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第4回:忙しいのに、なぜ研究?――“やらされる”が“やりたい”に変わる瞬間

第4回:忙しいのに、なぜ研究?――“やらされる”が“やりたい”に変わる瞬間

2026.02.05坂木 孝輔(東京慈恵会医科大学医学部看護学科 助教)

 2月、3月といえば、看護師国家試験のシーズンですが、4年生にとっては「卒業論文」の集大成の季節でもあります。私の所属する大学では一足早く11月に発表会が終わるのですが、先日、一連のプロセスを終えた学生たちとゆっくり「振り返りの会」を行いました。
 卒論は、学生にとって“やらなければならない課題”として始まることが多いものです。しかし、卒論と丁寧に向き合っていくうちに、学生の表情や言葉に変化が現れます。「やらされている研究」が、「自分でやりたい研究」に変わっていく瞬間が確かにあります。それは教員として見ていても、非常に興味深く、そして嬉しい場面です。

「マジ終わった」からの劇的な成長

 とはいえ、その変化が訪れるまでは苦労の連続です。卒論に取り組んでいる最中、学生たちはよく嘆いていました。「うわ、倫理審査でまたこんなに指摘された……。マジ終わったわ」と。
 私の大学では、「学生の看護研究倫理委員会」というシステムがあり、人を対象とする研究では倫理委員会の承認が必要です。これは、学会発表もできるようにということで作られた本学の素晴らしい制度の一つです。しかし、倫理審査を担当する教員には「1週間で審査結果を返す」というルールが定められています。卒業まで時間が限られている学生にとってはありがたい仕組みですが、教員は短期間で未知の研究計画を読み込み、審査結果をまとめなければなりません。もちろん通常業務も並行しています。
 そのプロセス自体は、私たち教員にとっても研究者としてのよいトレーニングになります。ただ、審査結果を見て大きな声でぶつくさ言っている学生を見ると、つい心の中でこう思うことがあります。
(そのコメントを書くために、教員がどれだけ時間を割いたかご理解されています??)

[生成AIにて筆者作成]

 しかし、そんな学生たちも、論文提出と発表会を終えたあとの「振り返りの会」では見違えるような表情をしていました。「今思うと、最初の段階では先行研究をあまり調べずにリサーチクエスチョンを出そうとしていました。だからテーマの視野が狭く、実現可能性が低かったんだと気づきました」「スケジュールの見立てが甘くて、データ分析に時間を割けなかったのが悔しいです」。ただ課題をこなすという姿勢に見えていた学生が、論文提出と発表会を終えるころには自分の思考プロセスや研究のマネジメントを客観的に言語化し、課題と改善点を自ら見いだしていました。彼女らは、もう立派な「研究者の顔」をしていました。

キャリアの原点となった「本物」との出会い――かつての先輩が、私にしてくれたように

 さらに嬉しかったのは、ある学生の一言です。「協力してくれた施設の方々に、直接お礼に行きたいです」。データを提供してくれた現場の方々への敬意と感謝――研究者として最も大切な姿勢が、自然と育まれていました。私は「それは研究者としてとても大事なことだね。じゃあ、一緒に行こうか」と答えながら、その成長を頼もしく感じました。そして極めつきは、これに続く言葉でした。「先生、この研究を学会で発表したいので、引き続きご指導をお願いします!」。この言葉を聞いたとき、学生の熱い思いに喜んでこたえたいと思うと同時に、ふと自分の新人時代の記憶が鮮明に蘇りました。

 ICU配属の1年目、東京で開催された学会に参加したときのことです。会場に足を踏み入れた私は、圧倒されました。クリティカルケアという専門性の高い領域で、一つ一つの細部について妥協なく、熱く議論が交わされている。その空気に触れ、「本物」の迫力に衝撃を受けたのを覚えています。
 その夜、当時の師長やプリセプターに連れて行ってもらった美味しい海老料理のお店。そこで先輩や医師たちとテーブルを囲み、ざっくばらんに語り合った時間は、今でも覚えています。キャリアの初期に、業界を牽引する人たちの熱量や、仕事への姿勢に直接触れられたこと。それが、今の私の原点になっていると感じます。
 右も左もわからなかった私を連れ出し、そんな経験をさせてくれた当時の集中治療医や先輩たち。私も、先人たちが私にしてくれたように、引き続き学生を支援していきたいと思います。

[生成AIにて筆者作成]

研究をしている人は、なぜか折れにくい?

