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第30回:縁起が悪い、だけじゃない

第30回:縁起が悪い、だけじゃない

2025.12.11田中 大介(自治医科大学医学部・大学院医学研究科 教授)

 今年の7月に厚生労働省が公表した最新の統計データ1)によると、2024年時点の平均寿命は男性が81.09歳、女性が87.13歳。1975年時点では男性が71.73歳で、女性が76.89歳でしたから、ほぼ半世紀で男女ともに10歳近く寿命が延びたことになります。何はともあれ長寿は喜ばしいと思いたいものの、昨今は年金や医療をめぐる問題など、少子高齢化に伴う暗いニュースばかりが報じられて、おとむらいも長年にわたる人生の最期に待ち受けるタスクのように捉えられている感もありますよね。それ以前に、おとむらいというと、どうしても縁起が悪い、忌むべき出来事というイメージで語られがちなことも事実ではないでしょうか。

 でも、おとむらいをむしろ縁起が良い出来事として扱ったり、あるいは亡き人を偲びながらも「よくぞ生き抜きましたね、おめでとう」とお祝いして送り出したりするような習俗もかつては結構存在していました。何となれば、今日でも根強く残っているのです。今回は、そんな風習を探すフィールドワークに出かけてみることにしましょう。

亡き人にあやかる

 そう言えば第7回でも、タクシーの運転手さんやスポーツ選手などには「霊柩車を見かけるのは縁起が良い」なんていうジンクス2)があるという話をしました。この他にも、たとえば飲食業界では「葬式帰りのお客さんや、喪服を着たお客さんが来店するのは千客万来の前触れ」と言われていますし、漁師さんにも「エビスさんを見つけたら、その後は大漁になる」なんていう言い伝えがあります。ちなみにエビスさんというと、多くの方々は鯛を抱えて釣り竿を持った、いかにも福々しいカミサマの姿を思い浮かべると思いますが、この場合のエビスさんとは「水死体」3)のことですので念のため……。

 いずれにしても、これらは「あやかる」、すなわち「好ましい状態にある人の影響が及んで、自分も同じような状態になる」4)ための験担ぎ(げんかつぎ)と言えるのではないでしょうか。そしてまた、とりわけ長寿でお亡くなりになった高齢者の葬儀で出された引き出物や、その葬儀で用いられた物品などは非常に縁起が良いものとされ、かつては葬儀が終わった後に会葬者で奪い合いになることすらあったそうです。もっとも、それは本気で殴り合いのケンカになるようなものではなく、強いて言えば結婚式のブーケトスにも似ていると言えるかもしれません。一般に、ブーケトスとは新婦が後ろ向きで放り投げたウェディングブーケを未婚の女性ゲストたちが競って奪い合うものですが、それは新婦にあやかって「次は私が幸せな結婚を!」という願いを込めて行われるものですよね5)。それと同じように、長寿の末に大往生を遂げたお年寄りが持つパワーにあやかって、自分も長生きして幸せな最期を迎えたい……そんな願いが、この「あやかる」という行為には込められていると言えるでしょう。

 それでは、先ほど「高齢者の葬儀で出された引き出物や、その葬儀で用いられた物品などは非常に縁起が良いものとされ」と書きましたが、引き出物はさておき「物品」とは具体的にどのようなモノを指すのでしょうか。これに関してはもう多種多様ではあるのですが、生老病死の節目ごとに行われる儀礼や民俗の研究について顕著な業績を挙げてきた民俗学者の板橋春夫氏は次のような事例を挙げています。

高齢者の年祝いに出された引き出物の一部を何かに用いたり、高齢者の葬式に使用したものを身に着けるなど、長命にあやかりたいという意識のもとに成立した習俗が多数ある。たとえば群馬県安中市では、高齢で亡くなった人の名を書いたメイキ(銘旗)は縁起がよいといって、すぐにもらい手が出る。この小さく切った布切れを持っていると長生きをし病気にもかからないという。(中略)福島県いわき市勿来では、老人の葬式の際、寺院へ持っていく四十九餅や棺に取り付けた善の綱と呼ばれる綱を人々が競って奪い合う。長命にあやかりたいからである。山梨県河口湖周辺では、長生きした人の葬式で棺に巻いた布を長生きのお守りにもらう習俗がある。埼玉県では(中略)花籠はゼニカゴ(銭籠)ともいい、籠の中に小銭のオヒネリを入れて喪家から寺院や墓地までの道中でこれを振って銭を撒く。長生きした人のものを拾うと縁起がよいといわれ、衣服に縫い付けてお守りにした。6)

