第14回では、微生物の観察にはなくてはならない、顕微鏡をテーマにしましたね。そのときには光学顕微鏡と対比させて電子顕微鏡のおはなしをしましたが、構造や原理が光学顕微鏡とよく似ているということで、透過型電子顕微鏡(TEM)を取り上げました。ところが、実は電子顕微鏡にはもう一種類、走査型電子顕微鏡(SEM)というのもあるんです。略して走査電顕といいます。こちらのお話しもさせてください。そしてこちらも私にとって、とても思い出深い顕微鏡なのです。
とろろ先生と医学部時代の思い出
まずはこの写真(図1)をご覧ください。
画像が不鮮明ですみません。実はオリジナルの写真が散逸してしまっており、当教室にパネルとして貼っている写真を接写したものなんです。またこの写真、わざと色をつけております。前にもお話ししましたが、電子顕微鏡写真は基本的に色がない「白黒写真」です。
さてこの写真、なんだがクネクネしたものが周りについている球形の物体ですよね。これ、リンパ球です。そしてこれ、実は「私のTリンパ球」なんです。なぜこの写真を撮ることになったのか、この写真とSEMにはどのような関係があるのか、まずはちょっと語らせてください。
私が医学部の5年生のとき、基礎配属というカリキュラムがあって、基礎医学系の実験室に1ヵ月ほどご厄介になって実験をすることになっていました。もちろん私は微生物に興味があったので現在私の所属する教室にお世話になりました。ここでいろいろ実験をさせてもらったのですが、当時助手でいらした高崎智彦先生にたいへん熱心にご指導いただきました。高崎先生はとくに昆虫媒介性ウイルスの大家である大先輩でして、そのあと国立感染症研究所ウイルス第1部第二室の室長にご着任されて、さらにそののち神奈川県衛生研究所の所長を務められ、現在は臨床検査の受託や検査技術の開発業務などを行う株式会社ビー・エム・エル先端技術開発本部の顧問をしておられます。
高崎先生の当時の研究テーマはヒト免疫不全ウイルス(HIV)でした。HIVがリンパ球に感染するときに、その最初のステップとしてウイルスが細胞の表面に吸着します。そのときキャッピングといって、ウイルスが細胞の表面のある一ヵ所に固まってくっつく現象が生じます。高崎先生の疑問は、それが最初から固まってくっつくのか、それとも最初は細胞の表面にまんべんなくくっつくが、そのあと細胞膜の流動性によってウイルスがある一ヵ所に集まっていくのか、どっちなんだろう、というものでした。
HIVはリンパ球表面のCD4分子をレセプター(受容体:細胞表面にある,ウイルス側の分子と結合する分子)として、ウイルス表面の糖タンパクであるgp120がそれにくっつくことは当時から知られていました。つまりリンパ球表面のCD4分子が細胞の表面にまんべんなく発現しているのか、もともとどこかに固まって発現しているのか、ということになるのかもしれません。そこで高崎先生は、リンパ球の細胞膜の流動性を止めるためにリンパ球の入った試験管を氷の中に入れて0℃にすることを考えたんです。その状態でウイルスを吸着させ、すぐに固定して電子顕微鏡で観察しよう、というわけです。
その研究をお手伝いするために、私の血液を採って、そこからリンパ球を分離しました。比重遠心法を使いますので、正確にいうとリンパ球だけでなく単球もいっしょに集まってきますので、「単核球」という画分が取れてきます。そこにHIVをかけたのがさきほどの写真(図1)です。黒色の矢印で指し示した、薄赤色に染色しているのがHIVです。
この写真を見ると、氷中に入れて細胞膜の流動を止めても、キャッピングは起こっていることになります。ただ、氷の中にリンパ球を置くのがなかなか難しく、ちゃんと0℃になっているのか当時はよくわかりませんでした。最初は細胞表面にまんべんなくくっついたウイルスが、極めて短時間の間に細胞膜の流動によって一ヵ所に集まってしまう可能性が否定できなかったんです。ただ、自分のリンパ球にHIVがちゃんと感染するんだ、ということがわかっただけでも、とても感動しました。私が微生物学教室にご厄介になるきっかけになった写真なんです。
SEMはどのように物体をとらえるのか
この実験では、細胞の表面にいるウイルスの場所が非常に重要になっていました。物体の表面の観察には、冒頭ご紹介した「走査型電子顕微鏡(SEM)」が有用です。
SEMは以前ご紹介したTEMとは原理が異なります(図2)。TEMでは超薄切片といって、試料を非常に薄く切って、電子線で「透かして」観察することになります。一方、SEMの場合は切片を作りません。電子線を非常に細いビームにして、観察したい物体の表面を「なぞる」ように、動かしながら照射するのです。なぞる方向は直線的に1方向にして、そこが終わったら少しずらしてまた直線的になぞる、ということを何度も何度も繰り返します。むかしのブラウン管テレビの「走査線」と同じ原理ですね。そこで「走査型」といわれるわけです。
