朝晩の風に、ようやく秋の気配を感じるようになりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
第4回で、卒業研究を終えた学生が「この研究を学会で発表したい」と話してくれたことを書きました。先日、大阪で開催された学会で、その言葉が現実になりました。私が卒業研究を指導した2人が、自分たちの研究を発表したのです。
2人はすでに看護師となり、ともに希望していたクリティカルケア領域で働いています。ついこの間まで、4年生とはいえ、どこか危なっかしさの残る学生でした。それが今では、臨床で働きながら研究をまとめ、専門家が集まる学会の演台に立っています。その姿は、私が想像していたよりも、ずっと頼もしいものでした。
前夜のサウナあがりに届いた「SOS」
……と、ここまで書くと、卒業研究から学会発表まで、すべてが順調に進んだように聞こえるかもしれません。もちろん、そんなことはありません。発表前日の夜。前泊先の大阪でサウナからあがり、一息ついた私のスマートフォンに、「スライドを修正しました。見てください」という通知が飛び込んできました。思わず「お、おう……今ですか?!」と声が漏れました。働き始めてまだ1年目。慣れない臨床業務の中で研究をまとめる大変さは、私も痛いほど分かります。発表前夜に心配になるのも当然でしょう。それでも、「もう大丈夫だよ」と心の中で声をかけました。
卒業研究が始まったばかりの頃は、文献検索にも自信なげで、一緒に図書館へ足を運ぶところからのスタートでした。文献検討をしていく中で、研究の目的がぶれて、何度も立ち止まりました。そのたびに、「自分はどう考えた?」「何を明らかにしたいの?」と問いを返しながら、二人三脚(三人四脚?)で進めてきました。
当時の私には、投げかけた問いが2人の心にどこまで届いているのか、そして、この研究をどこまで「自分のもの」として消化できているのか、確かめる術はありませんでした。無事に卒業論文を提出し、「これを学会で発表したい」と聞いたときも、うれしい反面、本当にそこまでたどり着けるだろうかという一抹の不安があったのも事実です。そして、その答えを知ることになったのが、翌日の学会発表でした。
教員(わたし)の出番は、ありませんでした
発表当日、私は2人の発表を聞きながら、その後の質疑応答に備えていました。もし質問に詰まったら、指導教員としてすぐに補足しなければ。そのときは頭の中でどのように回答しようかと準備していました。
ところが、その心配は見事に空振りしました。質問を受けた2人は、インタビューで研究参加者が語っていた内容を思い起こしながら、それをどのように受け止め、解釈したのか、それぞれ自分の言葉で具体的に答えていました。観察者としてインタビューに同席していた私の頭にも、当時の情景が浮かんできました。
想定していなかった質問に答えるには、発表原稿を覚えるだけでは足りません。研究参加者の生の声と向き合い、考え抜いてきたからこそ、2人はその場で答えることができたのでしょう。壇上にいたのは、教員に助けてもらわねばならない学生ではありません。自ら取り組んだ研究を、自らの言葉で伝える立派な看護師でした。
発表を終えて席に戻ってきた2人に「お疲れさま」と声をかけると、笑いながら「先生、出番なかったですね」と言われました。少しだけ寂しく、でも、それ以上にうれしい空振りでした。
[生成AIにて筆者作成]
学生から、同じ領域を歩む専門職の仲間へ
学会発表を終えた2人が戻るのは、大学ではなく、それぞれの臨床現場です。翌日からまた患者さんの前に立ち、そこで迷い、判断し、看護を実践していきます。彼女たちはもう、私が答えを与える「学生」ではありません。自ら目の前の命と向き合う専門職なのです。
今回の発表で私に見えたのは、単に「学生時代の学びが残っている」ということではありません。臨床で経験を重ねた2人が、卒業研究を今の自分たちの言葉で語り直し、専門職として確かな次の一歩を踏み出す姿でした。卒業は教育の終点ではなく、関係が変わる節目なのだと、深く実感しました。
2人はこれから、同じクリティカルケア領域を共に歩み、盛り上げていく仲間です。今後は、2人が臨床の最前線で見つけた問いから、私のほうが教わることも増えていくのでしょう。それが今から楽しみでなりません。
言葉は届き、そして返ってくる
大阪の学会や、同じ頃に参加した北海道の学会で、この連載を読んでいるという方々から思いがけず声をかけていただくことがありました。「連載を毎月楽しみにしています」「科研費に落ちた回……分かります」。その声を聞き、画面の向こうにいるのは、顔の見えない「読者」ではなく、授業や実習、研究に悩みながら一日を終える、一人の教員なのだと実感しました。
この連載も、今回で第12回。ちょうど1年という節目を迎えます。クリティカルケアの現場から看護教育の世界へ移り、戸惑いながら進んできた経験を分かち合えたらと書き始めた文章が、誰かに届いていました。
学生に手渡した言葉は、2人が自分の言葉で研究を語る姿となって返ってきました。読者に向けて書いた言葉は、「共感しました」という温かい声になって返ってきました。卒業研究もこの連載も、私の手を離れたあと、どこでどのように受け取られているのかは見えませんでした。それが今回、思いがけない形で私のもとへ返ってきたのです。
言葉は、送り出した人の手を離れてから、受け取った人の経験と結びつき、その人の中で育っていくものなのかもしれません。

……と、1周年らしくまとめてしまいましたが、現実の私は「この1年で何ができたかな」と焦り、立ち止まってばかりの毎日です。それでも、この連載のおかげで日々を振り返り、何かしらはできているんじゃないかと、自分を奮い立たせることができました。
教え子たちの頼もしい背中に負けないよう、2年目を迎えるこの連載も、画面の向こうの皆さんと一緒に、悩みながら一歩ずつ進んでいけたらと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


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