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第13回:とろろにも縁深い「コレラ」のお話

第13回:とろろにも縁深い「コレラ」のお話

2024.03.07中野 隆史(大阪医科薬科大学医学部 教授)

 私、第8回で、フィリピンにいたときに多量の水様便で悩まされたお話しをさせていただきましたね。その時の原因はおそらくコレラ菌か、あるいは毒素原性大腸菌enterotoxigenic Escherichia coli (ETEC) だと推測しています。ETECは「コレラ毒素(CT)を産生する大腸菌」ですから、症状はコレラとそっくりです。ということで、今回は「コレラ」という病気についてお話しします。

コレラの基礎知識

 「コレラ(cholera)」という病名は、ギリシャ語で胆汁を意味するkholéから来ているようです。便の性状が胆汁に似ている、ということではなく、当時は病気の原因を体液の異常で説明していたからなんです。憂鬱な状態を意味する「メランコリー(melancholy)」という言葉は「黒胆汁」(melas=黒い、kholé=胆汁)に由来しているのですが、黒い胆汁の過剰分泌が人を憂鬱な気持ちにさせると信じられていたのと同様、コレラも胆汁の分泌異常が原因だと思われていたのでしょう。

とろろ先生も悩まされた!?コレラの症状・水様便

 コレラの特徴的な症状は水様便です。症状が強いと1日に5リットルとか10リットルとかの大量の水様便が出ますので、もう便の色がなくなってしまい、「白い水」になってしまいます。これは「米のとぎ汁様便(rice water stool)」と形容されます(図1)。

図1 コレラで見られる「米のとぎ汁様便(rice water stool)」
[Farrar WE , Lambert HP (編):Infectious Diseases: Text and Color Atlas. 2nd ed, Gower Medical Publishing, 1992より引用]

  私もフィリピンでこの水様便に悩まされました。著明な腹痛や発熱があるわけではなく、とにかくトイレに座ると水道の蛇口をひねったように、シャーッと水便が出るんです。これ、お尻に力を入れると止まるのですが、緩めるとまたシャーッと出てくる、の繰り返しです。こうなるとトイレから立ち上がることができません。ゆっくり横になることができないんです。そこで昔の人は「コレラベッド(cholera cot)」という工夫をしました。図2がそれです。私、治ったあとマニラの病院で実物を見たのですが、これがあればよかったかというと、ううん、なかなか複雑な気分でした。ベッドの穴にお尻を入れて、下のバケツに水様便を垂れ流し、ですからねえ・・・。

図2 コレラベッド(cholera cot)
お尻のところに穴があいていて、横になったままでも水様便を下から受けられるようになっています。 
[Farrar WE , Lambert HP (編):Infectious Diseases: Text and Color Atlas. 2nd ed, Gower Medical Publishing, 1992より引用]

極度の脱水症状

 そうなんです、コレラの病態を悪くするのは実際には水様便による脱水でして、そのため十分な輸液・補液をすればコレラの死亡率は激減します。ところが昔は、水を飲むから水様便になると考えてしまい、逆に水分摂取を制限したため、結果的に脱水がさらに重篤化したと考えられます。有名な「洗濯婦の手(washer woman’s hand)」と呼ばれる症状も脱水が原因です。脱水によって指先の皮膚にしわが寄ってしまうのです。現在では脱水を防ぐために輸液をするはずが、途上国では適切に滅菌した注射針や点滴キット、注射液が入手できないことがありますので、WHOは経口補水液(ORS)を推奨しています。この溶液は、水1リットルに食塩3.5 g、クエン酸三ナトリウム2.9 g(または炭酸水素ナトリウム2.5 g)、塩化カリウム1.5 g、ブドウ糖20 gを加えて手作りすることもできます1)

コレラ(?) 感染の思い出inマニラ

 私が水様便でのたうち回っていた頃は、マニラに赴任して1カ月くらいしか経っていなかったので、まだ彼の地の医療事情を信用しておらず、病院に入院して点滴を受ける気になりませんでした。そこで自力で治そうと決心し、JICA(当時の国際協力事業団、現・国際協力機構)の携行医薬品バッグに入っていたORSの粉末をミネラルウォーターに溶いて、ただひたすら飲み続けておりました。その結果、3日ほどでなんとか水様便は治まり ましたが、体力が完全に元に戻るのにその後1カ月くらいかかりました。
 そのあとしばらくして、妻の妊婦健診の付き添いでマカティ市のMakati Medical Centerに行く機会があったのですが、まあなんと、その病院には先進的な設備が備えられていることに驚きました。私が当時日本でまだ実物を見たことがなかった、カラードップラーエコーで胎児の検査をしていまして、おおお、超音波検査の画像に色がついている! と驚いた次第。そのときに私、激しい水様便を無理して自力で治したことを後悔しました。ここに入院すればもっと楽だったのに・・・。

