私が大切にしてきた揺らぎと語り
専門職として育つとは、まっすぐに立ち上がることではない。揺らぎながら、問いながら、誰かの語りに触れながら、それでも立ち上がることだと思う。私自身、専門職としての歩みは決して一直線ではなかった。 支援者として、教育者として、そして一人の人間として、何度も立ち止まり、迷い、問い直してきた。「これでいいのだろうか」「私は誰かの力になれているのだろうか」——そんな問いが、私の実践の根底にあった。
けれど、揺らぎの中でこそ、私は語りに出会い、語りに育てられてきた。語りは、対象者の声であり、学生の声であり、そして私自身の声でもある。その声に耳を澄ませることから、専門職としてのまなざしが育っていった。
支援の本質を知った現場体験
※以下に記す語りは、複数の現場経験をもとに再構成したものであり、個人が特定されないよう配慮している。
看護教員になる前は、保健師として福祉事務所に勤務していた。生活保護の担当部署での支援は、制度と人の間に立つ営みだった。医療扶助費の高騰という課題の中で、ケースワーカーと共に訪問した先で出会ったのは、沈黙と諦めに包まれた生活を送る対象者だった。部屋は薄暗く、薬の袋が積み重なり、カーテンは閉じられたままだった。「病院に行っても、何も変わらない」。対象者の言葉には、長年の孤独と諦めが滲んでいた。
人は孤独と不安を抱えながら生きている。生活保護を受ける人々もまた、制度の枠組みの中で語られない思いを抱えていた。その沈黙の奥にあるのは、「誰にもわかってもらえないかもしれない」という不安と、「自分にはもう価値がないのでは」という孤独だった。
私たちは、できるだけ傾聴を心がけ、対象者の強みにまなざしを向け続けた。生活の困難さや制度の壁に焦点を当てるのではなく、「この人にはどんな力があるのか」「どんな経験を積んできたのか」と問い続けた。すると、ある日ふと、対象者がぽつりと語り始めた。 「昔は、料理人になりたかったんです」——その言葉は、過去の夢であると同時に、対象者が今を生きる力の芽でもあった。
語りは、語るだけでは育たない。 語りを受け止め、共感するまなざしがあってこそ、語りはその人の中で意味を持ち始める。そして、語りによって生まれた本人の気づきを、気づきのままで終わらせないことが大切だ。その気づきが、次の行動につながるよう、私たちは見守り、支援し、伴走する姿勢を大切にした。支援とは、何かを与えることではなく、気づきに寄り添いながら、その人自身の歩みに並走することなのだ。
「支援する側」ではなく、「語りに立ち会う者」として、私はそこにいた。語りが生まれ、気づきが芽吹き、行動が始まる——その過程に伴走することこそが、支援の本質なのだと、私は保健師時代の現場で教えられた。
教育の場での揺らぎと再生
その後、看護教育の場に移ってからも、私は揺らいだ。
大学に就任した当初、クラス全体から「ノー」を突きつけられたことがあった。誰も質問せず、誰も私と目を合わせようとしなかった。沈黙の中で拒否された授業。私は、何かを押しつけてしまったのではないかと揺らぎ、自問した。「この授業は、私たちの声を聞いてくれていない」——そんな空気が、教室全体に漂っていた。
そんなある日、一人の学生がぽつりと「グループワークをしてほしい」とつぶやいた。たしかに、当時の私の授業は教員から学生へ一方的に教えることがほとんどで、学生同士意見を交わし合うような場面はなかった。私はその言葉にすがるような気持ちで、クラス全体に「これからはグループワークを取り入れるということでよいか」と尋ねた。すると、ほぼ全員がそれを望んでいたことがわかったため、すぐに授業に取り入れた。
グループワークが始まると、学生たちは互いの語りに耳を傾け、ときに沈黙し、ときに笑い合っていた。その姿は、教科書の知識を超えて、看護の本質に触れているように見えた。私はこの経験から、教えること以上に「場をつくること」の意味を深く知った。教育とは、語りが生まれる場を設計することなのだ。
