いよいよ新年度がスタートしました。キャンパスは新入生を迎え、まさにバタバタとした活気にあふれています。そんな怒涛の日々の合間に少しだけ一息つきながら、ふとカレンダーを眺めています。そこには、来年の3月までの講義日程、実習期間、会議の予定がビッシリと埋まっています。教員になって3年経ちますが、この時期になるといつも不思議な感覚になります。「あれ?私、来年の予定まで決まっちゃってる……」と。
そんなわけで今回は、臨床と教育の現場における「未来のつくり方」の違いと、そこから見えてきた「人生の羅針盤」について、少し昔話を交えながら綴ってみたいと思います。
「入り・明け・休み」の疾走感
臨床現場で働いていたころ、私の時間は「1ヶ月単位」で回っていました。「B(ロング)・入り・明け・休・入り・明け・休・休」。この独特のリズムはある種の“呪文”のようなものでした。入りの前に子どもを保育園へ送り、明けでお迎えに行き、休みに大学院に通ったり、執筆やプレゼンの準備をしたり。まさに「てんてこ舞い」の毎日でしたが、張り詰める時間と、息をつく時間の短期的な繰り返しは、ある意味でメリハリがあり、心地よいものでもありました。
毎月、月末が近づくと翌月の勤務表が発表されます。「お、来月はここに連休があるじゃん!」「うわ、この並びはキツいな……」と一喜一憂するあの瞬間。勤務表という枠組みをもとに、パズルを組み立てるように予定を埋めていく時間。よくも悪くも、私たちの生活はその一枚の紙切れを中心に回っていました。15年間もそんな生活をしていると、この疾走感が体に染みついてしまいます。

勤務表から人生を考える
臨床にいたころの生活を振り返ったとき、ふと思い出す言葉があります。修士課程時代の同期であり、当時他病院で看護師長をしていた友人の言葉です(彼女は現在、看護部長として活躍しています)。「私はスタッフの勤務表を作るとき、その人の“人生”を作るつもりで考えてるよ」。この言葉に、ハッとさせられました。たしかに、夜勤の入り方ひとつで生活のリズムが変わります。休みの配置ひとつで、家族と過ごせる時間や、将来のパートナーに出会えるかもしれない飲み会に行けるかどうかが決まります。師長という管理者は、パズルのようにシフトを埋めているのではなく、スタッフ一人ひとりの人生そのものを預かっていたのです。
ただ、当時の私はあくまで勤務表を「もらう側」でした。月末に渡されるその紙を見て、「よし、来月はこう動こう」と考えるだけでした。
では、教員はどうでしょうか。大学のシラバスや実習スケジュールも、多くは組織の決定事項として降りてくるため、ゼロから自分でデザインできるわけではありません。しかし、臨床時代と大きく違うのは、1年という長いスパンであらかじめ「年間の予定」が見えていることです。
だからこそ、戦略が立てられます。たとえば、実習や講義が重なる繁忙期は、目の前の学生に集中する「守りの時期」。ただ、そんな中でも無理のない範囲で、次の研究や企画の「種まき」だけはしておきます。そして、少し予定が空くタイミングで、まいておいた種を一気に育てたり、収穫(形に)したりする「攻め」の時期を設けます。決定された未来であることに変わりはありませんが、事前に予測し、準備ができる。ただ予定に追われるのではなく、乗りこなすための準備ができる点は、教員ならではの時間の使い方だと感じています。
揺らぐ私を導いた「学長の一冊」
この「長期的な視点で計画する」ことの重要性について、ハッとさせられた出来事がありました。当時私は大学院の博士課程に在籍しており、「急性重症患者とシナジーを起こす看護実践モデルの開発」をテーマに研究をしていました。まだ研究計画発表会の段階で、どうにか発表を終えたあとに学長から声をかけられたのです。「坂木さん、『7つの習慣』って読んだことありますか? なかったらお貸ししますよ」。
『7つの習慣』とは、スティーブン・R・コヴィー博士の世界的ベストセラーを指します1)。ご存じの方も多いと思いますが、私の研究テーマにも関連する「シナジーを創り出す」という概念は、この本の「第6の習慣」にも紹介されています。私はかつてこの本を手に取ったことがあったのですが、このときに改めて読み直してみたところ、私の胸に深く刺さったのは、その手前にある「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」という項目でした。
