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第2回:生理的早産-弱者体験が生みだすもの

第2回:生理的早産-弱者体験が生みだすもの

2022.02.08安保 寛明(山形県立保健医療大学 教授)

 第1回では、共同注視によってヒトが関心や感覚を共有することの意味を扱ってきました。共同注視は人の弱点を応用して知性や喜びの獲得につなげたというエピソードでした。
 さて、第2回ではヒトの「弱者」としての経験がもたらす精神の発達と成熟を紹介したいと思います。 

 

乳児の特徴“ほぼ何もできない”

 ほかの哺乳類と人間の違いのうち、誕生にまつわる違いも知性や精神保健上の特徴をもたらしていると予想されています。たとえば、人間の赤ちゃんは誕生後間もなくから大泣きします。よく考えたら、赤ちゃんが大泣きしたら野生動物の世界では目立って獲物になってしまいますね。

 それでは、なぜ人間の赤ちゃんは泣くのでしょう? それはおそらく、生まれた瞬間には何もできないことが自分で分かっていて、かつ視力などが十分でなく自分の状況がわからないために、自分の危機を周囲に知らせて助けてもらうしかないからです。
 ほかの哺乳類の赤ちゃんの誕生シーンをテレビなどで見るとわかりますが、多くの動物たちは、生まれてすぐの時期から歩くことができます。ウマのような体の大きな生き物であっても、おおむね誕生から10時間以内に立つことが出来ます。人間の赤ちゃんが生まれてから立てるようになるまでに半年以上かかることは、ほかの生き物と比べて大きな違いなのです。

誕生直後のヒトが一般的に「できない」こと
 

一人では生きられない、弱者体験

 アドルフ・ポルトマン(1897-1982)は、鳥類や哺乳類の生態を比較して整理することを行いました。また、誕生時点から自立して行動できるかどうかという点や、寿命と妊娠期間を整理して比較しました。人間の赤ちゃんは自立して行動できないうちに誕生しているという特徴があり、誕生するまでの期間(妊娠期間)が10ヵ月程度なのは短く、ほかの哺乳類に比べて自立度が低いうちに生まれてくる特徴があると主張しました。

 仮に、人間の寿命を80年とすると、妊娠期間9.5ヵ月は人生の長さに対して100分の1くらいです。ウマなどの妊娠期間に照らすと人が行動面で成熟するための期間は22ヵ月であり、生物として十分に成熟する一年も前に産まれてくるとポルトマンは主張しました。また、このことをポルトマンは「生理的早産」と名付けました。
 その後、人の生理的早産については様々な理由が考察されましたが、人が二足歩行を選んだことで骨盤が小さくなり、成長しすぎると赤ちゃんが子宮口を出ることが難しくなるために、十分に成長する前に胎内から押し出しているという考えが一般的になっていきました。つまり、赤ちゃんが外に出たくて誕生するというよりは、妊娠している母体を守るために、赤ちゃんの意向と関係なく胎内から押し出されると考えることができます。
 ・・・そう考えると、赤ちゃんが泣く理由もわかる気がします。赤ちゃんからしたら「いや、まだ出られないよ!いま生まれたって生きていけないよ。無理だって!!」なんて思っている・・かもしれないわけです。そりゃあ、泣くわけですよね。

ウマ、サル、チンパンジー、イヌ、ヒトの平均寿命・妊娠期間、歩行時期について 
  平均寿命   妊娠期間

寿命と妊娠期間の割合
(妊娠期間/寿命)

 歩けるようになる時期
ウマ 25~30年 約12ヵ月  3.3~4.0% 誕生当日
サル 20~30年 約6ヵ月 1.7~2.5% 生後すぐ~2週
チンパンジー 30~40年 約8ヵ月 1.7~2.2% 生後すぐ~3週
イヌ 12~14年 約2ヵ月 1.2~1.4% 生後2~3週
ヒト 80~90年 約9.5ヵ月 0.9~1.0% 生後8~10ヵ月
 

弱者ならではの脳の発達

 この生理的早産は、人の知的発達に多くの恩恵をもたらします。誕生後、子宮内ではあまり機能させる機会がなかった視覚や聴覚を活用するようになり、視覚も聴覚も1歳になる前に十分に機能するようになります。これらの感覚器を早期から使い始めることができるため、脳には感覚器や皮膚などから刺激が送られて脳の機能が強化されていきます。誕生時点では400グラムくらいであった脳の重さは1歳ごろには1キログラムに近くなりますが、おそらく子宮の中で育っていたら脳はここまで大きくならないでしょう。

 つまり、ポルトマンの仮説が正しければ、生理的に1年早く生まれてくることで、種をあげた早期教育がなされていくといえるのです。多くの1歳児は「ママ」「パパ」などの発語をできたり、ひとりで歩くことができたり、親指と人差し指で物をつまんだり、指差しをしたりすることができます。発語やつまむ動作はかなり細やかな脳での判断が必要です。

