はじめに
看護教員となって14回目、教務主任となって4回目の春がもうすぐやってきます。自校の課題について考えたり、学生や教職員と向き合ったりしていく中で少しずつ教育への考え方や思いも変わってきました。しかし、学生たちからもらえるたくさんのパワーが私を突き動かす原動力となってくれることは、今も昔も変わりません。彼らの成長を目の当たりにして心を動かされた経験は数多くありますが、今回はある男子学生とのやり取りや、彼と共に得た気付きを振り返ってみたいと思います。
現場経験があるからこそ壁に直面した学生
私は看護教員になってからの6年間、2年課程を担当していました。2年課程の学生の中には、私より長く看護の現場で働いてきた学生もいました。彼らは経験が豊富な分、難しい理屈や根拠を前提として捉えるのではなく、感覚的にその人に必要な看護の方向性を見出す力が高いという大きな強みを持っています。
教員4年目の年に実習を担当したAさんもその一人でした。一般病棟での基礎実習の時、安静臥床中で認知症を患う90歳台の患者を受け持ち「私は精神科の経験しかないので、職場で看護技術を実践したことが殆どありません」とやや不安そうな表情を浮かべていましたが、いざ実習になると病態や治療に関する学習はもちろん、患者に必要と思われる全身清拭や排泄時の介助をはじめ、生活リズムを整えるための工夫について積極的に考えることができていました。しかしその反面、経験があるからこそ、看護に対してどこか割り切ってしまう冷めた面もありました。精神科の現場は特殊性が強く、精神疾患を患い何十年単位と長きにわたって病院で過ごしているような、回復が見込めない患者と接することもままあります。こうした環境も彼の思考に影響したのかもしれません。
ある日、援助を実践しようとした彼から「先生、なんだかわからなくなってきました。」と思いを打ち明けられました。「明日になればまたすぐに忘れてしまう人に、日にちの感覚を持ってもらうことって本当に必要でしょうか。学生だからといってカレンダーを作るのも自己満足じゃないですか? それに、車いすでもベッド上でも食事量が同じなら、車いすに乗る必要はないですよね」そう話す彼に、私は驚きを隠せませんでした。
過去の看護を振り返り、客観的に見つめ直すことの大切さ
今思えば、なんと素直な疑問といいますか、よくぞぶつけてくれたと思います。私は、Aさんの問いに対して一つひとつ「なぜそう思うの?」と理由を尋ねました。彼もまた素直な胸の内を語ってくれました。「精神科で長年働いてきた中で、日にちの感覚は知りたい人には教えればいいし、知りたくない人は知らなくてもいい、食事も必要な栄養さえ摂れればいいと感じたからです」と話す彼と一緒に、その考え方は本当に正しいのかをじっくり考えました。
Aさんとのやりとりの中で、私は「あなたはなぜ看護師になろうと思ったの?どんな看護がしたいの?」と問いかけました。行き詰り迷っている彼に、看護を学び直したいと感じた原点に立ち戻ってみてほしいと強く思ったのです。
Aさんは現時点での考えを言葉にすることこそできませんでしたが、「それを見つけるために進学しました」とだけ答えてくれました。何が看護で何がそうではないのか、これまで実践してきたことは本当に看護と呼べるのか、というモヤモヤとした気持ちを抱えながら、Aさんがこれまでの自分の看護に葛藤や疑問を抱き続けてきたことが私にははっきりとわかりました。私は、Aさん自身が自分の中に引っかかっているものに気付くこと、そこから逃げないことの大切さを真剣に伝えました。そして、これまでの自分の看護を振り返り、客観的に見つめることができたならば、きっと看護師を目指す意味も見えてくるはずだと、彼の背中を押せるよう言葉をかけました。
Aさんはしばらく考え込んでいました。そして、「この実習で自分が勝手に患者さんの限界を決めていたことに気が付きました。日めくりカレンダー、明日作ってきます!駄目かもしれませんがやってみます。それに、食事の時は車いすで食堂に行って、外の景色を見ながら少しでも楽しみが広がるようにしたいと思います」と話してくれました。どこかすっきりしたようなAさんの表情を、今でも覚えています。
次の日、早速卓上の日めくりカレンダーを作成してきたAさんは、少し恥ずかしそうに患者に手渡していました。患者は喜び、自ら手に取って日付を更新するようになっていきました。患者の嬉しそうな姿を見て「やってみるもんですね!」と笑顔を見せたり、食堂で景色を見ながら患者と談笑し、楽しそうに食事介助をしたりするAさんの姿からは、大きな充実感が伝わってきました。きっと、自分のやりたい看護を見つけることができたのだと思います。
“自分にとっての看護”を見つけてほしい
それまでの私は、自分よりキャリアを積んだ学生を教えることへの葛藤を抱え、「自分に何が教えられるだろうか」「彼らに看護を教えるのが私でよいのだろうか」と何度も考えてきました。Aさんとのやり取りにおいても、自分の言葉がAさんに届くのか不安もありましたし、私自身これまでの看護を振り返り「看護とは何か」「自分がしてきたことは自己満足ではなかったか」と考えさせられもしました。ですが、Aさんの変化を見て、学生たち自身が“看護をどう捉えるか”を確立することが、彼らの本質的な学びにつながることを実感しました。そして、自分は学生に教えなければ、変わってもらわなければ、と肩に力が入っていたことに気づきました。
Aさんとの関わりを通して、私がそれまで抱いていた教員としての迷いや不安は消えました。それからは、学生とともに悩み、学生が自分にとっての看護を見出すことこそが、私の看護教育の柱となっています。学生自身の成長を阻むものを学生と一緒になって見つめ、自身が気づいていない力を引き出す姿勢、学生の伸びしろや強みを信じて関わり、温かく見守る姿勢をこれからも大切にしていくとともに、積極的に職場風土としても根付かせていきたいと思います。