「光陰矢の如し、月日は走馬の如し」と古来言われているように、時の過ぎるのは早いもので、このコラムも3回目の年明けを迎えることになりました。いたずらに馬齢を重ねるだけで、何を語っても読者の皆さんに馬耳東風で聞き流されてしまうという事態にならないように、気を引き締めてまいりたいと思います。本年もどうぞご愛顧のほどを。
さて、正月からすでに馬脚をあらわしてしまいましたが、何はともあれ今年の干支は午=ウマ。考えてみれば、昨年の巳年ならば「古来、いわゆるアスクレピオスの杖1)のように、蛇は死と再生の象徴と言われておりまして」とか、さらにその前の辰年ならば「龍をモチーフにした龍頭(たつがしら)という葬具がありまして」とか色々とネタがあったのに……と少しばかり悔やんでしまいましたが、でも大丈夫! むしろ蛇や龍よりも、馬のおとむらいにまつわる話題のほうが、現在でも私たちの身近に転がっていたりするのですから。
馬頭観音
皆さんは「観音様」というと、どんなお姿を思い浮かべるでしょうか。一般的には、男女どちらにも見えるような中性的で穏やかなお顔の、ふんわりとした優しいイメージといったところに落ち着くような気もします。しかし観音様も色々とタイプがありまして、なかにはこのように怒髪天を衝く様相の荒々しい観音様もいらっしゃるんですよ。
この観音様は馬頭観音(ばとうかんのん)と呼ばれており、馬の顔をしたハヤグリーヴァというヒンドゥー教のカミサマが仏教に混ざり合ってわが国に伝わったという説が今のところ有力で、観音菩薩のさまざまな化身のうちの一つとされています。全身像だけではちょっと分かりにくいので、白黒でコントラストを出したお顔のアップを添えましたが、まさしく頭にお馬さんが鎮座しているのが見えますよね。そして皆さんのなかにも、以下の図に挙げた馬頭観音の石仏や石碑と同じようものを見たことがあるという方も多いのでは。
実はワタクシの生まれ育った地域にも、この馬頭観音が随所にありました。何しろ小学生のときには「学校の近くにある馬頭観音を探してみよう」なんていう授業があったほど。そう言えば「ボクの家の近くにもありました!」なんて担任の先生に喜び勇んで報告したら、「残念! これはフツーのお地蔵さんだね」なんて言われてションボリしたような記憶もありますが、たしかに一見すると石仏の場合はお地蔵さんのように見えなくもありません。まあ、別に何の落ち度もないのにフツー呼ばわりされて地味キャラ扱いされてしまうお地蔵さん2)が一番かわいそうな気もしますけれど……。
閑話休題、どうしてこんなに馬頭観音のお姿を各地で見かけるのでしょうか。それは、わが国の根幹をなすと言っても過言ではない農業と深~い関係があります。時代と場所によって異なるものの、田畑を耕す作業をはじめ、概して農作業には牛馬を労働力として用いることがつきものですよね。そう、馬頭観音の多くは、そのような馬たちを供養するために建てられたのです。
動力農機具が普及しはじめる昭和30~40年代までは、農耕に牛馬が盛んに使われていた。とくに馬は、農家の貴重な労働力であり、家族と同様な扱いをされた。また運送業者の馬車引き・駄賃付けの人々も馬を大切に飼い育てていた。こうした家畜の代表である馬の健康と安全を祈り、死んでいった馬の霊を供養するために建てたものが馬頭観音の碑塔である。3)
というわけで馬頭観音が建っている場所の多くは、人間たちを助けて仕事をしてくれた馬がその人生……じゃなかった、馬生(?)を終えて葬られる場所でもありました。その他にも、荷物や人間を載せた馬たちが行き交う街道沿いや、あるいは家の敷地内に建てられる場合も少なくなかったようです4)。いずれにしても、これらの馬頭観音の石仏や石碑は全国の津々浦々で見かけるものですが、馬が私たちの生活にとっていかに身近な存在であったかということがうかがえるのではないでしょうか。
動物供養
一方で、馬は農耕や運送といった労働を助けてくれるだけでなく、その他にも色々な場面で人間と関わっていました。
その最たるものが、戦争。日清戦争から太平洋戦争に至るまで、日本が外国に派兵した戦争では多くの馬が軍馬として徴発されました。血で血を洗うような惨劇を経験したのは、人間だけではなかったのです。そのような極限状態のなかで、馬はまさしく人間の命を支えてくれる仲間であり、時には人間以上に心を通じ合わせる存在でもあったことは想像に難くありません。そして悲痛極まりない話ではありますが、そんな馬たちを泣く泣く現地において殺処分せざるを得ない場合もありました。その恩に報いるとともに、残念ながら生きて帰ることのできなかった馬たちを供養するためのモニュメントもまた、前述の馬頭観音と同じく全国各地に建てられて戦禍の名残を今日に伝えています。たとえば東京の靖国神社にある戦没馬慰霊像などを見たことがあるという方も多いのでは5)。福岡県北九州市の勝山公園にあるモニュメントを例として以下に挙げておくことにしましょう。ちなみに、左側にある「軍馬忠霊塔」の馬は、「戦場で傷つき、置き去りにされ、立つ事も出来ず、首をもたげて進軍を振り返る姿」6)と伝えられています。こんな姿を目の当たりにすると、誰しも二度と戦争なんて繰り返しちゃいけない……と思うはずですよね。
