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第20回:歌は世につれ世は歌につれ~専門職の自律と高度実践

第20回:歌は世につれ世は歌につれ~専門職の自律と高度実践

2023.11.27酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 カピバラは11月の初旬、出張でカタールのドーハに行っておりまして、仕事のかたわら中東の文化を大満喫して帰国しました。平均気温30℃の砂漠気候からいきなり初冬の日本帰国で、20℃近い気温の落差に心身の順応が遅れ、この原稿を書くのも遅れたでござる。環境への適応って難しいですよね。ということで今回は、「自律」をめぐる環境の変化と高度な実践と専門職的自律の話を書いてみたいと思います。

「専門」に含まれる二つの意味

 看護職の専門領域(specialty)はどんどん増えています。看護職の内部も社会的分業が進んでいるのですね。社会的分業は労働の細分化につながるので、「これが専門です」という表明は、「これ以外は専門じゃないので得意ではありません」と言うことと裏表ということになります。細分化された専門領域はそこで取り扱われる知識や技術が深くなるため習得に時間を要します。そのため広くいろんなことをカバーできなくなるんですね。カバーする領域が狭くなることにより、患者さんから見れば「皆さんいろいろ言いますけど、けっきょく今の私に必要なケアはだれがやるの?」という状況を招くようになりました。そのため専門職連携教育(IPE)/専門職連携実践(IPCP)が生まれたのです。specialtyが高まるほど、自分がカバーできる範囲は狭くなるから、専門職連携実践能力をもってお互いに患者さんのケアに穴が開かないようにしましょうということですね。
 そもそも「専門」という用語には、「先生のご専門はなんですか?」と使われるspecialtyと、「専門職としての倫理」という時に使われるprofessionという意味の両方が含まれているので、日本では文脈により使い分けられています。が、いまだ混乱も多く見られます。

完全専門職(full profession)を目指した昔

 専門職(profession)の定義にはいろいろあり、変遷を続けています。山本らの定義によれば、①公衆への社会的サービスを提供する、②専門的技術を有する、③専門職の組織化が図られている、④専門職集団を規準とした専門職としての考えや判断が明文化されている、⑤倫理綱領を有する、⑥自律性が(社会から)認められるといった要素を満たす職業1)、とされているんですけど、この要件を完全に満たすことをfull profession(完全専門職)と伝統的(古典的)に言い表してきました。聖職者、医師、法曹、建築家といった職業がここに分類されています。
 第二次世界大戦後に、医師以外の多様な医療従事者が生まれてきた背景には、医師の業務を「診療の補助」として分業するという目的がありました。ですから、医師以外の医療従事者は「医師からの指示を受ける」という業務形態となっています。これは日本だけでなく、世界においてもまあ同じです。このことが看護職だけでなくいろんな専門職において、完全専門職を目指す(すなわち自律性を社会から認められるようになることを目指す)動因となっていきました。
 看護職は①②③⑤は満たしている、④はかなり進展してきた、⑥は制度上医師の指示のもとに行う診療の補助業務というものがあるので、満たしていない。この自律性の欠如を指摘され、昭和の時代、看護職は準専門職だの半専門職だのと言われ、完全専門職(full profession)ではないという位置づけでした。そして、昭和から平成にかけて、日本だけでなく世界の看護職は「専門的自律性(professional autonomy)」を勝ち取る戦い(っていうか活動)をしてきたのです。
 しかし、いまやこの「完全な自律」はどの職業であっても、そこはすでに問題の焦点ではなくなってきています。すでに古典的な話になっているんですね。たとえば建築家は完全にすべて自律的に仕事できるかと言ったら、土地の買収、資材の調達、建物を建てる予定の地域の住民の合意、などなど、自分の作品である建築物を自分の思い通りに(自分が作成した設計図どおりに)つくることが困難、という状況に直面するであろうなあ、ということは想像に難くありません。社会全体が分業の方向に進んできたからこそ、関係者(ステークホルダー)が増えていく、ステークホルダーが増えれば、完全な自律というよりも、互いの職責の相互承認により、なんかいい感じのところに着地することを目指すようになっていく。これが社会の成熟に伴う多様性の包摂ということなんだと思います。

専門職的自律はだれのため? なんのため?