このことを契機に、私は授業全体の構成をアクティブラーニングへと転換することができた。学生を「私の師」として捉えるようになった。ともに学び、ともに創り出す原動力を学生からいただいた。今なお、何かが弾けたように、それは広がろうとしている。
語りを中心に据えた教育の広がり
その後の私は、授業設計に語りを取り入れるようになった。学生が自分自身の語りを紡ぎ、他者の語りに触れることで、看護へのまなざしが育っていく。語りは、ただ書いたり読んだりするだけでは育たない。他者との関係性の中で芽吹き、揺らぎの中で根を張る。語りは、ただ話すことではない。語りを受け止めるまなざしがあってこそ、語りは育ち、響き合う。
「対象者とのかかわりで心に残ったこと」「自分の看護観が揺れた瞬間」——そうした語りを交わす時間が、教室の空気を変えていった。語りを通して、学生は自分の看護を言葉にし、仲間の語りに触れることで、自分のまなざしを問い直していった。そして、語りの場で生まれた気づきを、気づきのままで終わらせないことを大切にした。語りを通して見えてきた対象者の思いや生活の背景を、次の支援やかかわりにどうつなげるか——その問いを学生と共に考え続けた。語りは、私にとっての学びの出発点であり、実践への架け橋でもある。
専門職としてのアイデンティティを育てる“語り”
3年生の実習指導では、限られた同行訪問の中で、学生が受け持ち療養者との「心に残るかかわり」ができることを願い、彼らに寄り添った。 療養者の生活の物語を聴き、願いを見つけ、願いに触れる実践ができるよう、学生が語りに立ち会えるよう支援した。学生は、療養者とのかかわりの中で、自分のまなざしや揺らぎを言葉にしながら、看護の意味を見つけていった。
実習最終日のまとめ発表会では、学生が自分の実践を振り返り、仲間と共有する時間を設けた。語り合いの中で、療養者の生活に触れた経験が、学生自身の看護観や支援の方向性を照らしていくようすが見られた。そして、実習で得た気づきを、次の支援にどうつなげるかを考える時間を大切にした。語りは、振り返りだけでなく、支援の実現へと導く力を持っていると感じた。
4年生の国家試験対策では、状況設定問題を「看護師のまなざしを問うもの」と位置づけた。対象者の生活、感情、支援の意味を読み取るためのチェックリストや、読み飛ばし防止の工夫を取り入れ、事例を通して「看護師としての判断」とのつながりを意識した。
グループワークでは、一人ひとりが自分の判断や考えを語り、仲間と共有する場を設けた。語りを通して、学生は知識と実践を結びつけ、看護師としてのまなざしを育てていった。
語りは、学びを深めるだけでなく、専門職としてのアイデンティティを育てる。実習指導も国家試験対策も、語りを中心に据えることで、学生の内側にある力が静かに立ち上がっていった。語りは、知識を超えて「自分の看護を生きる」ための土壌となると考えている。
語りと専門職育成の願い
揺らぎばかりの人生だった。でも、その揺らぎの中でこそ、私は誰かの揺らぎに気づくことができた。語りに触れることで、支援者として、教育者として、そして一人の人間として育ってきた。語りは、対象者の声であり、学生の声であり、そして私自身の声でもある。その声に耳を澄ませることから、専門職としてのまなざしが育っていった。
そして、私自身、今までずっと閉じ込めてきた苦しみ(痛み)をもっていた。ある日それをじっくりと語る機会の中で、「それでよかったんだよ」という言葉を、自分自身に手渡せた。このとき、私はようやく、自分の語りを生き始めることができたのかもしれない。
専門職を育てるとは、揺らぎを受け止める力を育てること。語りのまなざしが、支援と教育の場に根づくとき、専門職としてのまなざしは静かに、確かに育っていく。私はこれからも、語りの場を設計し続けたい。語りが響き合う場に、育ち合う力が宿ることを信じて——それが、専門職育成における私の願いである。




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