もうすっかり初夏の陽気になってきました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
少し前になりますが、私は実家のある新潟に帰省し、朝の冷たい空気の中を少しだけ走りました。水の張られた田んぼ、遠くの山並み、鳥の鳴き声。普段、東京で慌ただしく過ごしていると忘れてしまう景色がそこにはありました。
そのとき、ふと思ったのです。景色が特別なのではなく、小さなことに気づけるだけの余白が、自分の中に戻ってきたのかもしれないと。
今回は、そんな「余白」と、実習指導で感じたことを書いてみたいと思います。
つい先回りしたくなる、ICU時代の癖
教員になって痛感したことの一つに、「教育は待つ仕事である」ということがあります。ただ、これがなかなか難しい。私は長くICU・CCUで働いていたので、状況を見たらすぐに動く、先回りして整える、という感覚が身体に染みついています。患者さんの状態が刻一刻と変化するなかでは、「待つ」ことが不利益につながる場面もあります。後輩がもたついていると、つい「ちょっと代わるね」と手を出してしまう。患者さんを守るためには、それが必要な場面も確かにありました。しかし一方で、それは後輩が考え、試行錯誤し、自分でできるようになる機会を奪うことにもなります。
中堅になった頃、ある大先輩から私の先回り癖をこんなふうに突っ込まれたことがあります。「それ、相手のため?それとも自分が安心したいだけ?」。耳の痛い言葉です。けれど、教育の場にいる今、その意味がよくわかる気がします。
「ガイドラインのコピーかい?!」と思った5枚のパンフレット
ある実習で、学生が退院指導用のパンフレットを持ってきました。見ると、A4用紙5枚にわたり、治療のしくみから、起こりうる症状、生活上の注意点まで、小さな文字がびっしり。思わず心の中でつぶやきました。
「これはガイドラインのコピーかい?!」
もちろん、学生は一生懸命です。むしろ一生懸命すぎるほど、よく調べていました。ただ、読む側からすると情報量が多い。文字も小さい。大事なことがどこにあるのかもわかりにくい。このままでは、患者さんは読む前に圧倒されてしまうかもしれません。病棟の指導者さんからも「患者さんには少し負担かもしれないね」と助言があり、学生はしょんぼりしていました。
「遅くまで頑張って作ったのに、全部だめだったんでしょうか」
このとき、「情報を絞ろう」「字を大きくしよう」「優先順位をつけよう」とすぐに伝えるのは簡単ですし、必要な指導でもあります。でも私は少し立ち止まって、学生が作った「文字びっしりの5枚」を、もう一度じっくり読んでみました。
「直す」前に、学生の看護を読み取る
すると、情報は多く整理も必要なのですが、その中に学生なりの看護が見えてきました。患者さんが退院後、どう生活していくのか。何に不安を感じそうか。どのタイミングで相談したらよいか。学生がは、その人の生活を思い浮かべながら、一生懸命考えていたことがよく伝わってきたのです。パンフレットとしては未完成でした。けれど、その中には、患者さんを「疾患をもつ人」ではなく、退院後の生活を続けていく「生活者」として見ようとするまなざしがありました。
実習指導では、どうしても「できていないところ」に目が向きます。もちろん修正は必要です。けれど、その前に、学生が何を見ようとしていたのかを読み取ることも大切なのだと思います。学生の成果物を、ただ評価するのではなく、その中にある看護を見つける。それも教員の役割の一つなのかもしれません。
主語を「私」から「患者さん」へ
私は学生に、まずこう伝えました。「すごくよく調べたね。この患者さんが退院後にどんな生活を送るのか、一生懸命考えたことが伝わってくるよ」。学生は少し驚いたようでした。全部だめだと言われると思っていたのかもしれません。そのうえで、続けて伝えました。「ただ、今のパンフレットは、少しだけ主語が“私”になっているかもしれない。“私がどれだけ調べたか”が前に出ている。でも、あなたが本当に大事にしたいと思っているのはきっと、 “患者さんが退院後にどう生活していけるか”だよね。だから、主語を“患者さん”に変えてみよう」。
そこから一緒に、患者さんに本当に必要な情報を残す形に整えていきました。学生の努力の主語を、「私が頑張って調べた」から、「患者さんがその人らしく生活していく」へ置き換える作業だったのだと思います。
翌日、修正したパンフレットを患者さんにお渡ししたあと、学生がぽつりと言いました。「前は、自分が説明することばかり考えていた気がします」。その言葉を聞いて、ああ、待ってよかったなと思いました。
空を見上げる余白が、教育の視野を広げる
教員の日常は、授業、実習、会議、研究、学生対応と本当に慌ただしいものです。「時間がない!」と焦っていると、どうしても視野が狭くなり、学生の小さな工夫を見落としがちです。だからこそ、私たち教員には、意識して「余白」をつくることが必要なのだと思います。他愛もない雑談をしてみる。いつもと違う道を通って帰ってみる。あるいは、サウナの熱波で強制的に脳内をリセットする。そんな小さなことからも、「余白」は生まれます。
先日、疲れきってため息をつきながら帰路についていたときのことです。ふと空を見上げると、雨上がりの空に見事な虹がかかっていました。
もしあのとき、スマホの画面や足元ばかりを見て歩いていたら、この景色には気づけなかったと思います。学生の看護も、それに少し似ているのかもしれません。急いで直そうとすると見えないけれど、少し立ち止まると見えてくる。そんな余白を持ちながら、学生の中に隠れている看護を一緒に見つけていけたらと思います。

――と、いいかんじの素敵な写真に助けられて、きれいに締めた風ですが、次の実習ではまた「ちょっと代わろうか?」と口から出かける自分が目に浮かびます。まずはその前に、ひと呼吸。余白、大事ですね。自戒を込めて。



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