看護教育のための情報サイト NurSHARE つながる・はじまる・ひろがる

第24回:スマートに人間の内面と社会全体を改良する~功利主義の精神~

第24回:スマートに人間の内面と社会全体を改良する~功利主義の精神~

2024.12.26川瀬 貴之(千葉大学大学院社会科学研究院 教授)

 前回、義務論と帰結論の対比を論じたが、功利主義こそ後者の陣営の旗手であるだろう。「最大多数の最大幸福」というスローガンを聞いたことのある方も多いと思う。今回は、この功利主義が、どのような精神や態度の主張なのかを見てみたいのだが、それは近代的進歩主義・合理的設計主義に尽きると言えるのではないか。

死の権力と生の権力

 ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』は、シャルル=アンリ・サンソンによる、ルイ15世暗殺未遂犯ダミアンの処刑の場面から始まる1。フーコーによれば、前近代の国家権力は、頻繁に残虐な処刑を、時にパンとサーカス(見世物)として行う「死の権力」であった。国家は、時に暴力的に、時に理不尽に、民からあらゆる価値を奪うことが多かった。

 これを見た功利主義者は言う。何と愚かな、と。何たる非合理、何たる非効率。このように不整合・無知蒙昧・非人道的で非建設的な暴政で、一体、誰が得をするというのか。誰もが快適で安全で幸福で豊かに暮らせるように、ウェルビーイングとコストパフォーマンスを、スマートにグレードアップする社会にしなくてはならない。

 近代国家の権力は、このような精神で、国民に、その心身を健康・健全に改良し、そのスキルを改善し、社会全体を強く豊かにするよう命じる、「生の権力」である。因習や迷信を、理性と啓蒙の光で払拭し、富国強兵・殖産興業・義務教育・四民平等・社会保障を充実させるのである。

私はすべてを見ている 

 フーコーが、功利主義の精神の現れの典型例として挙げるのが、功利主義の代表的論者であるジェレミー・ベンサムが主張した刑事政策としてのパノプティコンである2。これは、「すべてを見ている」という恐ろしい名の監獄であるが、囚人は独房にあって、他の囚人と意思疎通ができず、中央の監視塔から常時見つめられ続ける。費用対効果を改善する観点から、人件費削減のため監視塔には実際は誰もいないかもしれないのだが、囚人からは監視塔の中までは覗えないので、厳しい制裁を恐れた囚人は、自らの意思で優等生的に振る舞おうとするようになる。このような「規律の内面化」によって、極めて安価に、近代社会が必要とする優等生を大量に生産することが可能になる。

パノプティコンの典型例であるプレシディオ・モデーロの内部  
[〔https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Presidio-modelo2.JPG〕(最終確認:2024年12月11日)より引用]

 パノプティコンは、ディストピア小説に描かれる架空の存在ではない。写真は、キューバのプレシディオ・モデーロという刑務所3のもので、分かりやすい例だが、類似の仕組みは東京拘置所にもあるし、「一方向のみから全体を監視することで規律を内面化させる」という本質を見れば、これは、監獄のみならず、近代社会の隅々に至るまで遍在する。学校・病院・工場・軍隊は、すべてパノプティコンである。たとえば、学力試験において、監督は教室の後ろに立つよう指示がなされることがある。監視を一方向にすることによって、不正を未然に防ぐためである。受験生は皆、自発的に優等生になる。その事実に気づかないくらい、当然のこととして。すべては、快適で幸福な社会のためである。

神(自然)が世界を改良しないのなら、私がそれをやってみせよう

 国民の福利厚生の増進を目指す、近代の生の権力にとって、その一丁目一番地は、医療であった。健康で健全な国民の量産のためには、医学と医療の進歩が必要であり、そしてそのための医学部の設置・医師国家試験による免許制度・医学研究や公的健康保険への巨額の国家予算の投入等、福祉国家による大規模な支援と管理・介入がなされた。そして、現在でもその傾向は加速度を高めている。

 他方、科学としての医学の近代化もまた、牧歌的な町医者の試行錯誤ではなく、疫学・統計学を駆使した大規模な介入と観察を必要とし、これは近代的な福祉国家による支援なしには到底実現不可能なものであった。医療と国家は、それぞれの近代化と進歩、そして社会全体の改良のために、互いに手を携えてきたのである。

 ここで、この近代的な進歩と改良というものが、厄介な概念となる。人間の計画的な設計による進歩は、自然なあるがままの進歩より、望ましいと言えるのだろうか。生物種をはじめ、生成変転する多様な物は、その時々の環境に最もよく適応したものが生き残り、そうでないものは衰退するというのが、進化論による自然淘汰の考え方である。近代において、このような自然淘汰のプロセスがうまく機能せず、環境適応力の低い、つまり質の劣ったものまで生存してしまっているという指摘がなされるようになった。そこで、自然が、優れたものを選択しないのなら、人為により、優れたものを選択すべきだという主張が登場する。優生学である。人為的に健康を増進することを目指す医療は、すべて、この意味での優生学と親和性があると言えなくもないるのだが、中には、劣ったとされる性質を無理やり排除したり、安全性が確証されていない方法で優れたとされる性質を増進しようとしたり、倫理的に非難されるべき優性主義の試みが実践された(されている)ことも事実である。

 こうして、優生学に限らず、功利主義の精神が有する、いわば無邪気な進歩主義と設計主義が、疑問視されることになる。さらには、快適さや幸福など、功利(福利厚生)にしか価値を見出さない福利主義や、最大多数(社会全体)にのみ関心を向け、個人を顧みない集計主義・全体主義という、功利主義の側面にも攻撃が向けられることになった。

***

 次回は、功利主義に対して、どのような批判がなされたのかを、それに対抗する主義・思想を挙げながら、具体的に見ていきたい。


1ミシェル・フーコー著,田村俶訳:受刑者の身体.監獄の誕生〈新装版〉―監視と処罰―,p.7-39,新潮社,2020
 この場面を描いた漫画に、坂本眞一『イノサン』(集英社)がある。
2ミシェル・フーコー著,田村俶訳:一望監視方式.監獄の誕生〈新装版〉―監視と処罰―,p.226-262,新潮社,2020
3現在は閉鎖され、博物館として公開されている。

川瀬 貴之

千葉大学大学院社会科学研究院 教授

かわせ・たかゆき/1982年生まれ。専門は、法哲学。京都大学法学部卒業、同大学院法学研究科法政理論専攻博士後期課程修了。博士(法学)。千葉大学医学部附属病院講師などを経て、2022年10月より現職。好きなことは、旅行、娘と遊ぶこと、講義。耽美的な文学・マンガ・音楽・絵画が大好きです。好きな言葉は、自己鍛錬、挑戦。縁の下の力持ちになることが理想。

フリーイラスト

登録可能数の上限を超えたため、お気に入りを登録できません。
他のコンテンツのお気に入りを解除した後、再度お試しください。