 なんのためにprofessional autonomyを“勝ち取る”のか? 戦後の看護職にとってそれは、医師の支配から脱却するためだったと思うんです。しかし現在の医療福祉介護の状況を考えれば、あれこれ言われないで自分の判断で自分の実践を行うことって、医師でもまず無理な話になっています。DPCや診療報酬やガイドライン、病院内のマニュアル、クリティカルパスの普及により「自分流」の治療はできなくなっています。患者の薬を変更したいとなったときには、薬剤師による確認と「疑義照会」をクリアし、看護チームに「依頼(order)」しなければ実施できませんし、入退院も手術も医師の「自律的」判断だけではできません。そもそも患者が入院したいのか退院したいのか、手術を望むのかという患者の意思(自律性)を尊重したうえで、ベッドコントロール担当者による調整、手術室の調整、MSWによる退院先の調整、などなど、現在の医療は、複雑なシステムで動いており、医療従事者はその中で、自分の動きがどこにどのような影響を与えるのかをよく考えつつ、多職種チームで診療ケア方針を検討せざるを得なくなっています。
 先日カピバラは、病棟カンファレンスで「この患者さんのこの治療に関して、ご家族は了解しているけど、ご本人の納得がまだ不十分なので、入院の決定は差し戻します。もう一度患者さんとよく話し合ってください」と担当医にすっぱり言っている師長さんを目撃しましたが、このような光景は珍しいことではなくなっています。

 これまで看護職が追い求めてきた(かもしれない)、完全専門職(full profession)は蜃気楼のようなものだったと、不肖カピバラ、言い切らせていただきます。現在、autonomyは専門職に係る言葉ではなく、患者・利用者・住民に係る言葉に変化しています。看護職の自律の獲得のために活動してきた先輩たちのおかげで、と言っていいと思いますけど、看護師だけでなく他の医療従事者も教育の高度化が実現しつつあるなか、完全専門職としての自律は、専門職にとってさほど重要なことではなくなり、いつの間にか世界のありようは再構築されました。(しつこいようですが)多種多様な専門職がこぞって完全専門職になることが、患者や当該専門職の幸せに直結するかというと、そんなことないのでは? ということにみんな気づき出したのです。

「その看護師さんはおむつを交換してくれるのか?」と言われたら

 世界の流れはそうなんですけど、医療の実臨床レベルでは、古典的な専門的自律性の中で生きている人はまだたくさんいて、変なもめごとが生じてしまうことも多々あります。
 たとえば、専門看護師や診療看護師、特定行為研修修了者、認定看護師など、いろいろな継続教育を受けた看護師を介護保険施設などの長期ケア施設に導入するというような話をする時、その施設の管理者である医師から、「そういうエライ看護師さんはおむつ交換してくれるんですか」「そんなすごい看護師さんではなくて、おむつ交換してくれる普通の看護師さんがほしい」など、アドバンスな教育を受けた看護師は不要と言われることがあります。この言説はいまだに聞かれるもので、実際にカピバラも今年このような場面に遭遇しました。
 皆さんがもしかして万が一、このようなことを言われたとしたら、どう状況を整理し、対応すべきなのか、考えてみたいと思います。

 まず、このように言う医師(事務長さんの場合もありますが、つまり管理者レベルの比較的年配の方)は、いくつかのステレオタイプという呪いに縛られている。たとえば「専門的なお勉強をしてきた人はエライので自分の言うことを聞かないかも」という不安や恐れ、そして他の専門職の継続教育の内容をきちんと理解することなく、自職種の、それも自分が受けた専門のお勉強のことを想起してしまうことから、「そんなスペシャルな知識はうちの施設の入居者さんには不必要」と考えている(この場合、スペシャルな知識とはたとえば、すごく難易度の高い手術に関する知識みたいなことを想像しているのかもしれないと、カピバラはにらんでいます。そういう専門医がおむつ交換を行うというのは、確かに現実的ではないでしょう。トレーニングも受けていないんだし)。つまり知識というものは医学的知識を指し、それが最高の知識だと思っている古典的な医師はこのような恐れや脅威を抱くかもしれません。

