学び考えることへの関心が強く、教員の道へ
幼稚園児のころ妹を亡くした。終戦後アメリカの統治下にあった当時の沖縄は医療体制が整っておらず、「もっと身近に医療があれば妹は助かったのかもしれない」と幼心に思ったことをきっかけに、気付けば保健師を志すようになっていた。その後、県立の看護学校を卒業して公立病院に就職した。
勤務7年目を迎えた時、那覇市医師会那覇看護専門学校の副校長から「看護学校の教員になりませんか」とお声かけを頂いた。学生と一緒に学び考えること、教育や勉強への興味関心も強かったので、家族とも相談し、看護教員としてのキャリアをスタートさせることに決めた。
授業設計へのとまどいと年上の学生
教員になりたての頃はまさしく苦労の連続だった。臨床時代には耳馴染みのなかった言葉に困惑し、当時学校に導入されたばかりのワープロ操作に右往左往する毎日。しかし、やはり一番迷い悩んだことは「授業を組み立て、教えることの難しさ」であった。
教員として初めて担当した准看護学科の学生は、ほとんどが私よりも年上で、多くは看護助手を経験しており、中には自分以上に長い臨床経験を持つ学生もいた。彼らの豊富な看護の経験知をどのようにしたら意味づけていくことができるのか。そのための板書の構成方法、説明の仕方や問いかけ方、答えの伝え方、すべてが手探りだった。中学校や高校での教員経験がある学生が何人もいたから、「経験のない自分が考えても、わからないものはわからない」と教育に長けた彼らにも様々な教えを請うた。今にして思うと、どちらが教員でどちらが学生か分からないような状況だったが、そのような中で、教え学び合う環境をつくっていたように思う。
看護を考えるきっかけとなった看護師の言葉
教員人生をスタートしたころ、当時まだ1歳にもならない私の子どもは、体が弱く障害をもっており、入退院を繰り返していた。一年の半分以上は病院から出勤し、どうしても忙しい時は実家の家族に子どもの付き添いをお願いすることもあった。
ある日の夜、疲れのあまり寝入ってしまい、子どもの点滴が抜けているのに気が付かず、出血させてしまった。夜勤の看護師からは「お母さん、なにを見ていたんですか」と厳しい言葉をかけられた。病室から出て泣き続ける子どもを病棟の廊下の隅であやしながら、私の涙も止まらない。頭の中を駆け巡るのは「子どもに申し訳ないことをした」「夜勤の看護師に手間を取らせてしまった」というふがいなさと自責の念だった。
この時の経験をきっかけに、「看護ってなんだろう?」と考えるようになった。療養生活とはなんだろう。子どもが回復に向かうために、私は何をしなければならなかったのだろう。患者が安心して療養生活を送るためには、それを支える家族が穏やかであるほうがよいのではないか。そうであれば、看護が対象とするのは患者当人だけではないのではないか、と患者や家族の背景にも目を向けることの大切さに気が付いた。そして、このことをこれから看護師として育っていく学生に伝えたい、彼らと一緒にもっともっと看護を考えていきたいと強く感じるようになった。どんなに大変でもまだまだ看護教員としてがんばっていこう、と思いを新たに、私は教員であり続ける決意を固めた。
学生が自ら一歩を踏み出せる力
“学生と一緒に考える”というスタンスは、今日まで看護教員としての私の礎であり続けた。所属先の学校に3年課程の看護学科が開設され、これまでに対象としていた学生と異なるレディネスである高等学校の新卒者に教えるようになってからも、そのスタンスは変わらなかった。
コミュニケーションがとれない、学習の積み重ねが難しい、知識と実践を結び付けることが難しいなど、さまざまな課題を抱える学生たちとも出会った。苦手なことがある彼らは、いつも自分の「できなかったこと」を反省していた。彼らの姿を見て、ほんの小さなことでよい、とにかくひとつでも多くの成功体験を積み重ねてもらいたいと強く思った。
他病棟の指導者も交え、知恵を持ち寄る
実習機会の積み重ねを経て、指導者とのていねいな対話や意見交換も意識するようになっていった。
ある時、ある課題の大きな学生を受け持つ指導者が「他の病棟の実習はどうでしょうか。指導に悩んでいるのは私だけでしょうか」と不安をふとこぼしたことがあった。そこで担当教員とその臨床指導者だけでなく、他病棟の臨床指導者にも参加してもらい、指導者会議を開いた。臨床指導者たちは自分のことのように親身になって、課題を抱える学生について考えてくれた。その学生の強みと課題は何か、学生はどうなりたいと思っているのか、患者の思いは何か、この実習(経験)から何が学習できるのか……みんなで知恵を持ち寄って考えることで新たなアイデアが生まれ、それをもとにかかわり方の方向性を決めた。私も指導者への声かけを欠かさず、学生とのよいかかわり方が見られたらその場で本人にフィードバックするよう心がけた。
その結果、指導者から「こういうかかわり方を持ってみようと思うのですが」といった提案が増えていき、学生とのかかわり方がどんどん前向きに変わっていった。学生もそれに連動するように生き生きし、学生が自分の成長を感じてポジティブな発言が増えた時は、本当にうれしかった。
教員はパイプ役であり、エンパワメントを支援する立場
こういった経験を経て、教員は学生と指導者をつなぐパイプ役となり、同時に学生と指導者双方にエンパワメントを支援する役割を担うのだと実感した。学生とは、対象者によりよい看護を提供するため、あるいは彼らが一歩踏み出すためにはどうしたらよいのかをともに考える。指導者とは、学生が対象者によりよい看護を提供するため、学生が自分の成長を感じて自信につなげるためにどのようなかかわりができるのか、その方向性を一緒に考える。最後に教員がそれらをつなぐことで、学生の成功体験につながる、達成感のある実習ができるのだと思っている。
大人として自らを導き、自ら学ぶ「成人学習者」を支える
私は学生たちを「成人学習者」と捉えてきた。彼らはこれから社会に出て、大人になっていく。だから教員がああしろこうしろと口を出すのではなく、自分でどうなりたいかを考え、自らの課題を振り返り、失敗や成功を糧にして「それならば今度はこうしよう」と次の実践に活かすことが、成人学習者たる学生の学び方なのではないかと思っている。そして教員とは、大きな力を秘めた学生たちが成人学習者らしい学びを得られるよう、またよい看護を提供できたり自分自身の成長を感じられるよう、支援し後押しする、黒子の役割を担う者なのではないだろうか。
看護教育とは、看護について考えること。教育に携わって30年間、目の前のことに一生懸命、学生とともに精いっぱいやり通してきた。今に至るまでの実践を経て、私なりに“看護教育とはなにか?”と改めて自らに問い導き出した、ひとつの答えである。