当は? お坊さんをお寺に迎えに行くのは誰か? 祭壇に飾る遺影にはどの写真を使うか? そんな、コマゴマとした決め事を皆でウンウンと考えながら相談していきます。画像がなく言葉しか載せられないのが残念ですが13)、参考までにその相談の一部をちょっと抜粋してみましょう。
「キン坊とユキヨシは、あした医者さいって死亡診断書をもらってきてくれ」
「ハイ!!」
「オットそれだけじゃねえゾ!! もらったら、そいつを役場の住民係にもっていって埋葬許可証ってやつをもらってきてくれ!!」
「なにけえ、そのマイソウなんとかって……」
「この村はいまだに土葬だ」
「つまり仏さんを墓地さ埋めてもよろしいという許可証のことじゃ」
「ヘェ~ッ、そんなもんがいるのけえ」
「あたりめえよォ!! ついでに法律では死後24時間たたねえと埋葬しちゃあならねえ14)ことになっとる。おぼえとけ」
「なーるほど……。ひょっとしたら24時間以内に息をふきかえさんともかぎらねぇからなァ……」
「クッソォ。まったく息をふきかえさねえもんかなァ。“あーあ、よくねた!! おい、おめえたち。なんの相談してるだ”……なーんて、ひょいっとおきあがらねえもんかなァ」
またまた念のために述べておきますが、これは『釣りキチ三平』に出てくる会話ですからね(笑)。それはさておき、かつての「ムラの葬儀」ではこのように地域のしきたりだけでなく、死後の細かい手続きをどうするかといったモノゴトに至るまで、個人というよりは集団でさまざまな知識と経験を集積し、それを次の世代に受け継いでいたということがお分かりいただけると思います。そしてもうひとつ、上記の会話から分かることがありますよね。そう、三平君の村では、土葬の習俗がまだ残っていたんです。
ひとつずつ、進めていく
火葬率、すなわち火葬された死亡者が総死亡者数に占める割合は、日本が近代国家への道程を歩み始めた明治時代中期の1896(明治29)年で26.8%、第二次世界大戦を経て高度成長期に入ろうとする時点の1955(昭和30)年でも54.0%と半数程度で、矢口先生の幼少期にはまだ土葬も珍しくありませんでした。『釣りキチ三平』連載中の1980(昭和55)年では91.1%にまで上昇していますが、それでも約10人に1人はまだ土葬。とは言え、近年は100%をわずかに下回るという水準が長らく続いており、土葬の経験と記憶が社会全体からすでに消え去りつつあります。そのような状況のなかで、『釣りキチ三平』に描かれている土葬の風景は、その様相や機微を驚くほど緻密に「マンガという世界を通じて経験させてくれている」という点でも非常に意義深いのです。
話を再び『釣りキチ三平』に戻しましょう。一平じいちゃんの死から一夜が明けて、三平君が「一夜明けたおらの家は、てんてこまいのあわただしさだった」と語る大わらわの一日がやってきました。しかし、先ほど「かつてのおとむらいで実際に動くのは喪家ではなく、多くの場合は隣近所の人びと」と述べた通り、あわただしいのは手伝いにやってくる周囲の人間で、対照的に三平君自身は、家族同然の仲とも言える魚紳さんがまだ現れていないこともあるのか、どことなく所在なさげに、家の周囲などをウロウロとため息をつきながら歩き回ったりしていました。地域ごと、あるいは家ごとの流儀もさまざまなので、一概には言えないものの、とりわけ喪主が自ら指揮を執って動くということはあまりなく、弔問客への挨拶ぐらいであったという点も、「ムラの葬儀」の特質をよくあらわしていますね。