尊厳あるケアの達成に向けた相互依存的専門職的自律性

 加えて「おむつ交換してくれるんですか」という医師は、排泄の援助には、おむつ交換しかないと思っているふしがある。
 患者・利用者の身体の状況を水分出納、腎機能、呼吸循環機能、膀胱機能、移動機能、巧緻動作のデータから推論し、そしてどんな排泄を望んでいるか、どんな生活機能が発揮されているのか、生活機能障害はどんな状態なのか、動く意欲があるか、痛みはないか、どんな生活を望んでいるかといった全人的アセスメントをする。そして、その人にとって適切な排泄援助を選び抜き、その援助を提供するスキルがあって、援助の効果からさらに次の援助を計画できる。加えて、このような判断と実践を通常業務に組み込み、他の看護職・介護職の援助のレベルを上げられるようにワークフローを整備し、知識を共有する仕組みをつくるのが、高度な実践を行う看護師です。医学的な知識以外のノンテクニカルな知識も総動員して活動している。
 「お勉強をしてきた看護師はおむつ交換してくれるのか」という恐れを抱いてしまう医師や施設長さんたちは、看護師の個別援助に係る臨床判断とアセスメントによる援助の意思決定の過程を理解する機会がなかったのですね。だから、排泄援助イコールおむつ交換になっちゃうのです。おむつを使わなくてもいい人にもおむつを当て、定期的に交換することが看護師の「業務」だと思っているかもしれない。この状況の要因として看護職が他の職種に対して自職種の役割機能、保有する知識を説明することが不十分であったこともあります。つまりこのような方々がまだたくさんいるとすれば、それを放置してきたわたしたち看護職の責任でもあるわけです。
 看護師が、おむつ交換をするかしないかは、患者・利用者の状態をアセスメントして、援助計画を導き出した結果、「自分の保有する知識と技術が不可欠な状況であれば自分がおむつ交換をします」もしくは「介護職が援助したほうが患者利用者にとってより良い結果が出ると判断されるなら、介護職に任せます」「現場の状況から介護職が援助するのが難しいなら自分がやります」という、専門的かつ総合的な状況の判断により決定されます。ここに看護師の自律的な実施の可否判断と他の職種との相互依存がある。患者・利用者の自律を尊重するために、いろんな職種が相互依存的にタスクをカバーし合うということが、これからの専門職的自律(professional autonomy)のキーワードとなっていくと思います。

なにが「高度(advance)」で、なにが「基礎(basic)」なのか

 同じことは、特定行為と呼ばれる相対的医行為についても言えます。特定行為研修修了者は21区分38行為の診療の補助業務を行うことができます。これらの特定行為はもともと医行為だったので、当然、医師も実施することができます。ですから手順書では修了者がやるより医師がやったほうが良い、と修了者が判断したら、医師をコールするように決められている。つまり特定行為は、患者への診療ケアを提供するための医師と修了者の互恵的な相互依存関係により実現するものです。そのため古典的な医師‐看護師関係ではこの特定行為の特長を生かすことができず、患者の健康アウトカムへの効果は最大化されないことが予測されます。手順書に明記されている「特定行為の実施の可否判断」は特定行為研修修了者の専門職的自律のもと行われるものであり、パートナーである医師がその自律性を承認しなければ、手順書による包括指示は実現できません。医師は一つひとつ具体的な指示を出すことになりますし、医師の業務は減りません。特定行為は戦後から続いてきた医師‐看護師の不毛な対立関係から、患者の診療ケアの質の向上を共通目的とした協働的パートナーシップの構築へと変化を促す機能を持っていると言えます。
 また特定行為研修制度は、看護師の質の標準化と底上げのための施策であるということもできます。なぜかというと、高度な実践とは、自分たちの仕事のテンプレートをつくるということだからです。すなわち、自分たちの仕事の地図や設計図を描ける人のことを言います。医学的知識の多い実践者のことを指すのではありません。
 advanceの対義語であるbasicな実践とは、やらなければならない基本的なケアが指導なしにできることです。特定行為研修修了者は両者の間にあり、basicな実践能力に相対的医行為の実施の可否判断を自律的に行う能力を加えたということになります。そしてこれから確実な専門職連携教育や、看護基礎教育のさらなる高度化が実現されれば、特定行為研修に含まれている教育内容は基礎教育に移行するものも出てくるかもしれません。特定行為研修は自分たちの仕事の設計図を自分たちで描くというところまでは保証していないのです。自分たちの仕事の設計図を自分たちで描き、それを実践し検証するためには、高度実践看護師のグローバルスタンダードであるところの「少なくとも修士以上の高等教育を受けている」「高度実践のための教育を受けたということが国家レベルで認証されている」ということが必要となると思います。

世は歌につれ、歌は世につれ ~ Compass of your heart♪

 歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響されるものです。専門職の自律と高度実践についても、30年前に思い描いていた「医師から具体的指示を受けずに完全に自律した判断のもと実践する看護職」ということは、世界のありようの再構築により重要性が低くなってきました。むしろ、患者・利用者の自律を尊重した適時適切な診療ケアの提供が求められ、そのための同僚への関心と理解、緊密なコミュニケーションと信頼に基づいた互恵的相互依存関係を積極的につくっていくということが重要視されています。
 歌が看護実践ならば、世の成り行きに合わせた歌をつくり、そしてその歌が世界に影響するということを目指したいと思います。

 
引用文献
1)山本武志・河口明人:医療プロフェッショナリズム概念の検討,北海道大学大学院教育学研究院紀要,126, p.1-18,2016
参考文献
Andrew H,Van de Ven:Engaged Scholarship A Guide for Organizational and Social Research,Chapter8,2007
 

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 詳しくはこちら(https://www.n.chiba-u.jp/admission/graduate/outline.html)から

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千葉大学看護学研究科ホームページからもご覧いただけます➡ https://www.n.chiba-u.jp/outline/movie.html

 

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酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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