皆さま、約1年ぶりでしょうか? 皆さまにおかれましてはお元気にご活躍のことと存じます。カピバラ、久々に戻って来ました。ご無沙汰している間に、無事に定年退職となりましたけど、今はまだ居心地の良い古巣に居まして、「本当の」職業的アデイショナルタイムを過ごしています。まだ試合終了の笛は吹かれていないようです(これから3回にわたって、また書いてみたいと思います。1年間の充電はカピバラに何をもたらしたのか? いや、それとももたらさなかったのか? 読んでいただいて、感想などお聞かせいただけましたらうれしいです)。今回は、IPE業界では悪名高い、サイロ、塔、たこつぼをお城に見立てて、なんで私たち、お城をつくっちゃうんだろうなあという話をしてみたいと思います。
小さなお城をつくるわけ
専門職が専門職として育つ過程では、お城が必要です。城内でしか通じない言葉、暗黙のうちに通じ合う仕事スタイル、それらを体系立てるための場、そして知識を体系立てるための特有の方法(としての研究)、これらは同じ価値観をもった集団の中で育まれていきます。
専門職がこのような閉じた場で純粋培養される側面はどうしてもある。小さなお城は、冒頭で申し上げたとおり、サイロと呼ばれたり、塔と呼ばれたり、たこつぼと呼ばれたりしてきたわけですが、カピバラ、最近強く思っているのは、カピバラも小さなお城の住人であったし、今でも自分が帰るべきお城はあるんですよね。
お城というのは、門を閉じたら敵が入って来られないつくりになっている防衛装置であり、その安全を保障された中での教育の場であり、自職種への誇りの醸成を促進する仕かけがいたる所にあるといって良い。お城をきれいにして居心地良くするっていうのは、当たり前の営みではなかろうかと、最近思ってきたのです。
生存戦略としての群れ、維持戦略としての序列
人間は社会的な生き物と言われますよね。社会をつくる、言い換えれば群れる。群れには境界が生まれるわけです。群れることにより生存確率が高まるから。奈良公園のシカさんたちも、東大寺のほうまで出勤してくるシカさんは、大人のシカなんだけど、春日神社の木立のなかには、小鹿が群れていて、大人のシカが数頭で見守っている光景がそこここで見られる。群れることというのは、弱い個体を守りつつ、群れを拡大していくことによりその群れのメンバーが生き残りやすくするっていうことです。
群れが大きくなっていくと、その群れを維持するために序列ができてきます。すなわち個体α(王様)が生まれ、家臣、門番とその群れを統治するためのルールが決まっていくわけです。群れの維持戦略としての序列ということですよね。
このお城の居心地が良いということは、群れの序列が機能して、群れに所属している限りは、自分のありように悩まなくていいということを指しています。あんまり考えなくても、群れの中で暮らしていける。上を目指したいと思ったらそうしてもよい。個体αになれるかどうかは、時の運と自分の実力ってことはあるけど、やることは明確ですよね。今の個体αにとって代わればいいんだから。古今東西、世界の津々浦々そのようにして政権交代が行われてきました。昔の教授選とか?
お城の外にはモンスターがいる荒野が広がっていると思い込んで、居心地の良い小さなお城に閉じこもる専門職たち、というのは、まあ、カピバラも心当たりがあります。だって、安心なんだもん。外に行ったら、言葉が通じないし。
だけど、自分たちはお城の中で何を成し遂げたいのかな? とふと思ってしまうのも、専門職の性質なのではないかなと思います。なぜなら専門職というのは、公共財であり、なんといっても自分たちのためだけに仕事をしているのではないから。看護師のために看護するわけじゃないですよね。お城に居続けるとなんだか忘れてしまうけど。
実は、専門職の仕事は、お城の外にあるわけです。
専門職教育は「自分たち」をつくる
専門職教育は、言葉を選ばずに言えば、自分たちを再生産するという側面があります。看護職が看護職を育成する、医師が医師を育成する、みたいなことです。
現在では、看護職が看護職を育成することは当たり前のように思うと思うんですが、カピバラ年代の皆さまはよくご存じのように、つい50年くらい前までは、看護学校の校長先生は医師であることが多かったし、今、プラチナ・ナースとして活躍中の看護職の皆さん、若かりし頃を思い出してもらうと、病院付属の看護師養成校が普通のあり様で、カリキュラムも医学から借りてきており、そして医師に教わっていた経験をもつ人がほとんどなのではないでしょうか。カピバラもそうだった。教授は医師で助教授(当時の呼び方)が看護職でしたね。卒論のハンコを押してくれたのは外科系の医師である教授でした。そんな環境で、助教授の看護職教員は、「看護というのは学問として独立したものであるのだよ、何が看護で何が看護ではないか、よく考えなさいね」と皆さん異口同音におっしゃっていました。