 看護教員にとって、研究は教育と並ぶ重要な本来業務です。しかし、現実はどうでしょうか。授業準備、演習、実習、委員会、学生対応……。目の前の業務に追われ、「研究をしたい気持ちはあるけれど、時間がなくて手が回らない」というのが正直なところではないでしょうか。もちろん私も同様です。  
 ただ、そんなとき私がふと思い出すのが、臨床で働いていたころの光景です。重症度の高い患者さんを相手に緊張の連続で、心身の負担から離職していく同僚も少なくない過酷な環境。そんな中で、なぜか燃え尽きずに働き続けていたのは、私を含め、多忙な業務の合間を縫って、研究や学びに「能動的」に取り組んでいた看護師たちでした。周りからは「あんなに忙しいのに、さらに研究までするなんて信じられない」と言われることもありました。実際、時間はなく、体力的にはキツいはずでした。それでも、私たちは不思議と折れることはありませんでした。なぜだったのか。今ならわかります。私たちには共通して、やらされる仕事ではなく、“自分で選び、自分で深めたいテーマ”があったからです。臨床の厳しさに直面しながらも、自分で問いを立て、仲間と語り、学び続ける。そのプロセス自体が、心の支えになっていたのだと思います。

 興味深いことに、ICU看護師を対象とした研究でも、高いレジリエンスを持つ人ほどバーンアウトなどの心理的負荷が少ないことが示されています1)。レジリエンスは先天的な気質だけではなく、経験や学習を通じて育まれる力とも言われています。まさに、困難な状況でも「自ら意味を見出す」という経験こそが、この力を高めるのではないでしょうか。こうした結果を見ると、「忙しいのに研究をする人は(もともと)強い」のではなく、「自分で意味を見いだして取り組む“能動的な姿勢”が、人を強くする(=レジリエンスを高める)」という方が、しっくりくる気がします。
 これは教員になった今も変わりません。今年度、私はいくつかの研究にかかわっていますが、「忙しくないの?」と聞かれれば、たしかに時間はなく、忙しいです。しかし、自分で道を切り拓いていく感覚は、「やらされる仕事」からは決して得られない充実感があり、それが日々の活力になっています。
 そして、その姿は学生たちとも重なります。卒論という“課題”から始まったはずが、最終的には「分析に時間を割けず悔しい」「現場にお礼を伝えたい」と、自分から動き、壁にぶつかるたびに、少しずつ強くなっていく研究者の姿勢へと変わっていきました。研究はたしかに大変です。それでも、自分で問いを立て、それを形にしていくプロセスには、人を成長させ、心を守る不思議な力がある――。学生とかかわりながら、そう実感しています。

(よし、いいこと書いた!これで、研究が進んでいない自分を少しは正当化できたはず……!)先生方、もし学会会場で、死んだ魚のような目をしている私を見かけたら、そっと優しく「承認」してやってください。 

引用文献
1)Mealer M, Jones J, Newman J et al: The presence of resilience is associated with a healthier psychological profile in intensive care unit (ICU) nurses: Results of a national survey. International Journal of Nursing Studies 49(3): 292-299, 2012

坂木 孝輔

東京慈恵会医科大学医学部看護学科 助教

さかき・こうすけ/新潟県出身。東京慈恵会医科大学医学部看護学科を卒業後、同学附属病院に入職し、ICU・CCUなどで15年勤務。2015年修士課程修了(看護学修士)、2016年より急性・重症患者看護専門看護師として活動。2025年に東京慈恵会医科大学大学院医学研究科看護学専攻博士後期課程を修了(看護学博士)。2023年より現職。趣味は3人の子供に遊んでもらうこととサウナー活動。

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駆け出し看護教員「坂コー先生」が、日々看護教育に奮闘する日常や、心に移りゆくよしなし事について綴ります。若手の先生方には「それ、あるあるだね!」と共感的に、ベテランの先生方には「ああ、私もそんなふうに悩んだな」と少しノスタルジックに読んでいただけたら嬉しいです。

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