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第35回:墓じゃないのに墓になる(その1)

第35回:墓じゃないのに墓になる(その1)

2026.05.14田中 大介(自治医科大学医学部・大学院医学研究科 教授)

 墓石というと、皆さんは一体どのようなデザインを思い浮かべるでしょうか。現在、最も一般的なのは俗に棹石(さおいし)1)と呼ばれる四角柱の石塔ですが、これに対して石塔というよりも石碑と言ったほうがしっくりと来るような平べったい形だったり、表面にガラス素材を用いて装飾性を高めていたり、はたまた「心」「感謝」「ありがとう」などのメッセージ性のある言葉が刻まれていたりと、皆さんもさまざまな墓石を見かけたことがあるかもしれませんね。

 百花繚乱とまで言えるかどうかはさておき、このように近年の墓石のデザインには多様なバリエーションがあります。もっとも、その一方で墓石(または墓石を含む全体としてのお墓)のデザインは長い歴史のなかで変わり続けてきましたから、その変化と多様性は今に始まった話ではないことも事実。ただ、墓石のデザインに何らかの思いを馳せたり、故人や残された者たちの趣味嗜好を反映させたりするというのは、おそらく古今東西変わらないのかもしれません。そこで今回は、まさにこの古今東西という言葉が表すような壮大な歴史を経て、そして大陸と文化の違いすら超えて、タイトルで示したように「墓じゃなかったのに墓になった」というデザインをご紹介してみましょう。

はじまりは古代エジプト

 どうせ、またダラダラと前置きが続くんだろう……と思ったそこのアナタ! いや、いつも話がまだるっこしいとワタクシも最近ちょっと反省しているんですよ。なので、今回はもう最初に「墓じゃなかったのに墓になった」デザインとは何かということをお伝えしておくと、それは「オベリスク」。日本語では方尖柱(ほうせんちゅう)などと呼ぶ場合もありますが、たとえばフランスやエジプトに旅行した経験がある方は、こんなドでかい柱が聳(そび)えているのをご覧になりませんでしたか?

オベリスク
[左:コンコルド広場(フランス・パリ)〔Wikimedia Commons,https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris,_Obelisk_in_the_Place_de_la_Concorde,_July_22,_2008.jpg〕,右:ルクソール神殿(エジプト・ルクソール)〔同, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pylons_and_obelisk_Luxor_temple.jpg〕(最終確認:2026年5月5日)より引用]

 上に示した写真の左側はパリのコンコルド広場、そして右側はエジプトのルクソール神殿。どちらも観光名所として有名なスポットですから、訪れたことがなくても先刻ご承知という方々も多いのでは。で、この巨大な柱がオベリスクなのですが、形がよく似ているでしょう。それもそのはずで、元々ルクソール神殿にあったオベリスクは2本で1対だったものの、その内の1本が1836年にエジプトからフランスに贈られることになり、ポキンと折られてパリのコンコルド広場に移されたというわけです2)。その証拠に、ルクソール神殿の写真のほうでは、オベリスクが移設された後の台座がそのまま残っているのをご覧いただけるのではないでしょうか。

 では、このオベリスクとはそもそも何なのか? ここで、まさにオベリスクが墓になった歴史的経緯について膨大な調査を行った、東京大学大学院准教授の冨澤かな氏による『死とオベリスク:墓石のグローバル・ヒストリー』を紐解いてみましょう。

オベリスクは古代エジプトの柱状建築物で、本来は「テケヌ」と呼ばれる。「オベリスク」の名は、この細長い形状に対するギリシャ語の呼称オベリスコス(「串」の意味)に由来する。細長い柱のような四角錐の上にピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)が乗る形状が特徴である。花崗岩の一枚岩からなり、側面にヒエログリフの碑文があり、どの王が何を理由にどの神に奉献すべく建てたかといった経緯や、王の事績を語り称える文言が刻まれている。<中略>太陽神殿の塔門(ピュロン)に2本1対で建てられるのがオベリスクの本来の形式である。普通、2本が東西に並べられ、それぞれ「昇りゆく太陽」と「沈みゆく太陽」を示すとされていたという。3)

 というわけで本来のオベリスクとは墓石などでは全くなく、古代エジプトの太陽崇拝に基づいた記念碑、もしくは王のような高貴な人物を称えるための顕彰碑に位置づけられる柱状建築物でした。しかしながら、この四角錐型のデザイン、特に西洋諸国の墓地では結構見かけるんですよ。多数派とは言えないものの、新旧問わず一定の広さを持つ墓地であれば、それなりに目につくデザインであるのは間違いありません。そのいくつかの例を以下の写真で示しましたが、まさに先ほどのオベリスクのミニチュア版といったデザインになっていますよね。