自分たちが自分たちで自分たちの後輩を育成する、それが看護職の職業的自律に向けての最初の第一歩である、と思ってきた先輩がいてくださったから、看護教育は発展してきました。そして乱暴に言えば、カピバラ世代はそういう先輩たち(第1世代)に育てられた第2世代ということなんだと思います。自分たちのお城をつくるってことが、ちょっと前まで看護職の悲願であったわけですね。
医療の高度化に伴って、看護職だけではなく、薬剤師も理学療法士も作業療法士も言語聴覚士も、あの職種も、この職種も、教育の高度化、専門化が猛スピードで進行し、専門性をもつことが「善いこと」であるような時代でもありました。あちこちにお城がつくられていきました。
カピバラもお城をつくってきたと思います。だってカピバラ世代の大卒ナース、お城のつくり方もよくわからないのに、お城をつくるのがあなたたちのミッションである、と聞かされて育ってきたんだもん。自分たちの専門性を自分たちの手で守り育てるんだよ、って。つまり、看護職は権力への欲でお城をつくりたいとか、迫りくる敵を排除するためにお城をつくりたいとか、思ってたわけではないんですね。職能集団として自律し、自立したかった。だからまずお城をつくり、やがて城壁を築き、堅牢な門をつくり、旗を立てたわけです。そして国境、すなわちプロフェッショナルボーダーができていきました。それは看護ではない、これは看護である、といったようなことです。
だけど、さっきも言ったように、お城のつくり方は教わってないの。だから既存の立派そうなお城を参考にしたということはあったのかな、と思います。その立派そうなお城では王様が君臨している、堅牢な家父長制のものが多かった。
外敵からの防衛、後進育成、伝統文化の継承、それが城の機能だが
お城には、防衛機能、教育機能、暗黙知の伝承と専門職文化の継承、アイデンティティ形成機能、そして、城の中の秩序維持機能と知識体系化機能がありますよね。
このような多機能なお城ですが、住人になれば、○○職種として安心して暮らすことができる場所になる。わかりあえる場所になるんです。ここで元気を得た専門職は、勢力拡大に打って出たりして、新領域創成とか、高度実践とか、研究費獲得とか、という行動につながっていく。群れは「維持」しようとすると衰退していきますので、生存していくためには、常に勢力拡大の方向性に舵を切らざるを得ない。そうすることによる縄張り争いみたいなことも起きてきます。
このようにお城をつくる必然性が専門職にはあるんですが、お城の弊害も認識しておく必要がありますね。人を育て、アイデンティティを形成し、安全な場所を提供するお城ですが、お城には人を閉じ込める、という性質もまたあるのだと思います。閉じ込められた結果、排他性が増したり、権威的になったり、正統性を守ろうとして門番がやたら強くなったり、内部の居心地が良すぎるために、外に出ていくのを恐れたり、縄張り争いに巻き込まれたり、といったようなことが起きたりもするわけです。
今、いろんなお城では、それぞれのお家事情を抱えてますよね。王様の乱立による内戦、内戦により人心が疲弊し、お城の管理に手が回らず、草ボーボーでしょぼくなっていたりとか、王様と住民の気持ち(価値観)が乖離しており、一個一個の意思決定が難しい状況があったりとか。
お城を出てみたら?
お城に閉じこもっていたら、これらのお家事情はものすごく大変なことのように感じてしまいます。夢だったお城の住人になったらば、なんか真っ白なお城の外壁が黄ばんできたとか、果てはそこここで雨漏りがしてるとか、そんな感じがしてくる。
ここで思い出したいのは、お城をつくったのはなんのため? ということです。専門職がお城をつくる理由は、お城の外で仕事をするためです。専門職はお城の外で仕事をするからこそ専門職。モンスターのいる荒野で戦ってなんぼ。なぜなら専門職には使命と言いますか、本来の役割があるから。看護職の本来の役割は、生まれ、育ち、病み、老い、亡くなっていく人々の暮らしのそばにいて、ちょっと楽になってもらったり、元気になってもらったり、便利になったりするということです。
さて、モンスターはどこにいるのか? モンスターは、人々の苦難であったのです。これはお城の中にいるだけではわからないことですね。





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