一方、お勝手ではユリッペの母であるタカさんがリーダーとなって、近所のお母さん連中にあれこれと指示を出しながら料理の準備に忙しく、安蔵さんがこまごまとした仕事を取り仕切るといった光景が繰り広げられるなか、村に住む一人の男性が「一平じいさんの身長はどのくれえあったっけ」という言葉とともに訪れてきました。それに対して、安蔵さんは思わず「なんだよ、このクソいそがしいときに」と応じてしまうのですが、どうしてその男性は身長のことを尋ねたのでしょうか? ピンときた方もいらっしゃいますよね。そう、棺をつくりにやってきたのです。さあ、ここでようやく『釣りキチ三平』本編の画像をお見せできる最初の場面がやってきました! それでは、そのシーンの抜粋をどうぞ。
現在ならば、たいていの場合、棺は葬儀屋さんが用意してくれますし、棺の製造を専門とするメーカーも複数あります。しかし、かつての葬儀は何から何まで「自分たちでつくる」ものでしたから、棺も自分たちで……ということになるのは当然のこと。そして、土葬と聞くと「そのまま遺体を土中に埋める」というイメージを抱く方も多いのですが、例外的な場合を除いてそのようなことはありませんでした。火葬と同じく、土葬で葬る場合も棺に遺体を納めてから埋葬するのです15)。ワタクシも、かつて職人肌の葬儀屋さんでフィールドワークをしていたときには「葬儀屋だったら大工仕事ぐらいはできなきゃダメだぞ」とよく言われたものですが、それはなぜかというと棺や輿をはじめとして、葬具の多くが木工品だったから。まあ、今ではそんな葬儀屋さんもかなり少数派にはなってきていますけれど。
さらに、このページの下ではせっせと草履をつくっている光景も見えるでしょう? これもまた、かつての葬儀では「死人草履(しにんぞうり)」などと言って、葬列に連なる者は履いていた草履を道端に捨ててきたり、あるいは寺院に墓がある場合はお寺の門をくぐる前に新たな草履に履き替えたりするという習俗がよく見られました。その流儀も地域によって千差万別ではあるものの、基本的に草履というものは葬儀に限らず、ムラの生活全般を通じて切っても切り離せない、かなり重要で象徴的なアイテムであったことがこのエピソードからもうかがえるのではないでしょうか。
そして夜になると、三平君が「きらびやかな祭壇がかざられたおらの家では、夜になって一大儀式が待っていた」と語るように、死者を送り出すための重要な儀式が始まりました。一平じいちゃんの遺体を納棺するのです16)。この儀式が要するに三平君の村では通夜にあたるのですが、この描写もかなりのページを割いて、特色のある習俗を細かく浮き彫りにしているから驚きです。それは数人の男性が裸にフンドシ一丁というスタイルで、本コラムの第13回でも見たような純白の死装束を丁寧に遺体に着せていくというもの。その光景を見つめながら、三平君は「手っ甲がつけられ……足には白足袋と脚半がまかれた。じいちゃんは、いったいどんな旅をするのだろう」と一平じいちゃんの死出の旅路に思いを馳せていきます。そして杖と数珠が手に握らされて、遺体が棺のなかに収められた瞬間。「遠くなってゆく……じいちゃんが、だんだん遠くなってゆく」「さっきまでは、ただ死んだっちゅう悲しみでいっぱいだったけど……棺さ、はいっちまったら……なんだかきゅうに、おらの手さとどかねえとこさいっちまったような気が……」と三平君は心のなかで呟くのですが、ひとつずつおとむらいの作業を進めていくたびに「生者が死者になっていく」というプロセスの精緻さが、その細部の民俗的なディテールだけでなく、心理的な描写とも相まって描き出されているのは、もう圧巻と言わざるを得ません。
このように、かつてのムラの葬儀とは、単に「しきたり通りにコトを進めていく」といった単純なものではなく、ひとつずつ段階を経るたびに死の事実を受けとめていくグリーフワークでもありました。このことは現在のおとむらいでも変わらないのかもしれませんが、上述の「プロセス」という点に注目すると、その密度にはやはり違いがあると考えることもできます。密度というと何となく分かりにくいところもありますが、言うなれば「死と死者を感じる経験の濃さ」とでも表現できるでしょうか。そして土葬の場合、そんな濃密な経験が凝縮されたプロセスの最たるものが、「墓を掘る」という作業でした。それでは、三平君はその作業で一体何を経験したのでしょうか。
