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「NurSHARE」オープン記念座談会:テーマ「知を共有する」(第2回)

「NurSHARE」オープン記念座談会:テーマ「知を共有する」(第2回)

2021.12.08NurSHARE編集部

「NurSHARE」ではサイトオープンを記念し、「知を共有する」をテーマに座談会を行いました。初回特集として、本座談会で伺った貴重なお話を3週にわたってお届けします。
※この座談会は、2021年10月18日に開催したものです。

(第1回はこちら

編集部 ここまで若手教員におけるスキルアップの難しさや、とくに「経験の教材化」についての困難さについてお聞きしてきましたが、他にも若手教員が抱える特徴的な困難や悩みはあるのでしょうか。

片野 若手教員について気になっていたことというと、彼ら彼女らの「アイデンティティ維持」です。臨床で経験を十分に積んで教育の場に来ているのですが、学生たちから「新しい先生」「他の先生たちに比べて年齢が若い」ということを理由に、「先生、大丈夫なの?」「先生にはこの質問してもわからないよね」という態度をとられてしまうことがある。また、臨床実践で必要とされている知識や情報と、基礎教育の現場で重視される知識や情報は異なっていることもあり、先輩教員から「ここは臨床ではなく教育の現場だからもう少しこういうふうにしてみて」などと指摘される。こうなると、臨床時代に築き上げたアイデンティティが崩れていくんですね。そして、教育の場から臨床に戻りたいと思ってしまう。相談しにくいとか、こんなこと質問していいのかなという気持ちは、過去の自分のイメージと現実のギャップがとても大きいのかもしれません。

編集部 片野先生がおっしゃるような困難が、離職につながるのでしょうか。

片野 もちろんすべてではないでしょうけど、離職の要因としては考えられます。公立の養成所でも「やっぱり臨床に戻りたい」という話を聞きます。大学でもこのあたりは共通するのでしょうか。

 そうですね、大学の場合はどちらかというと、業務量、待遇、研究環境といった理由による転職が多いかもしれません。片野先生の学生から厳しい態度をとられてしまうというお話に付随してお尋ねしたいのですが、社会人を経験して入学してくる学生は増えているのでしょうか。

片野 どちらかというと、社会人が増えたのは少し前ですね。10年以上前は社会人経験者の割合もどんどん増えていましたが、いまは落ち着いています。この傾向は学校によっても違いますが、社会全体の経済状況に左右されることはあります。現在顕著な傾向としては、専門学校を受験する生徒が通う高校側の考え方の変化ですね。従来進学率が低かった高校においても「目標をもって進学しましょう」と指導しているようで、前よりも大勢の高校生が看護の専門学校を受験しています。

 ありがとうございます。本学では、一度大学を出て社会人を何年も経験していたり、組織でスタッフを管理する立場にあった人が入学するケースがあります。そうすると、学生の年齢や積み上げてきた経験によっては教員と学生との間に年齢や社会人経験の逆転が生じることもあり、学生から、教員のマネジメント能力、指導力や、看護のシステムにまで意見が及ぶことがある。そのような学生からの意見には重要な指摘が含まれていることもあり、柔軟に取り入れていくことも重要だと思うのですが、時には自分に対する攻撃のように受け取ってしまう教員もいて、学生との関係性が難しくなってしまうこともあります。つまり、多様な学生の背景・経験も含めて受け止められるか否かによってストレスの負荷が違ってきてしまうということです。この時代を反映している現象なのかもしれませんね。

片野 林先生がおっしゃったような教員と学生との逆転現象は、看護専門学校でも現実によく起きています。若い教員はけっこう悩んでいるところです。

編集部 これまでお聞きしていますと、若手教員が抱える困難や悩みには共通点がありそうですね。反対に、異なる点はどういうところでしょうか。
 

野崎 環境として教務室が違いますね。大学は個別の研究室であるのに対し、専門学校は職員室があるから教員同士が顔を合わせる頻度が高く、教員間の会議の場を比較的もちやすい環境であると思います。林先生もおっしゃっていたように、大学では自分の専門外の上司や上級者から指導を受ける時間が減っています。あと、さきほどもお話しした以前開催していた大学・専門学校の教員たちが集まる勉強会でのことではありますが、専門学校の先生方は教育実践ですぐに役に立つ知識を求めているように感じました。新しい理論や理論を用いた課題の解決について一緒に勉強していたのですが、もっと急がれているというか、問題が切実というか、早く指導が上達するハウツー、具体的な方法への関心が高かった印象があります。