オベリスク型墓石の例
[①:ハイゲート墓地(イギリス・ロンドン)〔Wikimedia Commons,https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Erected_in_1864_Feliks_Nowosielski%27s_obelisk_at_the_White_Eagle_Hill_in_London_Kingdom_of_England.jpg〕,②ブリュッセル墓地(ベルギー・ブリュッセル)〔同, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cimeti%C3%A8re_de_Bruxelles_11.jpg〕,③ラミントン黒人墓地(アメリカ合衆国・ニュージャージー州)〔同, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lamington_Black_Cemetery,_NJ_-_obelisk_tombstone.jpg〕,④オークヒル墓地(アメリカ合衆国・バージニア州)〔キャロル・メモリアルズ墓石店, https://carrollmemorialsva.com/wp-content/uploads/2024/08/Kline-Obelisk-Lloyd-2013-1-1030x955-1-2.jpg〕(最終確認:2026年5月5日)より引用]

 最後の④は2010年に亡くなった方のお墓なので比較的新しく、また「錐」というよりは「柱」といった形状ではあるものの、最上部にピラミディオンが鎮座していますから、紛うことなきオベリスクです4)。故人の写真を墓石に刻み込んでいるのが現代的ですが、いずれにしても西洋における墓石の典型的なデザインのひとつとしてオベリスクが用いられていることがお分かりいただけるのではないでしょうか。

エジプトからローマへ

 それでは、なぜこのオベリスクが墓石の定番デザインのひとつになったのか。管見の限り、これは最近まで結構大きな謎というか、率直に言うと「誰もあまり深く考えてこなかった」と言えるかもしれません。いや、それはちょっと言い過ぎかな……とも思いましたが、学術的に突き詰めようとした決定打はなかなか見当たらず、実はワタクシも「あまり」どころか「まったく」考えてこなかった一人です。あらためて自分がポンコツ研究者であることを恥じ入りつつ、これに対して先ほど登場した冨澤氏は数千年の世界史を縦横無尽に掘り起こすような綿密な調査と分析を行っています。以下、もう「他人のフンドシで相撲を取る」の言葉通りではありますが、冨澤氏の見解も踏まえながら、オベリスクが墓になった経緯を辿っていきましょう。

 まず、先述の通りオベリスクの原点である古代エジプトでは、オベリスクには死や慰霊との関わりはほとんどなく、刻まれている碑文の内容もオベリスクを奉納した王の功績を称えるものがほとんどで、「死後の永世に関わる内容のものは見つかっていない」5)という揺るぎ難い事実が存在します。そして、このオベリスクをエジプトから戦利品として持ち帰ったり、時には自ら建造したりして、都市とその権威を象徴するモニュメントとして至る所にニョキニョキと建てた一大文明がありました。それが、古代ローマです。たとえばローマ帝国の黄金時代であるパクス・ロマーナの礎を築いたアウグストゥス(紀元前63~紀元14年)も、ローマのエジプト征服を記念するモニュメントとして街の中心部にオベリスクを建てたことで知られており、このオベリスクは現在もローマのモンテチトーリオ広場にある「モンテチトーリオ・オベリスク」としてローマ帝国の輝かしい歴史を伝えています6)

モンテチトーリオ・オベリスク
[Wikimedia Commons,https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Egyptian_Obelisk_Solare,_Psammeticus_II,_Heliopolis,_Taken_by_Augustus_in_10_BC_(48424248527).jpg (最終確認:2026年5月5日)より引用]

 このようにエジプトからローマへとオベリスクが持ち込まれた背景には、単に「戦争に勝ったぞ!」「ローマ帝国スゴイんだぞ!」と誇らしいモニュメントを建てようとしたからだけではなく、宗教的な意味合いもありました。古代エジプトと古代ローマの宗教体系は大局的には異なるものとして位置づけられますが、実はお互いに色々と混ざりあっている部分もあり、特にエジプトで建てられた本来のオベリスクが象徴していた太陽崇拝、そしてその崇拝の中心とも言える「再生」のイメージは、ローマに建てられたオベリスクにも強く引き継がれています。太陽が燦々と輝く天空に向けて突き出すように聳える姿はいかにも神々しく、また太陽のように豊かさと力をもたらすものとして皇帝の権威を象徴し、そして夜が明けて陽が昇るという永遠の時の流れをあらわす……そんなオベリスクの威容が、ローマの人びとが持つ超自然的な存在への畏敬や、宗教的な好みと自然に合致したのかもしれません。