「墓を掘る」とはこういうこと
通夜の晩が明けて翌日になると、いよいよ葬儀。その早朝に村の若い衆があちらこちらを駆けずり回って「おとむらいでーす!!」と家々に呼びかけるのですが、これもまた全国的によく見られた習俗でした17)。奇しくも前日の深夜から初雪となり、あたり一面は雪に覆われた銀世界18)。そして早朝にもかかわらず、すでに三平家の前には村の男性たちが集まっていました。葬儀の前に、皆で墓を掘りに出かけるのです。しかし、「おらの村の墓場は村はずれにある。穴ほりにはその家の主がたちあうことになってるというが……おらがその主というわけである」と三平君が述懐しているように、ここでもまた喪主自身はあくまで立ち会うだけで、自ら墓を掘るわけではないというのが一般的でした。
さて、村の人びとが葬られている墓場に到着すると、三平家の墓の前で一同は思い出話に花を咲かせます。実は三平君には「一(はじめ)」という兄がいて、その兄がちょうど3歳になろうかという時期に、母が少し目を離した隙に溜池で溺れて水死してしまったこと。そのとき三平君は母のお腹のなかにいて、母は幼い兄を死なせてしまったショックもあったのか、三平君を出産したと同時にそのまま息絶えてしまったこと。そしてまた、2つの葬式を同時に出した一平じいちゃんの嘆きぶりは、もう見ていられないほどの悲痛さに満ちていたこと……。つまり、三平君は母親の顔を知らずに生まれてきたわけです。一平じいちゃんからそれらの話は聞いていたものの、当の三平君自身はあまりピンときていない様子です。というよりも、抜け殻のように呆然自失しているかのように見えます。兎にも角にも「ほんじゃあ、一平じいさんには三平くんの母ちゃんのとなりに眠ってもらうとしよう」ということになり、雪に覆われた地面に大体のアタリをつけて掘っていくと……。
なんと画像にあるように、湯のみ茶碗が出てきました。おそらくそれは、かつて三平君の母を葬ったときに、棺のなかに納めた遺品なのでしょう。これもまた、ちょっと不謹慎ですが「土葬あるある」で、前に埋めた遺品や遺骨が期せずして墓堀りの際に出てくるということは、ワタクシも各地の調査で数多く聞き及んでいました。しかし実際にそれを目の当たりにしたことはなかったので、この『釣りキチ三平』でまさに経験できたわけです。前回語ったように、「なるほど、こんな感じだったのか!」と思わず声をあげてしまった理由がお分かりいただけますよね。
そして三平君の「骨はどうなるべ」という問いかけに応じた、安蔵さんの言葉の深さといったら! そのひょうきんなお顔とは裏腹に(ゴメンナサイ)、墓を掘るというのは、土葬とはこういうことなのだと、しっかりと、そして簡明に教えてくれているではありませんか。「土にかえる」「この土は、何代も何代も前のご先祖様がかえってできあがった土ということじゃ」……そう、まさにそれは単純に「亡骸を土中に埋める」ということではなく、自分の愛する者を土に「かえす」ことで、その土のうえで自分が生活し、自分もゆくゆくはそこにかえり、その後も誰かがその土のうえで暮らしていくという大きな時間の流れに自らを位置づけるということでもあるのです。
ところが! このすぐ後に、予想もしなかった衝撃的なシーンが訪れます。ええ、訪れるんです、風雲急を告げちゃうんです……が、「何だか、いつにも増して長くない?」「ちょっと疲れちゃったよ」なんていう読者の声も聞こえそうですし、毎度よろしく締め切りが迫っていまして。いや、決して「続きはCMの後で!」的な狙いがあるわけではないんですよ! 何はともあれ、来月でこの「おとむらいマンガの最高峰は『釣りキチ三平』である」編もいよいよ最終回です。たぶん……ですけど。乞うご期待!
おまけ(?)