コヴィー博士は、人生をぶれることなく主体的に生きるためには、「人生の終わり」を思い描くことが大切だと説いています。著書の中で彼は、「想像してみてください。あなたがいつか死を迎え、自身の葬儀が行われている場面を」と読者に語りかけます。そして、その会場に集まってくれた家族や親しい友人、仕事のパートナーたちに、自分は「どのような人であった」、あるいは「何を成し遂げた人」と言ってほしいか、とも問います。
自分の価値観や、ありたい姿、作り上げたい人生を「個人の憲法」として描き、その「終わり」から逆算して、今の行動を決めること。それこそが、第2の習慣の実践であると書かれています。学長は、研究計画発表会で怒涛の質問に打ちのめされ揺らぎそうになっている私に対して、研究者として、そして一人の人間として、とても本質的なことへの気づきを与えてくれたのかもしれません。
生意気な学生が描いた「60歳までの年表」
この記事を書きながら、私の脳裏に蘇ったのは、さらに昔、学部生だったころの記憶です。当時、あるビジネス書で「3つのYES」という記事を見つけました。ある有名大学の卒業生を対象に行われたとされる調査の逸話です。卒業直後の学生たちに、次の「3つの質問」を投げかけます。
「明確な目標を持っていますか?」
「その目標を、紙に書き出していますか?」
「目標達成のための、具体的な行動計画がありますか?」
このすべてに「YES」と答えたのは全体のわずか3%。しかし20年後、彼らの総資産額は、「NO」と答えた残り97%の卒業生の総資産額を上回っていた――というものです。
後年、研究者となってから元文献にあたろうと検索しましたが、結局見つけることはできませんでした。信憑性は定かではない「都市伝説」だったのかもしれません。しかし、純粋な大学4年生だった私は、その話に完全に感化されました。そして、総合実習の最終カンファレンスという大舞台で、ベテラン師長や看護部長たちを前に、「坂木孝輔・60歳までの長期計画年表」なるものを堂々とプレゼンテーションしたのでした。
そこには、将来の進学タイミング、結婚、家を購入する時期などが事細かに記されていました。今思えばただの「意識高い系の痛い学生」だったかもしれませんが(笑)、あれは私なりの「第2の習慣(終わりを思い描くこと)」の原体験だったのだと思います。
あれから約20年。改めてその年表を頭の中で広げてみると、大学院進学、結婚、3人の子育て、そして教育の道へ……数年の誤差はあれど、今の私は確かにあのとき描いた年表の延長線上に立っています。あの年表は予言書ではありませんでしたが、迷ったときに立ち返る「羅針盤」として、無意識のうちに私の選択を導いてくれていたのかもしれません。
未来を「つくる」ために
教員の仕事は「ベッドサイドで患者さんのケアに集中する」臨床とは違って、時間の使い方の「裁量」が大きくなります。自由度が高いからこそ、自分の中に羅針盤がないと、目の前の業務という波に流され、ただ漂流してしまいそうになります。
いよいよ始まった新年度。次々と押し寄せる業務の波に、少し圧倒される日々を送られているのではないでしょうか。かくいう私自身も、日々の業務に追われて、ついつい羅針盤を見失いそうになることの連続です。だからこそ、自戒を込めて。忙しい毎日の中でふと立ち止まり、「自分はどこに向かいたいんだっけ?」と問い直す時間を持てたらと思います。「ゴール」から逆算することで、今日という一日の過ごし方が、少しだけ前向きなものに変わる気がするのです。
それにしても、こうして記事を書きながら20年近く前の「年表」のことを思い出しましたが……あー、今思うと本当に恥ずかしいですね(笑)。でも、天下のコヴィー先生も「終わりを描け」と推奨されていることですし、良しとしておきましょうか。
1) スティーブン・R・コヴィー:7つの習慣 人格主義の回復(フランクリン・コヴィー・ジャパン訳),キングベアー出版,2013