世界各地で猛威をふるったコレラ

画期的なコレラ対策を行った「疫学の父」

 時を遡ること1800年代、ロンドンでもコレラは大流行していたのですが、この流行に対して医師ジョン・スノウ(Snow J)が1854年、コレラは井戸水を介した伝播であることを画期的な方法で明らかにしました。患者の居住地を地図上にプロットし、コレラ患者が特定の飲料水採水ポンプから同心円状に存在することを示したのです(図3)。今でいう「記述疫学的手法」ですね。さらにこの結果をもとに、コレラの感染対策まで行ったのでした。つまりその採水ポンプの柄を折り、使えなくしたのです。実はコレラ菌の発見は、のちほどお話ししますが、この時代より30年もあとだったのです。つまり病気の「原因」が分からなくても「対策」は立てられるという、「疫学(epidemiology)」の特徴を示した画期的な実例とされ、スノウは「疫学の父 」と呼ばれることになります(図4、5)。
 

図3 ジョン・スノウの「コレラ地図」
図の「PUMP A」として×印のついている井戸を封鎖することで、コレラ患者の発生はなくなることを示した。PUMP Aの東側(「BROAD STREET」表記直下の区画)はビール工場で、ここは独自の井戸を持っていたためコレラ患者は発生していない。
[Centers for Disease Control and Prevention (CDC) : Principles of Epidemiology in Public Health Practice, 3rd ed, p.1-8,〔https://stacks.cdc.gov/view/cdc/6914/cdc_6914_DS1.pdf〕(最終確認:2024年2月15日)より引用]
図4 ロンドンにあるジョン・スノウの偉業を称えるレリーフ
ジョン・スノウをFather of Epidemiology=疫学創始の父 、として讃えている。
[Royal Society for Public Health UK:Scientist who stopped cholera spread remembered,〔https://www.rsph.org.uk/about-us/news/scientist-who-stopped-cholera-spread-remembered.html〕(最終確認:2024年2月16日)より引用]

 

図5 ジョン・スノウがコレラの発生源と突き止めた井戸のレプリカ 
[Spitalfields Life:Pumps Of Old London,〔https://spitalfieldslife.com/2017/06/02/pumps-of-old-london/〕(最終確認:2024年2月21日)より引用]

日本では「コロリ」

 わが国でもコレラはロンドンと同じ時代、幕末から明治にかけて大流行しています。江戸時代は鎖国の時代でしたが、幕末にはいろいろ交易もあったようで、コレラは鎖国の網をもくぐりぬけて上陸したようです。東海道五十三次で有名な浮世絵師、歌川広重(1797-1858)もコレラで亡くなったとか。第9回で紹介したテレビドラマ「JIN-仁-」でも、緒方洪庵とその弟子たちがコレラの流行に立ち向かう姿が描かれています。当時コレラは「虎列剌」という漢字が当てられていましたが、一般には「コロリ」(虎狼狸)と呼ばれていたようで、おそらくそれは「コロリと死ぬ」イメージがあったからでしょう(図6)。

図6 虎列刺退治(木村竹堂画,1886)
​​​​​こちらは明治時代の錦絵ですが、人々をおさえつけている怪獣は虎(こ;トラの頭)、狼(ろ;オオカミの胴体)、狸(り;タヌキの睾丸)の合体したものとして描かれています。
[内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ.くすりの博物館ホームページ,〔https://www.eisai.co.jp/museum/history/b1500/0300.html〕より引用]

 明治時代になって、コレラは当時実用化された「電話」を通じて感染するというデマが横行したということもあったとか。この話、私は父から聞いたのですが、父は昭和の生まれでしたけどねえ・・・。父はその父、私のおじいちゃんから聞いたのかもしれません。真相は定かではありません・・・。

 「コンマ菌」と呼ばれたことも!?

