教員養成課程の臨地実習での出会い
看護師として小児病棟で血液疾患や神経疾患のある患児のケアを続けてきた9年目のある日、実習指導で来ていた看護教員から新設の看護学校の教員を探していると声をかけられた。これが私の看護教育人生の入口だった。
専任教員として着任するため、神奈川県立看護教育大学校教員養成課程(現在は閉校)へ進み、初めての寮生活を経験しながら級友たちと苦楽を共にした。教員養成課程での1年間で学んだことは計り知れないが、なかでも今の自分に大きな影響を与えたもののひとつが、看護実習先でのある白血病患児との出会いである。この出会いは、教員としてのキャリアを積み重ねてきた今でも深く心に残り、自身の教育にも大きく影響するものとなった。
“学生泣かせ”の白血病患児とのかかわり
私が受講した教員養成課程のカリキュラムには看護実習が含まれていた。学生と同じように実習を行い、レポートを提出することで、教員となる前に改めて学生の立場を疑似体験する。臨床看護師として9年間働いてきているうえ、来年には教員として学生に看護を教える身だ。「失敗ができない」という緊張感も大きく、実習初日は人生で一番といっても過言ではないほどに気が張り詰めた。しかし、いざ実習先の小児病棟に行くと、緊張は消えさり、目の前の看護に集中した。長い期間白血病と闘ってきた女児を受け持つこととなり、とにかく彼女へのケアに注力せねばという思いが勝ったのだ。
まだ9歳と本来であれば元気いっぱいなはずのその子は、再発を繰り返してきたつらい経験も影響したのか、あまり話さず反応や心理を読み取りにくいため、“学生泣かせ”と言われていた患児であった。血液病棟での臨床経験で白血病患児を何度も受け持ってきたため、この治療によって患児がどれだけ辛い思いをしているかもよく知っていた。それでも、患児と接する時は病気の有無やどんな病気であるかをあまり意識せず、普通の子と同じように接するようにしてきたし、彼女にも同じように接した。
特別視はしなかったが、彼女がより良く過ごせるような心配りは忘れなかった。抗がん薬の副作用で起こる脱毛をとても気にしている様子で、いつも帽子をかぶっていたことから、頭部の放射線照射に同行した際には直前までかぶっている帽子をそばにいて受け取り、治療後は真っ先に帽子を渡し安心してもらえるように心掛けた。
患児が発した「人間になりたい」
実習中のある日、担当患児や同じ病室の子どもたちと「大きくなったら何になりたいか」という他愛もない会話をした。他の子どもたちが「ケーキ屋さん」や「かんごふさん」など子どもらしい夢を語ってくれた中、彼女はただひとり「人間になりたい」と言った。悲壮感の漂った口調ではなかった。ケーキ屋さんやかんごふさんを夢見る子どもたちと変わらない、何気なく口をついて出たような言葉だった。しかし、小さな子どもがポロっと「人間になりたい」とこぼした事実は、私にとって衝撃的だった。何事もなかったかのように他の子と遊び始めた彼女を見て、驚きこそしたが動揺してはいけないとなるべく普通に振舞ったことはよく覚えている。
短い実習期間が終わり、私は病棟を離れた。実習報告では、彼女との病室での会話について取り上げた。将来の話をすべきではなかったと反省したし、こんな言葉を引き出そうと思っていたわけではない、辛い思いをさせてしまったという後悔もあった。
患児が亡くなって初めて理解したこと
その2~3ヵ月後、いや、6ヵ月後だったかもしれない。患児が亡くなったことを人づてに聞いた。すぐに思い出されたのはやはりあの病室での会話だった。当時、自身の病気や余命について告知されていなかっただろうが、きっと彼女はなんとなく自分の死期を悟っていたのだろう。過酷な治療においても痛い、辛いといった気持ちを表情や声に出さない子だったから、あの「人間になりたい」という言葉は、普通の子どものように元気に走り回ることができないこと、病気が治らないことへの想いの表出であり、初めて口にした本音だったのではないか。
彼女の死をきっかけに、ずっと抱いてきた後悔の念が「気持ちを伝えてくれてよかった」というものに変化していった。自分と過ごした時間が少しでも心を開けるものとなっていて、そのために胸の内を明かしてくれたのだとしたら、と思うと、心を覆っていた霧が少し晴れたような気がした。同時に、精いっぱい生きた患児が教えてくれたことを無駄にしないためにも、看護教員として教鞭をとるときには、この体験を未来の看護師たちに伝え続けることが自分の使命であると思った。
過去の経験を通して学生に伝えたいこと
講義では、学生たちに実際の看護をイメージしてもらえるよう、自身の臨床経験のエピソードを交えるようにしている。“子どもが死をどう受け止めるか”ということは難しい問題であり、先の白血病の患児の一件を取り上げるのだが、患児のひと言は学生にも強く響くようである。講義後のリアクションペーパーには「自分も患児の気持ちを大事にするようなかかわりをしなければならないと感じた」というような感想がつづられていることが多い。
それができるのは、ベッドサイドにいることが一番多い看護師に他ならない。何気ない会話の中で把握できるメッセージを聞き逃さず、患者の気持ちに寄り添うことで、患者がよりよく生きるための力となれるのである。もちろん、看護の担い手としての役割は学生であろうと変わらない。実習にあたっては単位を取るためだけでなく、患者の心を尊重し、ナーシングチームの一員として患者や家族に少しでも役立つことを計画して実施してほしいと伝えている。
もうひとつ、学生たちには生きることのありがたさとも強く向き合ってほしいと思っている。看護を学び続けると、どうしてもモチベーションが上がらない時期もあるものだ。しかし、課題や実習が大変でも、健康に生きて夢のために一生懸命取り組めることがいかに貴重で幸せなことかを今一度考え、子どもたちの想いを受け止めながら真摯に取り組む看護師になることを願ってやまない。
あの実習の最終日、件の患児は自ら私の手帳に「絵を描きたい」と申し出てくれた。可愛らしい絵に添えられた「ありがとう」の言葉を思い出すたび、使命感が沸き上がる。当時感じた罪悪感が拭い切れたわけではないが、病と闘ってきた子どもたちの声を通して看護学生たちにメッセージを届けることが自分の役割だと信じて、いまも教壇に立ち続けている。