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第45回:先導者に導かれ進んできた産業保健の道

第45回:先導者に導かれ進んできた産業保健の道

2026.08.06岡部 花枝(順天堂大学医療看護学部 助教)

出会いに紡がれた私の分岐点

 いま、こうして看護大学の教員をしていることを、大学生だった頃の私が知ったらどう思うだろう。「何がどうして、いまに至るのだろう。私が大学の先生に?」と私自身が一番驚いているかもしれない。
 看護大学に入学した頃は、卒業後に臨床看護師になり、病院の現場で長く働いていくことを当たり前に考えて進路を選択した。最初から教員になることを目指して大学を選んだわけでもないし、教育への信念をもって臨床や実践の経験を積んできたわけでもない。
 しかし、人生の節目節目には、進むべき道を照らしてくれる「先導者」との出会いがあった。自ら道を切り拓いてきたというよりは、人との出会いによって、実践の場から看護教育の道へと導かれてきたのだと思う。人生の岐路には、まるで運命のように、進むべき道を指示してくれる「みちひらき」の存在があるのかもしれない。

産業保健・産業看護との出会い

 大学入学当時は人のためになる仕事をする人になりたいと思い、「将来は、病院で働く臨床看護師になる」とただ漠然と考えていた。成人看護学、老年看護学など看護学には様々な分野があり、それぞれの領域について学んでいき、すべての領域に興味関心があった。だからこそ、自分が専門性を高めたい看護の領域は何だろうかと思い悩むこともあった。
 そんなとき、地域看護学の授業のなかで「産業保健・産業看護」を学ぶ機会があった。労働者やその組織を対象に健康づくりを支援すること、働くことを通して健康増進に関わること、そして臨床と異なり、労働という生活に密接した活動に寄り添って、長期間にわたり継続的に支援ができることに大きな魅力を感じた。産業保健・産業看護は、労働者個人へのミクロな介入から、企業や組織へ対するマクロな働きかけまで行うことができる。さらに、産業看護職としての働きかけ自体は目の前の対象者や組織に限られるが、その対象者の背景には家族や友人など様々な繋がりがある。もしも、一人の労働者の健康意識が高まり、ヘルスリテラシーが上昇すれば、その人と繋がりがある人たちの健康増進に発展していくのではないかと思い、そのダイナミックさにとてもワクワクしたことを今でも鮮明に覚えている。肥満が伝染する1)のであれば、健康や幸せも伝播していくのかもしれない――産業保健・産業看護にその可能性を見出したとき、私の進む道が決まったのだと思う。地域看護学分野の先生、特別講義をしてくださった産業保健師の先生に導かれて、私が目指す看護はこれだ!と確信を得ることができた。その時の思いは、今も変わらず私のなかに息づいている。

産業保健の現場での充実した実践と葛藤一人でできることには限界がある

 病院で臨床経験を積んだ後、大学院を経て、念願叶って産業保健の現場へと歩み進めることができた。入社当時、労働者数約5,000人を産業医2名と看護職1名の極めて少人数で担当していた。目の前にいる「働く人」を支援することにやりがいを感じ、日々の仕事がとても楽しかった。しかし、活動が充実すればするほど、私たちだけでは人員的にも限界があることを感じるようになった。活動に力を入れれば入れるほど、自分ひとりのマンパワーでは限界が生じてきた。「もっと○○をしたい!」と思っても、自分の身体は1つしかないのでなかなか手が回らず、もどかしさを感じていた。
 そんな中、会社に日頃の活動を評価していただき、「人員増」の許可が下りて、新しい産業看護職の仲間を迎えることができた。チームとなったことで、これまで諦めていた予防的なアプローチや丁寧な個別支援が少しずつ形になり、活動の広がりを肌で実感することができた。自分一人の視野や手が届く範囲はとてもちっぽけなものだと強く実感していたからこそ、一緒に取り組む仲間がいることはとても心強かった。

すべての働く人に産業保健を届けるために、私ができること

 産業保健の現場経験が10年になろうとするとき、この先、自分のキャリアがどうなるのかモヤモヤしており、何を目指すのか少し迷いを感じていた。そのようなとき、私の恩師のそのまた恩師にあたる大先輩と、自身のキャリアについて話をする機会があった。そしてなんと、その大先輩から、産業看護職の後進を育成する看護教育の世界に誘っていただいた。まさか私が大学教員になれるのかと驚きつつも、私一人で何万人もの労働者を支援することは難しいが、「産業保健のプロフェッショナルを育てることで、何百万人もの働く人を支援することができるのではないか」という思いに至った。
 私一人が実践者でいることだけが、労働者への貢献ではない。「実践者を育てる」ことで、すべての働く人に産業保健を届ける手伝いができるのではと思い、看護教員になることを決意した。現在は、産業保健・産業看護の魅力を、講義や実習での学びを通じて学生に伝えている。授業や実習を経て産業保健に興味をもち、将来は産業看護職になりたいという、かつて産業保健・産業看護に出会ったときの私のような学生の姿を見たときの喜びは余りある。

 振り返れば、私はいつも人との出会いに生かされ、先導者に背中を押されてここまで来たと思う。いま、看護教員としての私の役割は、かつて自分が先導者たちから受け取った「産業保健・産業看護の魅力」や「人との出会いの大切さ」を学生たちに伝えることなのかもしれない。目の前の学生がいつか、どこかの職場で働く人を支えるキーパーソンになる日を信じて、バトンを繋ぎ続けていきたい。

引用文献
1)ニコラス・A・クリスタキス , ジェイムズ・H・ファウラー:つながり 社会的ネットワークの驚くべき力. (鬼澤忍訳),講談社,2010

岡部 花枝

順天堂大学医療看護学部 助教

おかべ・はなえ/茨城県立医療大学保健医療学部看護学科卒業後、国家公務員共済組合連合会虎の門病院に入職。その後、東京大学大学院医学系研究科健康科学看護学専攻博士前期課程修了後、株式会社小松製作所にて保健師として産業保健活動に従事し、2023年4月から順天堂大学医療看護学部に助教として着任。専門分野は産業保健・産業看護。趣味は津軽三味線、ドライブ、スノーボード。

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