 それに加えて、エジプト神話のなかで重要な位置を占める女神イシスへの信仰がローマに持ち込まれていたことも、オベリスクの歴史を考える上では重要です7)。ローマにあるイシス神殿の近くで多数のオベリスクが発見されているのも、紀元前のエジプトからローマに伝わったオベリスクが単にモノの移動としてだけではなく、宗教や文化の移動としても見なし得ると言えるでしょう。そして、ここから更に時間と空間をまたいでオベリスクの物語は続くのですが……最初に「話がまだるっこしいとワタクシも最近ちょっと反省している」なんて言ってしまった手前、今回はここで一区切りをつけることにさせてください。「まだ古代エジプトと古代ローマしか出てきてないじゃないか!」「そこから現代まで、一体どれぐらいかかるんだ!」とお叱りを受けそうではありますが、どうかオベリスクのようにずっしりと構えていただいて、どうか次回までお待ちを……。


1)読みは同じですが、「竿石」と書く場合もあります。
2)当時のエジプトはムハンマド・アリー朝、そしてフランスはナポレオン3世が統治する第2帝政の時代です。何だか世界史の授業みたいになっちゃいますが、ムハンマド・アリー朝はエジプトの近代化を推し進める上で大きな功績をあげた一方、その近代化は逆に英仏をはじめとするヨーロッパ列強の植民地主義政策に取り込まれることにもつながり、徐々に従属的な関係を強いられるようになっていました。なので、名目上は贈られたということにはなっていますが、その背後にはやはり国家同士の力関係がはたらいていたことは言うまでもありません。ちなみに「ポキンと折られて」というのは勿論冗談で、かなりの大工事だったようです。だって、このオベリスクは高さが20メートル以上、重さは推定で約230トンと言われていますから、そんな簡単にはいきませんからね!
3)冨澤かな:死とオベリスク 墓石のグローバル・ヒストリー,p.5-6,中央公論美術出版,2025.尚、今回のトピックの多くはこの文献に拠らせていただきました。全362頁の純然たる研究文献で少し尻込みしてしまうかもしれませんが、おそらく一般の読者にもそれほど難解さを感じさせず(その意味でもスゴイ)、まるで世界中を飛び回りながら数千年の歴史を体験しているかのごとく知的好奇心をかきたてる大著です。興味のある方はご一読を。
4)この写真は、とある墓石店が施工例として掲げている写真を引用したのですが、そこでも「オベリスク型」として紹介されています。
5)上掲3:p.292
6)これもまた、ヘリオポリス(現在のエジプトの首都であるカイロの近郊)からローマへと運び込まれたもので、ローマ市民にとっては巨大な日時計の役割も果たしていたため、「アウグストゥスの日時計」や「太陽のオベリスク」などと呼ばれることもあります。ただ、8~11世紀あたりに倒壊して、その後何百年も地中に埋もれたまま放置されてしまっていたのを再建・修復したものなので、そのまま手つかずで残っている……とまでは言えないかもしれません。
7)共和政ローマ(紀元前509~同27年)の時代には、ローマ帝国のほぼ全域にイシス信仰が浸透していたという説が一般的です。

田中 大介

自治医科大学医学部・大学院医学研究科 教授

たなか・だいすけ/1995年に金沢大学経済学部経済学科卒業後、三菱商事株式会社入社。6年間の商社勤務を経て2001年に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に入学し、修士課程および博士課程を修了して博士(学術)取得。早稲田大学人間科学学術院などで教職を経て、2020年に自治医科大学医学部・大学院医学研究科教授に就任。専門は文化人類学・死生学。大学院生時代は葬儀社に従業員として数年間勤務するというフィールドワークを展開し、その経験をもとに執筆した『葬儀業のエスノグラフィ』(東京大学出版会,2017)をはじめ、主に現代的な葬制への関心を通じて「死をめぐる文化」の調査研究を進めている。

企画連載

おとむらいフィールドノート ~人類学からみる死のかたち~

人間が死ぬってどういうことなんだろう……。このコラムでは、人類学者である筆者があれこれと書き留めていくフィールドノートのように、死・弔い・看取りをめぐる幅ひろく豊かな文化のありかたを描き出していきます。ご自身が思う「死」というものを見つめ直してみませんか。

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