 指定規則に則って看護師の国家資格を取るための教育を学生に対して行うという点は一緒ですよね。ただ、大学の場合は職業者、看護職としての専門的な知識技術の習得だけでなく、学士としての教育も求められます。理論や概念はすぐに使わないかもしれませんが、抽象的な概念を理解するためのトレーニングにはなる。新しい理論が出てきたとしても、普遍的な部分もありますから、大学では理論を理解する方法やその意義を伝えていくことも重視しています。

片野 4年間と3年間、教育年限の1年の違いは大きいですよね。国家資格の取得に必要な内容を3年間で教え身につけてもらうことに焦りもありますし、卒業後に看護師として働いていけるかも心配してしまう。だから専門学校では結果や成果を急ぎやすいように思います。ですが、学校単位でも考え方は違いますし、「急ぎやすさ」を専門学校の管理者がどの程度認識し、そこを指導できているかが重要ではないでしょうか。理論は看護の原点に戻るためのコアな部分ですから、専門学校の看護教育においても大切です。
 たとえば、指導のハウツーがあったとしても、そのハウツーが本当に適切なものなのかどうかを評価するときに、看護の原点に戻るものだと思います。これを意識しないでひたすら実用性を突き詰めていくと、もともと求めていた、目指していたものからはちょっと離れていってしまう。教務主任養成講習会では、「今大事なこと、目指しているところはどこですか」と問いかけを繰り返すことで、受講者が自問自答できるようになることをとても重視しています。教員自身がそのような考え方をもてば、学生からの「このやり方(間違った方法)ではだめなのですか」という質問に対して、「一番大事にしているところは何かな」「それを叶えられる方法は本当にこのやり方なのかな」と促せるようになる。看護の原点に戻る思考を促すことは、とても大事な授業づくりではないかと思います。

佐々木 教員としての経験が浅いと、学生に教えるうえでの看護の本質、看護の考え方について根本が確立していないから、ケースバイケースで揺らいでいってしまう。管理職や上司が助言し一緒に考えていくべき部分ではあるのですが、そのための研究をする土壌や時間、支援も得られにくく、なかなか開拓していく手伝いができないから、若手教員は自分で頑張らざるを得ないのだと思います。勉強会のテーマにしたり、教員がみんな教務室にいるメリットを生かして声をかけ合ったり、臨床で起きていることを話し合ったりする中で、若手教員を巻き込んで新鮮な刺激を与えて意見交換を促進し、看護の本質や考え方の習得につなげたいですね。考え方に一本筋が通っていれば、迷いも少なくなりますから。
 また、大学との違いという点では、当校は担任制をとっており教員にクラス運営のマネジメントスキルや管理力が求められることがあります。加えて、就職における支援など事務的なことも教員が担っており、教育能力以外にも求められることが多く、若手のスキルアップの困難さにつながっているところはあると思います。


片野 大学の事情で素晴らしいなと思うのが、領域ごとに講座が確立されているところ。マンパワーや人事配置はもちろんですが、特定の領域内で専門性を確認しあい高めていけるのは本当に羨ましいところです。専門学校は人員数から領域を兼任せざるを得ません。一方で、それにはメリットもあって、自分の専門領域に加えて基礎看護学を担当することが多く、すべての教員が共通の認識、共通の目標を持って基礎看護学の土台を作れますし、土台を元手に自分の専門領域へと発展させていけるのは強みです。また、基礎看護学を担当することで、一人の学生が卒業するまで、学ぶ過程を見ながら支援していきやすいとも感じています。

野崎 佐々木先生、片野先生のお話を伺って、大学でFDやカリキュラム評価が大切な理由がよくわかりました。専門分野の独立性ゆえに全体を把握するための機会が貴重になるからなんですよね。大学が強化していかないといけないところです。

次回につづく)

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