2026年4月11日(土)から4月16日(木)の6日間にわたり、東京都の渋谷ヒカリエで開催される Deathフェス 2026 というイベントに出演します。このイベントは「死を起点に、いまをどう生きるかを考える祭典」という趣旨で開催されるもので、昨年は10代から90代まで4,200名を超える方が来場されたのだとか。
ワタクシは4月14日(火)11:15~12:00に開催される「死 × 世界の葬祭」というトークセッションに登壇予定です。こんなコラムを書いているヤツの顔を見てみたい…という奇特な方はおそらく皆無だと思いますが、ワタクシではなくイベントそのものにご関心のある方はぜひお越しを。詳しくはイベントのホームページ(https://deathfes.jp)をご覧ください。
2)『釣りキチ三平大解剖(日本の名作漫画アーカイブシリーズ・サンエイムック)』(三栄書房, 2024)の作品紹介より抜粋。
3)ほぼ副主人公と言っても差し支えない、後述の鮎川魚紳(魚紳さん)も、レジェンド声優として知られる野沢那智さんが演じています。主人公と副主人公で「野沢」コンビだったとは……。
4)ただし1回の連載で話が完結する場合や、逆に数巻の単行本にわたって続くようなストーリーもあります。
5)なかには、すでに絶滅してしまったと伝えられる「伝説の魚」や「幻の魚」なども登場するのですが、ここで驚嘆すべきエピソードをひとつ。かつて秋田県の田沢湖にのみ生息しているとされ、長らく絶滅してしまったと考えられていたクニマス(別名:キノシリマス)というサケ科の淡水魚がいるのですが、そのクニマスが山梨県の西湖で生存が確認されたというニュースが2010年に大きな注目を浴びました。これは京都大学教授で魚類学者の中坊徹次氏が、あのお魚博士として知られるさかなクンに「絶滅したクニマスのイラストを描いてほしい」と依頼したことがきっかけとなって再発見につながったのですが、そこから10年近くも遡る2001年9月に『釣りキチ三平 平成版』で描かれた「地底湖のキノシリマス」という章では、「実は三平の祖父である一平が、クニマスを密かに誰も知らないような深い山のなかに運んで放流していた」という物語が描かれていたんです。まるで現実を予言していたかのようですよね……。
6)前回の注4では本名の「髙橋髙雄」がどうして「矢口高雄」というペンネームになったのかという点について触れていますが、それではどうして「髙」という字が繰り返される本名になったのか? 実は矢口先生の父親も「髙橋髙治」という名前で、その一字を取ってつけたのだろうと矢口先生ご自身は語っています(『オーイ!! やまびこ』,第6巻「名前のつけ方」, p.30)。
7)矢口先生の出身地である狙半内(さるはんない)、すなわち秋田県雄勝郡西成瀬村狙半内(現・横手市増田町狙半内)がモデルになっていると思われます。
8)実はこの一平じいちゃん、矢口先生の幼少期から青年期までを描いた昭和三部作と呼ばれる『オーイ!! やまびこ』『蛍雪時代』『9で割れ!!』などの自伝的作品でも、ほぼ同じ容姿で矢口先生の祖父として登場しています。というよりも、一平じいちゃんはこの祖父をモデルにしていると言ってよいでしょう。しかし似ているのは容姿だけで、『釣りキチ三平』の一平じいちゃんは好々爺にして誰もが一目を置く人格者であるのに対し、昭和三部作で描かれている祖父はかなりのガンコじいちゃんで、愛憎半ばする存在であったことがうかがえます。何しろ、矢口先生の幼い弟がかつて全国各地で猛威を振るった百日咳に感染した際、矢口先生の母親が「じいさまお願いだ。医者さ行かせてけれ!!」と泣きながら土下座して懇願するのをジロリと睨み返し、「百日咳だか千日咳だか知らねえが、そんただ銭どこさある!!」「死ぬ人間は医者さかかっても死ぬ!! それが人間の寿命というもんじゃ」と逆に怒鳴り返したほど(『オーイ!! やまびこ』, 第5巻「百日咳」,p.83-86)。しかも、その結果として弟はなんと3歳にして夭折してしまうのですが、矢口先生のこの悲痛な経験は、ワタクシの見る限り今回ご紹介する昭和版『釣りキチ三平』の最終章「釣りキチ同盟」の物語にも強く反映されています。もしかすると、一平じいちゃんには矢口先生が「こんな優しいじいちゃんだったら良かったのになあ……」という思いが込められているのかもしれませんね。
