3月に入り、いよいよ新年度の足音が聞こえてきました。キャンパスでは卒業を控えた学生たちが名残惜しそうに過ごす傍らで、私たち教職員は新入生を迎える準備を着々と進めています。
私たち若手の教員にとっては、少し身構えてしまう季節かもしれません。4月になれば、ガイダンス、講義の開始、委員会、そして大量の事務連絡……。怒涛の日々がはじまります。「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と、次から次へと降ってくるタスクに追われているうちに、気づけば一日が終わっている。そんな、まるで自分の時間を誰かに奪われているような感覚や、巨大な組織の歯車としてただ回っているだけのような無力感に、ふと襲われそうになることはないでしょうか。
今回は、そんな忙しい季節を迎える前にこそ心に留めておきたい、「コントロール感(Sense of Control:自分の状況や行動を自分で左右できているという主観的な感覚)」について、自分自身の経験をもとに考えてみたいと思います。
ICUの患者さんが教えてくれた「自分で決められないつらさ」
少し真面目な話になりますが、私は以前、ICUで人工呼吸管理を受けた患者さんが、どのようなことにストレスを感じていたかを調査する研究に携わったことがあります。
ICUを退室した直後の患者さんに入室中のつらさについてうかがうと、「喉が渇く」「挿管チューブがつらい」「声が出せない」といった身体的な苦痛が多く挙げられました。しかし、それらと同じくらい患者さんを苦しめていたものがありました。それが、「コントロールできないこと(Not being able to control myself)」へのストレスでした1)。この結果は、患者さんの語りの中から繰り返し示されたものであり、身体的苦痛と同程度に強い心理的負担として語られていました。
自分の身体なのに思うように動かせない。いつ、どのような処置をされるかわからない。暑いか寒いかも伝えられない。生命の危機的状況下で、自分の置かれている環境や状況に対して、自分の意思で影響を与えられないという「コントロール感の喪失」は、人間にとって想像以上に大きな恐怖であり、深い苦痛となります。
一方、たとえ重症であっても、ナースコールや筆談具を用いて「自分で状況を動かせた」「自分の意思が伝わった」という感覚を少しでも持てたことで、患者さんの表情がふっと和らぎ、治療やケアに対して前向きな反応が引き出される場面を、私は臨床現場で何度も目にしてきました。
人間は、すべてを思い通りにできなくても、自分の人生の舵を自分で取っていたい生き物なのだと思います。
環境を自分で工夫し、最適化していくということ
それでは、私たち看護教員の日常はどうでしょうか。組織の中にいると、自分の力ではどうにもならない制約がたくさんあるように感じます。とくに、キャリアの初期にある若手教員にとっては、なおさらそうかもしれません。
私が大学に異動して真っ先にやったこと。それは、研究室のデスクの椅子を見直すことでした。もちろん、備え付けの椅子はありました。しかし、教員の仕事は想像以上にデスクワークが多く、長時間座り続けることが少なくありません。一方で、腰への負担は集中力や思考の質に直結します。私は自宅では、看護師3年目のときに妻に買ってもらった高機能チェア(図1)を、もう15年以上使い続けています。今でも「最高だな」と思える相棒です。そこで、申請できる研究費を使って、自宅の愛用品とまったく同じ……とは予算の都合でいきませんでしたが、2万円でお釣りがくるくらいの座り心地の良いオフィスチェアを購入しました。これは決して贅沢ではなく、教育や研究という本来業務で最大限のパフォーマンスを発揮するための、必要な環境調整だと考えています。
また、パソコン周辺機器も最適化していきました(図2)。キーボードとマウスは、操作性や疲労軽減を重視したものに変えました。ボタン一つで「進む」や「戻る」、スクリーンショットの撮影機能なども自分に合わせて使いやすくカスタマイズできます。値段だけ見れば、それぞれ1万5千円ほどします。「マウスにそんなに?」と思われるかもしれません。しかし、毎日数時間、年間で何万回とクリックし、タイピングする道具です。使用頻度と、それによって削減される微細なストレスや疲労を考えれば、実はこれは、金額以上に「思考の質」と「疲労の蓄積」を左右する、非常にコストパフォーマンスの高い投資だと言えると思います。