 私は、コレラ菌を最初に発見したのはこの連載で何度も登場しているローベルト・コッホであり、彼はその形態が欧米語で使われる読点である「コンマ(,)」に似て湾曲している(図7)ことから、当初は「コンマ菌(Kommabazillus)」と記述したと信じていたのですが、改めてわれわれ細菌学者のバイブル「戸田新細菌学・改訂34版(南山堂)」を読み返してみると、コッホがコレラ菌を発表したのは1884年ですが、それより先にパチーニ(Pacini F)が1854年に発表しており、すでにVibrio choleraeと命名していたとのこと。今回初めて知りました。勉強不足でした・・・。でもパチーニの発見は当時、ほとんど知られてなかったみたいです。 

図6 コレラ菌の光学顕微鏡写真(グラム染色)
(提供:大阪医科薬科大学医学部微生物学・感染制御学教室)

コレラ菌の分類いろいろ

 コレラ菌には2つの生物型(biovar)があり、古い時代の流行株はアジア型(古典型):biovar choleraeですが、1961年以降現在まで続いている「第7次世界的流行」の原因はエルトール型:biovar eltorです。こちらはエジプトのエルトール(El Tor)で発見されたためそう呼ばれており、アジア型の方が病原性が高いが、エルトール型の方が環境中での抵抗性が高いとされ、第7次流行が長期化しているのはそれが原因だと考えられています。また生物型とは異なる下位群(亜型)の分類もあり、こちらはOgawa(小川)、Inaba(稲葉)、Hikoshima(彦島)の3つに分かれます。これを生物型と組み合わせて、コレラ菌の分類をたとえば「エルトール小川型」という風に呼んでいます。
 亜型の名前は国際的に通用するものですが、彦島は山口県にある島の名前で、別名・巌流島、そうです、あの武蔵と小次郎の決戦地ですが、かつてここに検疫所があったことが由来なんだそうです。他の2つ、小川と稲葉の由来は教科書には載ってないのですが、たしか分離された患者さんの名字じゃなかったかなあ・・・。今ではさすがにそんな命名法は使えないでしょうねえ。また、通常の血清型O1のコレラ菌ではなく、O139のコレラ菌にCTを産生する株が1992年インドで発見され、新型コレラ菌とかベンガル型コレラ菌と呼ばれています。
 


 この新型コレラ菌発見で尽力された研究者のひとりとして元・国立感染症研究所長の竹田美文先生がいらっしゃいます。竹田先生が京都大学医学部教授でいらしたときに、私を学会のシンポジストに推薦してくださって、とてもお世話になったことを今回、コレラの記事を書いているときに懐かしく思い出しました。
 先生のご子息の竹田潔先生は現在、大阪大学大学院医学研究科免疫制御学教授です。私、こちらの竹田先生にも共同研究でたいへんお世話になっておりまして、親子2代の縁なんです。竹田潔先生のお名前は、お父様が赤痢菌の発見者・志賀潔に因んでつけたそうです。さらに美文先生の奥様、潔先生のお母様である故・竹田多恵先生は国立小児病院で感染症科の部長をされた小児科医でいらっしゃいまして、私も小児感染症の著書で勉強させてもらいました。私にとって本当に、アタマの上がらないご一家なんであります・・・。これもまた「ご縁」なのでした。

【おわび】
当記事において、竹田美文先生を故人として記載しておりましたが、ご存命でいらっしゃいました。謹んでおわび申し上げます。(2024年4月17日/筆者・NurSHARE編集部)

引用文献
1)Cellucci MF:経口補液.MSDマニュアルプロフェッショナル版,〔https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/19-%E5%B0%8F%E5%85%90%E7%A7%91/%E5%B0%8F%E5%85%90%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%84%B1%E6%B0%B4%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E8%BC%B8%E6%B6%B2%E7%99%82%E6%B3%95/%E7%B5%8C%E5%8F%A3%E8%A3%9C%E6%B6%B2〕(最終確認:2024年2月15日)

中野 隆史

大阪医科薬科大学医学部 教授

大阪医科大学(現・大阪医科薬科大学)医学部卒業後、同大学院医学研究科博士課程単位取得退学(博士(医学))。大学院時代にHarbor-UCLA Medical Centerに留学。同大学助手時代に国際協力事業団(現・同機構;JICA)フィリピンエイズ対策プロジェクト長期専門家として2年間マニラに滞在。同大学講師・助教授(准教授)を経て2018年4月より現職。医学教育センター長、大学安全対策室長、病院感染対策室などを兼任。日本感染症学会評議員、日本細菌学会関西支部監事(前支部長)、大阪府医師会医学会運営委員なども勤める。主な編著書は『看護学テキストNiCE微生物学・感染症学』(南江堂)など。趣味は遠隔講義の準備(?)、中古カメラの収集など。

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微生物学・感染制御学の教員「とろろ先生」が、微生物や感染症について軽妙な語り口で綴ります。実際的なコラムや印象的なエピソード、明日使える豆知識などを通して、微生物や感染症の深い世界を覗いてみませんか。

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