 第1回で記した共同注視も生理的早産によって起こりやすくなります。赤ちゃんは動けないので養育者から見つめられると見つめ返すしかなく、生後3ヵ月くらいから共同注視ができるようになっていきます。もし生理的早産をしていなければ、自分で立って歩ける状態で生まれてくるので、自分で考え自分で探求することが中心になったでしょう。むしろ、身体機能が低いうちに生まれることで他者からのかかわりが必要な環境で育ち、視覚や聴覚や触覚を通じた脳への刺激が脳を発達させていると考えることができるのです。

1歳ごろ(生後12~14ヵ月)の子どもができること 
 

弱者だからこそ期待や信頼という感情を獲得する

 ここまでの内容をまとめてみます。
 人間は、二足歩行をすることで子宮口が小さいなどの理由で、妊娠から10ヵ月未満で子どもが誕生し、生後1年くらいかけて歩行などができるようになっていきます。つまり、乳児期は自分から行動することがなかなかできない「受け身の期間」でもあります。この受け身の期間は、ポルトマンによって「生理的早産」と呼ばれた期間でもあります。

 一方で、誕生後の1年間でヒトは大きく成長します。特に脳の発達は様々な面で目覚ましく、前述したように誕生時点でおよそ400グラムだった脳の容量は1歳時点ではおよそ1000グラムまで成長し、共同注視などを活用して言葉をおぼえ始めます。つまり、0歳児の期間というのは、自分が何もできない弱者という状態によって受け身の期間が多くありますが、脳や五感を活用して共同注視などで知性を獲得していきます。
 さらに、共同注視や手渡しの経験は、視線が合うことで期待がうまれ、その期待が現実になるという経験になるため(第1回参照)、“期待”と“信頼”という感情を徐々に獲得します。

 エリクソンが述べた発達課題で乳児期の課題に「信頼」があるのも、この考えにのっとっています。つまりヒトは、生理的早産によって弱者体験という受け身の期間がうまれ、期待や信頼といった感情をもつようになると言えるのです。

 
<もっと詳しく> 弱点を工夫で乗り越える適応戦略

 白目があると視線が知られてしまうこと、生まれたばかりの赤ちゃんが一人で生命維持できないこと。これらは、ほかの種だったら致命的な弱点になりそうなことですが、人間はこれらの弱点がありながらも独自の発達を遂げてきました。ちなみに、陸生する哺乳類で体毛がほとんどない生き物も、ヒト以外にはあまりありません

 ヒトは、これらの弱点を弱点というよりも「特性」として積極的に活用するような適応戦略をとりました。これまで紹介してきたとおり、視線が知られてしまう白目の存在は、ヒト同士のコミュニケーションに視線を使うという方法をとりましたし、生理的早産による行動不能性は、共同注視などを通じた期待と信頼といった高度な感情の獲得や、将来的に洞察力と学習力を高めることにつなげています。また、これまで紹介しませんでしたが、体毛が少ないことは表情から体調の良し悪しが見破られてしまうという弱点になるのですが、むしろ表情や顔色によってヒト同士のコミュニケーションに活かされるようになりました。

 これらの特徴から、ヒトはほかの種では弱点になりそうな特徴をヒト同士の助け合いの道具やきっかけにすることで、脳の機能と感情の豊かさを発達させてきたということができそうです。知性と社会性を発達させて自分たちという変化に適応しようとしたヒトって、本当に面白い種族だなあと、思います。

 

おまけの解説:体毛がほとんどない哺乳類には、カバ、ゾウ、サイなどがいます。体毛に潜みやすい寄生虫がよりつきにくいという長所があるほかに、表皮をヒトよりも固く厚くすることで衝撃や外気温による体温の変化から自分自身の身を守るという方法をとっています。また、表皮が硬く厚くなったことで、自分の体調の変化が皮膚の色などに表れにくくなっています。一方で、ヒトは体毛がすくないだけでなく表皮もあまり厚くなっていませんから、血流の良し悪しが顔色などにすぐに表れます。ヒトは、体調の悪さを見せても生きていくことができる生き物であるともいえ、種をあげて「助け合い」を前提にして発展してきた生き物であるともいえると思います。

(参考)杉山幸丸 編著:人とサルの違いがわかる本-知力から体力、感情力、社会力まで全部比較しました、オーム社、2010

安保 寛明

山形県立保健医療大学 教授

あんぼ・ひろあき/東京大学医学部健康科学・看護学科卒業、同医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。岩手県立大学助手、東北福祉大学講師、岩手晴和病院(現・未来の風せいわ病院)社会復帰支援室長、これからの暮らし支援部副部長を経て2015年より現所属、2019年より現職。日本精神保健看護学会理事長、日本精神障害者リハビリテーション学会理事。著書は『コンコーダンス―患者の気持ちに寄り添うためのスキル21』(2010、医学書院)[共著]、『看護診断のためのよくわかる中範囲理論 第3版』(2021、学研メディカル秀潤社)[分担執筆]など。趣味は家族団らん。

企画連載

人間の知的発達と精神保健

長年にわたり精神保健に携わってきた筆者が、人の精神の発達過程や、身体と脳の関係、脳と精神の関係、今日的な精神保健の課題である「依存症」や「自傷他害」、職場における心理学、「問題行動」や「迷惑行為」といった社会問題となる行為など、多様なテーマについてわかりやすくひも解いていきます。

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