SEMでの撮影に用いる2種類の電子線
物体に電子線を照射するといろんな種類の電子線が出てきます。私もあまり詳しいことは知らないのですが、SEMで写真撮影によく用いられるのは「二次電子」と「反射電子」です。これらの信号を検出器で検出し、電子線が当たっている場所に応じてその強さを濃淡で表すと、物体の表面が極めて高精細に観察された像ができあがる、というわけなんです。二次電子は非常に弱い信号なんですが、多少の影になるところまで回り込める性質があるため、立体的な観察が可能になります。一方、反射電子はその物体の元素組成によって返ってくる波長が変わりますので、その物体の表面が「どのような元素(原子)からできているのか」ということがわかります。
本学の藤岡良彦主幹技師がカ(蚊)を観察したのがこの写真(図3)です。細部まで鮮明に観察できますね。右はその複眼だけを拡大して、さらに微細な表面構造をみたものです。ひとつひとつの複眼を形成している、おそらく細胞?が一個ずつ見えているようです。
また、こちらの写真(図4)は当教室でとくに呉 紅(くれ こう)講師が精力的に研究しているピロリ菌のSEM写真をいっぱい撮影して、いろんな形の写真をうまく並べて「pylori」の文字にしつらえたものです。こちら、第27回日本臨床電子顕微鏡学会(現・日本臨床分子形態学会)の写真コンテストで最優秀賞を受賞しています。
電子顕微鏡にかかせない真空状態
TEMの場合は、非常に薄い切片を作らないと観察できないため、ウルトラミクロトームという特殊な機械が必要になります。一方、SEMはモノの表面を観察するわけですから、切片を作る必要はありません。かといって観察したいものをいきなり顕微鏡の中にツッコんでも、実はうまく観察できないんです。
これはTEMのときにもお話ししましたが、電子顕微鏡の鏡筒は電子線がうまく通るように真空にしていますので、観察する物体に水分が含まれているとたちまち蒸発してしまい、もとの形が保たれません。そこでまず「脱水」あるいは「乾燥」といわれる操作が必要になります。SEMの場合は二酸化炭素を用いた「臨界点乾燥」という原理で試料を脱水する装置を用います。本学にはこの,日本で最初に量産された臨界点乾燥装置の日立製・初号機がまだ現役で動いています(図5)。
また、電子線で試料をなぞりますと、その物体の表面にマイナス電荷が溜まることになります。これが時々「バチッ」という具合に放電してしまうことがあります。チャージングといって、これが起こると像が乱れてしまうんです。そこで、普通は物体の表面が導電性になってうまく電荷を逃がしてやれるよう、金属でコーティングします。ただ、このコーティングが厚くなりすぎると、「衣が付きすぎたエビの天ぷら」じゃないですが、表面の微細な構造が埋まってしまい、うまく観察できないんです。これがなかなか難しい・・・。
また、SEMの場合はとくに細い電子ビームが必要ですから、高倍率で観察するためにはTEMで説明したような、フィラメントを熱して出てくる「熱電子」ではなかなかうまくいきません。そこで、さらに高真空の状態にして、プラスの電荷で電子を「引っ張り出す」ような原理で電子線を作ることをします。この原理を「電界放射(field emission)」というのですが、極めて高い真空状態を作らないといけません。この原理を用いたFE-SEMってのが非常に高倍率まで観察できる装置です。図6は日立のS-800というFE-SEMですが,私が自分のリンパ球を撮影したのがまさに,当時本学にもあったこのS-800でした。この機械,1981年の発売当初は「分解能2nm」という,当時のSEMの世界記録を持っていました。
そして現在,本学にはその後継機であるS-5000が現役です(図7)。この顕微鏡も,もう「20年選手」なんですがまだまだ快調に動いています。こちらも発売当時は当時の世界記録を持っていたと思います。
その後、真空を引く技術もどんどん進歩していまして、電子線を発生させるところは高真空にして、試料を入れるところは真空度を低くするという「差動排気」という技術が開発されました。一本の筒の中を真空にするのに,上の方が高真空で,下の方が低真空という状態を,いったいどうやって実現するのか,私にはよく分かりませんが,本当にすごい技術です。この技術を用いると試料表面でのチャージングが起こりにくくなりますので、試料をコーティングしなくても観察できるようになります。まさに、試料をボンと放り込む(?)だけで観察できるようなSEMというわけです。低真空SEM(LV-SEM)と呼ばれます。ウイルスが観察できるような高倍率での観察はまだ難しいのですが、可能性はどんどん広がっているように感じます。
以上、私が微生物学に魅せられるきっかけとなった、SEMのお話しでした。自分が大学生のときのリンパ球をマジマジと眺めていたら、リンパ球もまだ若いなあ・・・、なんて思います。いえいえ、見てもわかりませんけどね・・・。