「備え付けのものがあるからそれを使う」のではなく、「自分のパフォーマンスのために、自分の意思で道具を選ぶ」。こうした細部を自分で考え、工夫を積み重ねていくことが、些細なことかもしれませんが仕事へのコントロール感を高めてくれます。
「奪われた時間」を「とても大事な時間」に
もう一つ、私が大きく見直したのが「通勤」です。病院勤務時代は片道20分程度でしたが、大学に異動してからは1時間以上かかるようになりました。往復で2時間以上。単純に考えれば、毎日2時間もの自由な時間が失われることになります。この「奪われた時間」をただ漫然と過ごすのか、それとも自分の意思でデザインするのか。ここにもコントロール感の分かれ道があるように思います。
まず、電車に乗る時間を最適化しました。乗り換え案内アプリを駆使し、乗車する時間帯をいろいろ実際に試してみて、混み具合やスムーズに移動できる車両、ダイヤを把握しました。さらに、降車駅が近づいたらわかるようにアラームをセットするようにしました。これにより、朝夜の電車内の時間が最新の論文をチェックしたり、その日のタスク整理や振り返りをしたり、あるいは週刊少年ジャンプを熟読したりと、何かに「没頭」できる時間になりました。集中していると時間はあっという間に過ぎるので、移動時間を長いと感じなくなりました。ちなみに、「月曜日に週刊少年ジャンプを読むこと」これは小学生の頃から現在に至るまで、私の人生で最も長く続いているルーティンです。
また、大学の最寄り駅から大学までの道のりは、歩くと10分以上かかります。私は大学に異動した年の5月には駅に駐輪場を契約し、自転車を購入しました。たかが10分、運動がてらに歩けばいいのに、と思われるかもしれません。しかし、自転車なら朝、子どもを園に送ってからの出勤でも1限がなければギリギリ始業時間に間に合います。また、徒歩だと夏場は汗だくになり、研究室に着いてから集中するまでにタイムロスが生じます。自転車なら風を切って快適に移動できるというメリットもあります。駐輪場の契約などは少し手間でしたが、そのひと手間をかけることで、「通勤に時間がかかるから、子どもの送り迎えに自分はかかわれない」という状況から「父親役割を果たし、暑い日の朝からでも仕事に集中できる」ように、自分で変えられたと思えます。
「自分の人生を生きている」という感覚
新年度、私たちの周りには、自分では変えられないスケジュールや業務がたくさんありますよね。それでも、使うボールペン1本、マウスの種類、通勤のルート、あるいは「今日はここまでやって帰る」という区切り。そういった細部であれば、私たちは自分の裁量で決定できることがたくさんあります。
コントロール感とは、客観的にどれだけ自由かという数値ではありません。むしろ、「制約の多い環境の中で、どこに自分の裁量を見出せているか」という感覚に近いものだと、私は感じています。細部を自分の考えで動かし、環境を整えていくプロセス。その積み重ねが、「私は逃れようのない何かに流されているのではなく、自分の人生を生きているのだ」という確かな実感につながるのではないかと思います。

……なんて、偉そうなことをつらつらと書きましたが、これだけ準備をしていても、4月半ばにはまた白目をむいて「仕事が終わらない!」と叫んでいる自分の姿が目に浮かびます(笑)。それでも、「まあ、座っている椅子はいいヤツだしな」とか「帰りの電車では没頭できるしな」と思える瞬間があれば、ギリギリのところで心は折れずに済むような気がしています。
これからはじまる怒涛の日々。大きな波にのまれそうになったら、せめてお気に入りのマウスやペンという小さな「操縦桿」を握りしめて。どうせならこの荒波を、自分好みのスタイルで一緒に面白がって乗りこなしていきませんか?
1)高島尚美,村田洋章,坂木孝輔ほか:12時間以上人工呼吸管理を受けたICU入室患者のストレス経験,日本集中治療医学会雑誌 24(4):399-405,2017


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