9)魚紳さんについては、昭和版と平成版の『釣りキチ三平』が終了した後、立沢克美先生(原作者は矢口高雄として記載)によって『バーサス魚紳さん!』というスピンオフ作品が連載されて人気を博しました(『イブニング』, 講談社, 2018-2020)。尚、この「魚紳」という名前は、矢口先生が銀行員時代に偶然出会った有名な釣り師のペンネームがモデルとなっています(『9で割れ!!』 第3巻「ふてくされた転勤」, p.126-135, 講談社, 2005)。
10)『釣りキチ三平』に出てくる正治君とは容姿こそ異なりますが、『オーイ!! やまびこ』では、矢口先生が「家も隣で生年月日もボクより5日遅いだけという、まさに竹馬の友」と語る親友、加瀬谷正治が登場しており(『オーイ!! やまびこ』第1巻「初恋」, p.120)、おそらく彼がモデルではないかと考えられます。尚、注1で述べたバチヘビ(ツチノコ)に矢口先生とともに遭遇した人物でもあります。
11)『オーイ!! やまびこ』では矢口先生が銀行員の時代に祖父が亡くなった場面が出てくるのですが、そこではカマではなくナタ(鉈)が枕飾りのひとつとして供えられています(『オーイ!! やまびこ』 第7巻「横座PARTⅡ」, p.166)。もしかすると、そのときにカマがなかったために代用品としてナタを用いたのかもしれませんが、いずれにしてもこのようにカマやナタ、もしくは包丁や剃刀などの刃物を枕飾りに用いるのは全国的に広く見られる風習でした。現在では、あえて刃先を鈍らせた葬具専用の守り刀を葬儀屋さんが用意してくれることが多いかもしれませんね。ただし、浄土真宗系の宗派では用いないことが一般的です。
12)この最終章が連載されていた時期は1980年代前半(昭和50年代後半)ですから、すでに葬儀屋さんのサービスは全国の津々浦々に浸透し始めていた頃です。しかし作中で「こんな場合、都会ならばほとんど葬儀屋さんがやってくれるらしいけど、おらの村ではなにからなにまで村人たちの手でおこなわれる」という三平君の述懐が出てくるように、『釣りキチ三平』では葬儀屋さんは一切登場せず、おとむらいの全てを村の人びとが請け負っています。
13)本当はこの最終章を全編にわたって画像でお見せしたいところなのですけれど、当然ながらそんなコトをすれば著作権どころの問題ではなくなってしまいますので……ぜひ皆さんご自身で手に取って確認してみてくださいね!
14)ご存知の方も多いと思いますが、葬儀や埋葬・火葬に関する基本的法律のひとつに「墓地、埋葬等に関する法律」(通称:墓埋法)というものがあり、その第3条に「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠7箇月に満たない死産のときは、この限りでない」と定められています。ただし、条文に書かれているような死産の場合や、あるいはコロナ禍のときも話題に上りましたが特定の感染症の場合などは、死後24時間を経ずに埋葬・火葬をおこなうことが可能です。
15)あの東日本大震災で生じた遺体を土中に「仮埋葬」したケースでも同様でした。このあたりの経緯に興味のある方は、拙稿「震災とデス・ワーク:葬儀業による死後措置プロセス支援の展開」(関谷雄一,高倉浩樹編:震災復興の公共人類学 福島原発事故被災者と津波被災者との協働, 第10章,p.263-288, 東京大学出版会, 2019)が参考になるかもしれません。
16)現在では通夜と葬儀の両方にお坊さんを招くことが通例ですが、三平君の村では通夜にお坊さんを呼ぶことはなかったようで、読経をあげる代わりに近しい人びとが総出で集って納棺をするということが、すなわち通夜であったという様相がうかがえます。
17)葬儀が行われることを、そして葬儀に参列してほしいということを「ふれて回る」もしくは「知らせる」わけですが、そのため、単に「フレ」や「シラセ」と呼ぶこともありました。三平君=矢口先生の村では少し格式張って「忌布令(きぶれい)」と呼んでいたようで、さらに作中では「忌布令とは、『本日、葬式が行われるのでどうぞご参列下さい』というよびかけで、おらの村では葬式当日の朝、一軒ごとに村全体にふれてまわる。しかも、これにより村人は一戸から一人以上かならず葬式に参列するのもしきたりである」という説明を加えています。前回ワタクシは、『釣りキチ三平』をはじめとする矢口マンガの多くが精緻な農村民俗誌になっていると書きましたが、その理由がお分かりいただけるのではないでしょうか。
18)一般的には何事につけて「お日柄の良い」のは晴れの日と思われていますが、葬儀に限っては雨や雪なども逆に縁起が良いとされていました。作中でも、「葬式の日に初雪とはまことにめでてえこったな」「一平じいさんの人徳のたまものじゃよ」という村人のセリフが出てきます。