 補足すると、上記の引用に出てくる「メイキ」とは葬列に用いる葬具のひとつで、故人の名前や役職などを記した幟(のぼり)のような旗のことですが、葬列が廃れた現在でも式場に掲げられている場合があります。そして「善の綱」は第28回で、「花籠」は第26回で、それぞれ登場しましたよね。このように、長寿で生涯を終えた人の葬儀は、さまざまな縁起が良いアイテム、すなわち縁起物を通じて亡き人にあやかる機会とも捉えられていたのです。

長寿銭

 ところで、縁起が良い「色」は何かと問われたならば、おそらくほとんどの方は「紅白」を思い浮かべるのではないでしょうか。そして第5回で「お葬式のときに赤飯を炊いたり、紅白の饅頭を会葬者に配ったりすることが慣習になっている地域もある」なんて述べたように、高齢で亡くなった場合は弔事であると同時に「長寿祝い」の慶事でもあると考えて、紅白の色で祝うという習俗も昔は珍しくなかったのです7)。もっとも、今では葬儀で紅白の色を見かけることはガクンと減ってしまいましたが、それでも頑張って(?)その名残を留めている習俗もあります。

 その代表選手が、長寿銭(ちょうじゅせん)。何だか今回は以前のコラムを引き合いに出してばかりですが、先述した「花籠」に第26回で触れた際に、この花籠で銭を撒く習俗が変化して長寿銭となったと述べました。実はこの長寿銭に関しても前述の板橋春夫氏が綿密な研究を重ねてきたことで知られているので、まずはその言葉を借りて長寿銭とは何かということを示しておくと、「長寿銭は百歳近くで亡くなった長寿者の葬式で配られる。祝儀用小袋に百円硬貨、五円硬貨などが入っており、もらった人は財布に入れたり神棚へ挙げたり、まるで縁起物の種銭のような扱いである」8)といったものになります。

長寿銭

 皆さんは、葬儀に参列した際に長寿銭をもらったことがあるでしょうか? それぞれの地域で様式も若干異なりますが、上図の左のように紅白の祝儀袋の中に硬貨を入れて、返礼品と一緒に会葬者に配ることが最も一般的かもしれません。また、その場合は「故人から会葬者の皆さんへ」という意味合いを込めて贈り主は故人名として、享年の年齢を添えることが多いようです。一方、管見の限りとはなりますが、上図の右のように会葬礼状にポチ袋サイズの祝儀袋を貼り付けることもあり、この場合の贈り主は喪家や喪主の名前とすることが多い気がします。会葬礼状の名前と揃えているのかもしれませんね。

 板橋氏によると、かつての葬列で行われていた花籠(撒き銭)には「死のケガレを分配する」、つまり死という忌むべき出来事を皆で分散して浄める・祓うといった感覚があったのに対し、それが変化した長寿銭は「長寿を媒介にケガレを転換した長命・富貴の分配と考えられる」、そして「長寿銭を保存するのは長寿にあやかるという意識がある。カバンや財布などに入れて持ち歩くのは、お守りを持つ感覚に似ている」という点で違いがあると述べています9)。長寿を成し遂げた人が持っている生命力のおすそ分けにあずかろう……そんな思いも垣間見えますよね。

 とは言え、冒頭に述べたように現在は男女ともに平均寿命が80歳を超えた時代。唐の詩人であった杜甫(712-770)はかつて「人生七十古来稀(まれ)なり」と詠み、70歳の長寿祝いである古稀(こき)もその句に由来していますが、今や多くの人が古稀どころか喜寿(77歳)も傘寿(80歳)も超えて長生きする社会が到来しました。さて、これをお年寄りが珍しくなくなってしまった時代と捉えるか、それとも長寿の生命力が社会の隅々に広く行きわたった時代と捉えるか。おとむらい研究者のワタクシとしては、やっぱり後者のように「お年寄りになってもイキイキとその力を下の世代に分け与えることができて、最期には周囲から偲ばれつつも、祝って送り出してもらえるような社会」になればイイなあ……と思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。