とは言え、以前と比べて現代では馬を労働力として用いることが非常に少なくなりましたから、実際に馬に触れるどころか、見かけることすらない……という読者が多くを占めるような気もします。しかし、なかには「いつも会ってるよ!」という方もいらっしゃるはず。
でも、いつ行ってもお馬さんに会える場所なんて、牧場以外にどこかありましたっけ? いやいや、あるじゃないですか。そう、競馬場です。これもまた、馬にとっては労働というか「お仕事」には違いありませんが、いずれにせよ色々な意味で全身全霊(とお金)を賭けて馬を愛しているという人びとは一定の割合に上るはず7)。実をいうとワタクシ自身は競馬を嗜まないので、あまり競馬についてあれこれと語る資格はないかもしれませんが、いずれにしても人間たちの心を躍らせてくれた競走馬にも最期のときが来ます。そんな馬たちの功績をたたえ、その霊を弔って慰めるためのモニュメントもまた、各地の競馬場や関連施設の一隅にひっそりと構えられていることが多いようです。以下に挙げたのは東京都府中市の東京競馬場にある「馬霊塔」というモニュメントで、その脇には往年の名馬たちの墓石が並んでいますが、墓参りのように通っている競馬ファンも結構いらっしゃるのだとか。
ところで、第22回 のコラムでは針・包丁・筆などの「モノのおとむらい」について紹介しました。このような人間以外の存在に対するおとむらいのなかで、特に今回述べた馬をはじめとするさまざまな動物のおとむらいは、しばしば「動物供養」と呼ばれています。この動物供養についても昔から多岐にわたる民俗が伝えられており、次回以降のどこかで触れたいとは考えているのですが、最後にごく一部ながら動物供養の事例を紐解いておきましょう。
山形県庄内地方から新潟県下越地方にかけての漁村部では、鮭が千尾捕れるごとに千本供養塔と呼ばれる卒塔婆(そとば)を立てる。これは「鮭千本で人を一人殺したのと同じ」とされるためであり、これと同様のことは西日本の狩猟者にも見られ、千匹塚と呼ばれる猪などの供養塚が作られた。捕鯨に関しても供養は盛んで、瀬戸内海西部から豊後水道にかけて鯨墓が多く分布し、愛媛県西予市金剛寺、大分県臼杵市大橋寺などには鯨の過去帳が、高知県室戸市中道寺には位牌が残されている。8)
動物愛護の精神といった思想を持ち出すまでもなく、卒塔婆や塚どころか、位牌や過去帳まで作っておとむらいをするというのは、やはり動物たちが私たち人間と同じ「いのち」を宿しているのだという思いを、そして「生まれ変わってまた会えますように」という思いを、生活や仕事のなかで感じ取っていたからに他なりません(動物たちからは「また人間に食べられたりコキ使われたりするのはまっぴらゴメンだ!」と言われそうですけれど……)。私が勤務する自治医科大学をはじめ、実験動物を扱う大学や研究所でも動物たちの慰霊碑を設けていたり、毎年決まった時期に慰霊祭を催したりしていますが、この世の中には人間を支えてくれるさまざまな動物がいるということを、そして人間もまた数多くの「いのち」の一つでしかないのだということを、いつも心に留めていたいものですね。
2)ちなみに、「お地蔵さん」と呼ばれているのは地蔵菩薩のこと。馬頭観音と同じように元々はヒンドゥー教で崇められていた大地のカミサマに由来すると考えられており、ちょこんと道端にある石仏や石碑のお姿もどことなく馬頭観音に相通ずるものがありますね。しかし、その小さくて愛らしいイメージとは裏腹に、仏教の教えでは、お釈迦様がこの世を去ってしまった後に次の仏様がやってきて世界を救うまでの間、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のどこにでも現れて衆生(しゅじょう)を救ってくれるという、メチャクチャありがたくて物凄い力を持ったお方なのですよ。
3)国分寺町史編さん委員会:国分寺町史(民俗編),p.269,国分寺町(現・下野市)
4)ただし道路や住宅の造設にともなう工事などによって本来の場所から移設されている場合も多く、それは馬頭観音に限らず比較的小規模な石仏・石碑に共通しています。
5)靖国神社には犬(軍犬慰霊像)や鳩(鳩魂塔)など、馬以外で戦争に徴発された動物たちのモニュメントもあります。
6)福岡県北九州市 時と風の博物館, https://www.kitakyushu-museum.jp/resources/3601(最終確認:2026年1月6日)
7)競馬は当然ながら公営ギャンブルの一つではありますが、特にお金を賭けることなく、ただ馬が走るのを眺めて楽しむためだけに競馬場に通うという方もいるようです。たしかに馬が勇ましく、あるいは華麗に疾駆する姿って、それだけで魅力的ではありますよね。
8)菅豊:動物供養.民俗小辞典 死と葬送,新谷尚紀,関沢まゆみ(編),p.282,吉川弘文館,2005


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