1)厚生労働省:令和6(2024)年簡易生命表,2025年7月25日公表,https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life24/index.html (最終確認:2025年11月25日).尚、ご存知の方も多いと思いますが、平均寿命とは厳密に言うと「0歳時の平均余命」を指します。たとえば今回参照した統計は2024年時点のデータですから、この場合の平均寿命とは「2024年に生まれた人びとは、男性ならば平均して81.09歳まで、女性ならば87.13歳まで生きることができるでしょう」ということを意味します。したがって、結構多くの方々が誤解されているのですが、「2024年にお亡くなりになった人びとの平均年齢」や「2024年の時点で生きている人びとが、大体このあたりでお亡くなりになる年齢」ではありません。
2)日本ではジンクスというと縁起が「良い」「悪い」のどちらにも当てはまる意味合いで使われているので本文でも用いていますが、本来の英語(jinx)では縁起が悪くて不吉なことのみを指します。
3)一般にエビスというと、七福神の一柱であるエビス(恵比寿)を指すことが多いですよね。そのお姿はビールのブランドで有名ですが、その他にも色々な姿や由来で語られることが多く、なかなか一言では表せない複雑なカミサマでもあります。概して海のカミサマである点では共通しているものの、たとえば古事記や日本書紀に登場する国産み神話で有名なイザナギとイザナミとの間に生まれた最初の子でありながら、異形の姿で生まれついてしまったために海の彼方へと流されてしまったヒルコ(蛭子)と同一視する事例も多く、漁師さんが水死体のことをエビスと呼ぶのは、どちらかと言えばこのヒルコをイメージしているのかもしれません。尚、現在では水死体を見つけたら、漁師さんであろうがなかろうが原則的には海上保安庁や警察に連絡する義務があります。そんな事情もあって、ワタクシが各地の漁港で聞いた限りでは、水死体を漁師さん自身が海から引き揚げるか否かは「時と場合によるかなあ……」というのが最も多い回答でした。
4)三省堂:大辞林,第4版,2019
5)ウソのようなホントの話ですが、ワタクシが以前に招かれた結婚式でブーケトスが行われた際に、新婦が投げたブーケがあまりに見当違いの方向に飛んでいったため、結婚式場のスタッフの女性がそれを受け取ってしまったことがありました。その場にいた一同が「あわわ……」となってしまったのですが、実はたま~に起きる事態らしく、そのスタッフは何事もなかったように「じゃあ、今のは“練習”ということで!」と告げて、めでたく仕切り直しとなりました。ところがどっこい、そうは問屋が卸さなかったのです。今度は確実に受け取れるように、新婦の真後ろに女性ゲストの皆さんが並んだところ、大谷選手ばりの剛速球でブーケが飛んできて、それをゲットしようとした女性の顔面を盛大に直撃してしまう大惨事に! たぶん、新婦は一生そのことを言われ続けるんでしょうね……。
6)板橋春夫:誕生と死の民俗学,p.183,吉川弘文館.文中における引用表記は省略。ちなみに板橋春夫氏は、本文で述べたような「あやかる」という行動をめぐるさまざまな民俗を精緻に研究したことでも知られています。
7)ただし、この「葬儀に赤飯」の習俗はちょっとばかり複雑なのです。というのは、たとえばお祭りの前に身を浄める目的で食べるなど、特に祝儀か不祝儀かで分けることなく、何らかの儀礼的な節目のときに赤飯を食べるという地域も少なくなかったから。つまり、葬儀に赤飯を食べるという習俗が残っている地域であっても、「昔から故人が長寿の場合に限っていた」、「昔から特に故人の年齢を問わなかった」、そして「昔は特に故人の年齢を問わなかったが、葬儀=黒白のイメージが浸透してくるにつれて長寿の場合に限定するようになった」というように、複数のプロセスが存在するのです。
8)板橋春夫:長寿 団子・赤飯・長寿銭/あやかりの習俗(叢書・いのちの民俗学2),p.47,社会評論社
9)上掲8:長寿 団子・赤飯・長寿銭/あやかりの習俗,p.257-258

田中 大介

自治医科大学医学部・大学院医学研究科 教授

たなか・だいすけ/1995年に金沢大学経済学部経済学科卒業後、三菱商事株式会社入社。6年間の商社勤務を経て2001年に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に入学し、修士課程および博士課程を修了して博士(学術)取得。早稲田大学人間科学学術院などで教職を経て、2020年に自治医科大学医学部・大学院医学研究科教授に就任。専門は文化人類学・死生学。大学院生時代は葬儀社に従業員として数年間勤務するというフィールドワークを展開し、その経験をもとに執筆した『葬儀業のエスノグラフィ』(東京大学出版会,2017)をはじめ、主に現代的な葬制への関心を通じて「死をめぐる文化」の調査研究を進めている。

企画連載

おとむらいフィールドノート ~人類学からみる死のかたち~

人間が死ぬってどういうことなんだろう……。このコラムでは、人類学者である筆者があれこれと書き留めていくフィールドノートのように、死・弔い・看取りをめぐる幅ひろく豊かな文化のありかたを描き出していきます。ご自身が思う「死」というものを見つめ直してみませんか。

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